TEXT:高橋一平(TAKAHASHI Ippey)
「一平さんが持っている新車のヤマハRZV500R、撮影させてもらえませんか?」
数年ほど前のこと、当時MFi編集部でスーパーカークロニクルの担当をしていた小泉君(前mfjp編集長)から、こんな相談が舞い込んだ。
筆者は少しばかり躊躇した。というのもこのRZV、確かに未登録のまま保管していたのだが、当時何年も状態確認すらしていなかった。いわゆる“放置”状態であり、果たして撮影に耐えるような代物なのか怪しかったのだ。
実際に久々に我が家のバイク用ガレージである海上コンテナから引っ張り出されたRZV500Rは、予想通り埃まみれ。しかし、ひととおりエアブローしたうえで、霧吹きで湿り気を与えながら注意深く厚手のウエスで埃を拭き落としてみると、艶のある塗装が現れた。新車というには古びた感は否めないものの、やはり未使用だけに使い古された中古とはまた違った雰囲気だ。オドメーターの表示は86kmだった。
かくして筆者のRZVは折原カメラマンの撮影によりMFi Vol.113のスーパーカークロニクルに登場。同企画でバイクを取り上げるというのは初めての試みだった。
RZV500Rは1984年に登場したモデル。エンジンは2ストロークのV型4気筒。現在のMotoGPの前身にあたるWGPの500ccクラスに参戦していた、ヤマハのワークスマシンYZR500をモチーフとする公道向けのスーパースポーツ。いわゆる“レーサーレプリカ”だが、排気量からシリンダーレイアウトまで、WGPの最高峰である500ccクラスのマシンにほぼ忠実なカタチとしたものは、このRZV500Rが初めて。自動車でいうなら、まさにスーパーカーに相当する存在だったのだ。
かつて、二輪車の世界ではスーパースポーツといえば2ストロークという時代が長らく続いていた。正確には1970年代後半に一時的に衰退が危惧される局面もあったが、バイクブームが空前の盛り上がりを見せた1980年代において、2ストロークモデルはスーパースポーツの代名詞的存在であり、ブームを牽引するという意味でも大きな役割を果たしている。とくに1980年代に少年時代を過ごした筆者の年代にとって、2ストロークはWGPマシンへの憧れとも重なる特別な存在だ。
もちろん、二輪車にも当時すでに4ストロークエンジン搭載モデルが存在しており、排気量400cc以上のクラスでは4気筒エンジンが普及していた(250ccの4気筒が普及するのは80年代後半)。しかし、軽量化技術がまだ未熟で、タイヤにも現在ほどの性能は望めなかったこの時代、4ストロークよりもメカニズムがシンプルで、軽量コンパクトでありながら高い出力が得られる2ストロークエンジンのアドバンテージは圧倒的といえるものだった。
とくにレースの世界ではそれが顕著で、当時4ストロークの大排気量エンジン(750〜1000cc)を搭載するカテゴリーもあったが、サーキットのラップタイムで2ストロークエンジンを搭載する500ccクラスのタイムを上回ることはなかった。そこには(500ccクラスで2ストロークが全盛だった背景には)レギュレーションというファクターがあったとこも事実だが、実力的も明確な差が存在していたのである。そして、この構図はCAD(Computer Aided Design)やFEM(有限要素法)などのデジタル設計技術が大きく発達する1990年代半ば頃まで続くことになる。
しかし、2ストロークには弱点があった。吸気(正確にはシリンダーへの新気導入)と排気を同時に行うために、十分な掃気が難しく、また排気管側に未燃焼ガス(つまり新気)が吹き抜けやすいのだ。とくに二輪車の2ストロークエンジンでは、掃気のためのスカベンジングポンプをクランク室と共用の構造とし、吸排気バルブにはシリンダー壁(スリーブ)に開けたポートをピストンで開閉するという、スリーブ弁を用いるため、シリンダーとクランクに専用の給油システムが必要で(しかもここで使われる潤滑油は排気ポートから棄てられてしまう)、またピストンやリングが常にポートを横切るということもあって、これらの消耗が激しい。しかもこの消耗には高出力化のためにポート面積拡大すると、厳しさが増していくという傾向があった。2ストロークが耐久レースには向かないとされていたのはこのためだ。
