TEXT:川島礼二郎(KAWASHIMA Reijiro)
ヴァイサッハのポルシェ開発センターの古い風洞内にて、ポルシェデザイナーのアンソニー・ロバート・トニー・ハッター氏(デザインクオリティスタイルポルシェの責任者)が、未来的外観の車両の埃っぽいスタジオモデル(1:4のスケール)に光を当てている。1970年に制作されたショートテールポルシェ『917』のデザインドラフトだ。極めて空力的であり、ホイールカットアウトがまったくない状態で可能な限り最高のCD値を得られるように設計されている。取り外し可能なガラスが装備されており、当時非常に先駆的だったインテリアを覗き込むこともできる。インストゥルメントパネルのスイッチユニットはポルシェ『928』のようであり、その右側にはテープまたはディスクドライブを備えた一種のコンピューターを搭載している。そしてコックピットの左半分にあるスクリーンは……その時代を考慮すれば、サイエンスフィクションと言えそうな装備だ。
「ポルシェのデザイナーは、このモデルと共に、真剣に未来を見据えて来ました。基本的には、私が1986年からポルシェで仕事を始めてからずっと、3年半前にデザイン部門が新しいビルに引っ越すまで、それは続きました。それまで私達のデザインスタジオはヴァイサッハで最初の大きなオフィスビルであるセクスカントと呼ばれる「ヘキサゴン」の地下にありました。私たちは階段を使って地下のスタジオに行き来していました。このモデルは、壁に面した高い梁に4つの車輪で取り付けられていたのです。
コックピットの照明も装備されており、それに対応するスイッチは壁に付いていました。ライトだけでなく、スイッチを押すと車内の小さなファンモーターが作動して、ブーンという音がしました。ファンが単なる技術的な仕掛けだったのか、それとも実際に室内の照明を冷却するために使用されたのか、今では誰も覚えていません」
「こうして何十年にもわたってモデルは家具の一部となっており、私は意識的にそれに注意を払っていませんでした。それはただ、そこにあり続けただけでした。そして模様替えの一環として私達はそれを壁から外して、どこかに片付けました。古いガレージでこの貴重なスタジオモデルを見つけたのは、つい最近のことです」とトニー・ハッター氏は続けた。
当時、ポルシェは空力開発において2つのアプローチで取り組んでいた。彼らはシュトゥットガルトにあるFKFS(民間非営利研究機関であるFKFS:Forschungsinstitut für Kraftfahrwesen und Fahrzeugmotoren Stuttgart)の風洞とパリの研究所SERAのエッフェル風洞で研究開発を行っていた。1992年にポルシェAGを引退するまでボディ開発責任者であったヘルマン・バースト氏は、この特別な917モデルの開発について最も詳しく知っている。ポルシェ退職後は、2006年に引退するまで、エンジニアリングサービスプロバイダーであるRücker AGのマネージングパートナーになり、最近では監査役を務めている。
1960年代後半、この自動車工学を専門とする若い機械エンジニアは、シュトゥットガルト大学のFKFSで研究助手として働き、自動車および航空産業の風洞試験に携わった。そして1969年1月、レーシング部門の管理者としてポルシェに入社。『917』、『908』、それに市販車の空気力学に取り組んだ。
当初から917の空力は、FKFSの風洞と、パリの研究所SERAのエッフェル風洞でシャルル・ドゥーチェ氏により開発された。彼は空気力学者として高く評価されており、彼がデザインした『CD SP66』は小さな1.2Lエンジンを搭載していたが、その洗練された空気力学のおかげで1966年のルマン24時間レースで最高速度は約300km/hに達していた。これはシャルル・ドゥーチェ氏とSERAを開発の中心とするのに十分な理由であり、917は長年の協力の始まりとなった。
1970年の半ば、『917』のショートテールバージョンのさらなる開発が検討された。その目的は、空気抵抗を減少させてロングテールバージョンと同等の車に仕上げることであった。その時、ポルシェは2つのアプローチを選択した。1つがパリのSERAで作成されたデザインであり、もう1つはポルシェデザイナーのリチャード・ディック・ソーダーバーグによる社内デザインである。この段階においてヘルマン・バーストは、パリのSERA風洞でポルシェのデザイナーとモデラーと共に働いた。
SERAのデザインは1971年に『917/20 ピンクピッグ』として完成した。同年のルマンで投入されたが、ピンクのボディカラーと豚肉のカット(部位)が描かれたデザインにより、最も有名なポルシェレーシングカーの1つになった。
2段式リアウィングを備えたリチャード・ソーダーバーグ案は採用されなかった。ヘルマン・バースト氏は語る。
「ソーダーバーグのデザインはSERAよりも遥かに美的でエレガントでしたが、風洞実験の結果、特にリフトに関して優れていないことが分かりました。会社からはフォローアップの指示はなく、SERA案で進める決定が社内で行われていましたが、私達は空力的に改良することにしました。
私達はこのソーダーバーグ案と共に風洞に戻り、さらに開発を続けました。これまでに得たすべての知識、例えば『908/03』で実証済みの空気力学と丸いノーズ形状、それと後部が上向きに流れることを考慮して、モデルを改良したのでした。
これにより良好なcd値を達成しただけでなく、ダウンフォース値と横風に対する挙動も改善しました。空力の観点からは目標を達成したのですが、そのスタイルをソーダーバーグは満足していませんでした。もともと真っ白だったモデルが、今ではたくさんの茶色の粘土により変形しましたから……」とヘルマン・バースト氏は続けた。
その後、ポルシェのチーフデザイナーであるアナトゥール・ラピーヌ氏が、モデルを視覚的に完成させる作業を行った。フロントウイング上部のエアディフューザーのディテールに手を加えたほか、フロントガラスとヘッドランプのレンズを一新。さらにシルバーに塗装したうえで、大型でモダンなリアライトを搭載した。
こうしてソーダーバーグ案の『917』は、当時のポルシェがサーキットで行っていたことから視覚的に離れ、ポルシェデザインチームが有するアイデアの集合体へと変貌を遂げた。バケットシートと小さな3本スポークのステアリングホイールはサーキットへの回帰だが、インストゥルメントパネルはまるで市販車のようだ。右ハンドルとして設計されていた『917』では、それは左側から長い道のりで引き込まれている。コントロールがドライバーに面しており、これは最高に人間工学的であり、何年も後に市販車でのみ見られるようになったものだ。
しかし完全に空力的に整えられた革新的な機器とボディは、1977年に発売された『928』のコントロールパネルレイアウトを除けば、以後ほとんど気づかれることはなかった。この『917』が再び登場したのは1978年のこと。雑誌の特集企画「ポルシェ:明日の車」に掲載された記事のタイトル写真として採用されたのである。その時、ソーダーバーグ案の『917』が作成されてから既に8年が経っていた。いかにポルシェに先見の明があるか、そしてソーダーバーグ案の『917』が、設計者の心に留まっていたかを示す逸話である。