新たな日産SUVの国内市場登場への期待を込めて、そしてエールを送る意味で、マニアックな四駆専門誌編集長が、今なお人気が高く、かつて愛車としていた「日産・初代サファリ愛」(?)を語ります。今回は、前回に引き続き初代サファリの年譜を、最初のマイナーチェンジ後のモデルを中心に振り返ってみましょう。
革新的な内容で登場した日産サファリであったが、ライバルであるトヨタランドクルーザー(以下、ランクルと略)の装備充実や、純RVといえるいすゞビッグホーン、三菱パジェロの登場を受け、1982年8月に最初のマイナーチェンジが行なわれた。
質素だったADの内装は布製シートと絨毯として、DXと差別化がなされた。同時に、ハードトップ標準ルーフADには背面スペアタイヤが設定された。これは車幅いっぱいのハシゴ型キャリヤを持つため、テールゲートの開閉には広いスペースが必要になるものだった。おまけに2シーターAD/DXおよびハイルーフ車には装着できなかったから、これらには従来通りリヤオーバーハングにスペアタイヤが吊られていた。
リヤオーバーハングにスペアタイヤを吊るために、わざわざ燃料タンクを薄く作ったのに、大きなタイヤを背中に背負うことがRV四駆の象徴的なスタイリングとして求められた時代ゆえの本末転倒な設定と言えるかもしれない。
ヘッドランプウォッシャーが設定されたり、WARN社製の電動ウインチが選べるようになったのもこの時だ。マニュアル式だったフリーハブが不確実なオート式に改悪(?)されたのは、国産四駆で初めてのことだった。
なお、マイナーチェンジ前後の識別は簡単で、フロントグリルの真ん中に「NISSAN」ロゴが付くと新型である。
売れ筋的な変更を行ないながらも、4ドア車同士ではランクル60系が優勢だった。あの広い室内とマッチョなデザインは1ナンバー普通貨物登録の負担と引き換えながら、ユーザーに受け入れられたのだ。ガソリン車が選べる点もサファリと違っていたが、売れたのはディーゼルの方だった。
現在、マニアの間では「サファリの方が渋いのだ」と語られることが多い。あるいは今だからマイナーな存在に価値を見出してしまうのかもしれないが、「ランクル60系は俗っぽい」とする風潮はマニア界隈には確かにある。個人的には「判官贔屓」とでも言うか、冴えない割に造りの凝っていた日産四駆への贔屓目と、多数勢力に属したくない心理があったことは認めざるを得ない。
無論、ランクル60系にも優れた面は多々あって、とりわけ初期のものや低グレード車は好ましいシンプルさを持っていた。しかし、街中などで変にいじくったカスタム系の個体に遭遇することが多かったため、印象が悪くなっていったのだと思う。
では、短尺車同士で比べた場合はどうだろう。VR160サファリが売られていた頃、ランクルはまだ40系の時代で、70系に替わる1984年には、サファリはいち早くターボ車を追加したVR161になっていた。
ところが新しいランクルより洗練された足回りを持ちながらも、やはりサファリは販売面で及ばなかったのである。「新時代のRV」を求めるお客さんは、より軽い"食感”のパジェロやビッグホーンへと流れて行き、「四駆らしさ」を求める層は、皮肉にもランクルの旧態依然としたものの方を評価したのである。