メカ的にはシンプルな2ストロークであったが、その働きは複雑で謎に満ちていたといっても過言でない。その主な原因になっていたのが、この掃気と新気吹き抜けの問題だ。これらの要因により回転領域や負荷条件によって、燃焼状態は著しく変動。2ストロークが第一線で活躍していた当時(WGPの500ccクラスは2001年に終了)は、コンピューターシミュレーションによる解析技術がまだ未熟だったということに加え、センサーや制御の技術も不十分だったため、2ストロークの電子制御インジェクションは市販車だけなく、WGPマシンでも実現することはなかった(例外に2気筒500ccビモータ500V dueがあるが、これは成功というには厳しいものだった)。
なお、この不安定な燃焼状態は単室容量の限界にも繋がっており、高い効率が得られるのは125cc程度と言われ、それゆえに2ストロークの大排気量化は難しいとされていた(さらにシリンダー側面に掃気通路を備える必要があるため、並列配置にも制約がついてまわることから、多気筒化も困難だった)。筆者は単気筒500ccの2ストロークエンジンを搭載するモトクロスバイク(CR500)を筑波サーキットで走らせたことがあるのだが、アクセルのパーシャル域(微開領域)で発生する不正爆発が不意な蹴り出し(加速)を招くほどに強烈で、コーナーでひどく手を焼いた記憶がある。“単室容量125cc程度がベスト”は、現在とは違って情報が限られていた当時に語られていた定説だが、この経験からもあながち間違ってもいないように思う。少なくとも単室容量500ccは行き過ぎだったのだ。もちろん、CR500本来の目的であるオフロード走行でこの不正爆発が気になることはなく、むしろその独特なトルク感と回転上昇が生む味わいは病みつきなるほどであった。サーキットでの乗りにくさは、想定から大きく外れる使い方ゆえに生じた問題である。
そして、二輪車の2ストロークエンジンといえば、忘れてはならないのがエキスパンションチャンバーだ。その名の通り排気管の途中が大きく膨らんだ独特な形状で、圧力波を反射して排気ポート付近まで遡上させ、吹き抜けを押し戻して充填効率を高めるという役目を果たす。圧力波は音速で伝播するため、膨張部のなかでも「コンバージェントコーン」と呼ばれる後半の絞り部分から、排気ポートまでの距離が重要なファクターとなる。この距離を音速で往復するときの時間が、排気ポートのタイミングと同調するときに最大の効果を発揮するわけだ。
基本的にこの部分の寸法が短ければ高回転で、長ければ低回転で同調することになる。2ストロークのトルクが回転域によって“ムラ”があるのは、このチャンバーによるところが大きい。基本的な圧力波の往復時間は寸法という幾何学的要素で決まる。つまり、タイミングが同調して最大の効果(充填効率の向上)が得られるのは、一部の回転域に限られるわけで、この同調するか否かが“ムラ”になって現れていると思えばいい。
2ストロークではいわばバルブの補助的な役割を果たすこの効果に大きく依存しているため、その影響が顕著に現れているわけだが、じつは4ストロークの排気管でも同様の現象が利用されている(圧力波の反射は集合部や開放端で起きる。詳細はMFi Vol.102にて解説)。よく知られるところでいうと、マツダのSKYACTIV-Gのエキゾーストマニフォールドがそうだ。ただし、4ストロークではポペット式のバルブを用い、吸排気の行程もきちんと分離されているということもあって、2ストロークほど効果に頼っていない。そのため2ストロークでは4ストロークと比較にならないほど大きな変化が、排気管の交換によって起きる。ときにそれは、まるで別物のエンジンになったかのような劇的なものとなることもあり、これはいまも語り継がれる2ストロークの魅力のひとつにもなっている。
さきほど音速と幾何学的要素について触れたが、ならばチャンバーの設計は計算ですべて解決するかというと、そう簡単な話ではなかった。まるで経験したかのような口調は、90年代にヤマハR1-Z(90年登場。並列2気筒250cc)のチャンバー開発に関わったことがあるからだ。当時、ミハラスペシャリティというチューニングショップを営んでいた三原国光氏(故人)が、前述のような“能書き”を垂れる小僧であった筆者を開発作業に引き入れてくれたのだが、筆者の計算のもと設計されたチャンバーをシャシーダイナモにかけてみると、全回転域でノーマルの出力を下回るという結果に…… 三原氏は筆者に言った「な、一平ちゃん、甘くないだろ」。氏は若き筆者にこの事実を教えたかったのだ。
“敗因”は数多くあったが、なかでも大きかったのが排気温度だった。じつは音速といってもそれは一定ではなく、温度などによって変化する。排気管内の温度は排気温度に大きく左右されるかたちで刻一刻と変わり続けている。当然ながらそれは音速も同様だったのだ。排気温度は点火時期や負荷条件による燃焼状態が大きく影響する。まして2ストロークではその燃焼状態も非常に不安定だ。筆者もある程度は想定していたのだが、当時それらを正確に把握することは極めて困難だった。そのため、さまざまな資料から推測することになったのだが、若き筆者の“浅知恵”に基づく推測は見事に“大ハズレ”。結局、満足いく性能にたどり着いたのは、3〜4本の試作を経てからのこと。もちろん、それらの試作品は三原氏をはじめチャンバー制作のプロによるものであったが、それでもトライアンドエラーは必須だった。
ちなみに、この排気温度による変化は正確な把握こそ難しかったが、2ストロークエンジンの特性を作り込む手法として利用されていた。例えば、エキパイ部分にバンテージ(石綿などの耐熱材)を巻きつけるのは、放熱を抑え内部の排気温度を高く保つため。これにより音速も高くなって(温度が上昇すると、音速は高くなる)、前述の同調が起きる回転域が高回転側にシフト、高回転の伸びが得られるようになる。また、点火時期は高回転になればなるほど進角する(早める)というのが基本だが、出力のピークを過ぎた許容回転ギリギリのところでは、わずかながらだが逆に遅角(遅らせる)ことがある。遅角に伴う排気温度の上昇が、先のバンテージと同様の効果を生み出すことで、良好なレブ特性(オーバーレブに近い領域の伸びやかさ)につながるのだ。
これらとは逆に、排気温度を下げて音速を抑制するという試みもあった。ホンダのWGPマシン、NSR500では、排気管内に水を噴射することで、瞬時に排気温度を下げ、音速を低下させることで、同調効果を低回転側にシフト、低速回転域のトルク特性を向上させるとい手法が用いられていた。これはあくまでワークスマシンの特別な技術だが、電子制御技術が登場し、急速に進歩していった80年代から90年代にかけて、2ストロークにはさまざまな技術が導入されている。可変排気デバイスや電子制御バイパスを備えるキャブレター、3次元マップ制御のデジタルイグナイターなど、インジェクション化こそ進まなかったものの、あらゆる部分が電子制御技術で固められていった。その目的はより扱いやすい出力特性を獲得することにあった。
残念ながら公道向けの市販モデルでは、バイクブームが終焉を迎える90年代半ば頃を最後に2ストローク車の技術更新は止まってしまったが、競技用の市販レーサーでは2000年代まで、少しずつであったがアップデートが続いていた。筆者は2006〜07年頃に単気筒250ccの2ストローク車(スズキのモトクロスバイク、RM250)を試乗しているのだが、同時に試乗した4ストローク車よりも扱いやすかったことが強く印象に残っている。
競技の世界にも環境規制が及ぶようになったことで、こうした2ストロークモトクロッサーも消滅するものと思っていたのだが、2017年にKTMがTPI(Transfer Port Injection)と呼ばれる技術を搭載した市販モトクロスバイク(250/300EXC TPI)を発売。世界初とされる2ストロークの電子制御インジェクション技術は、その名の通り掃気ポートへのインジェクター配置がカギとなっている。そこには燃焼解析技術や電子制御技術の進歩という要素も大きく影響していると思われるが、この点については情報が皆無に近いため、あくまで筆者の予想である。機会があればぜひ深掘りしてみたいところだ。
80年代から90年代にかけて青春時代を過ごした筆者にとって、2ストロークと聞いて思い出すのは、ある回転を境に急激にトルクが立ち上がるという気難しさ、そしてなんといってもマフラーから吐き出される大量の白煙だ。しかし、ある意味欠点だらけのようでありながら、そこには不思議な魅力があった。だからこそ年老いて腹の出てしまった今も、RZV500Rなどという前世紀の遺物を手元に置き続けているわけだが、白煙がなくなって扱いやすくなったとしても、2ストローク復権の可能性を聞くと、なんだか嬉しい気分になってくる。MFi163で紹介している2ストロークエンジンは、スカベンジングポンプは別体のブロアーで、スリーブ弁こそ用いるものの、対向ピストンという、かつての二輪車用のそれとは似ても似つかない形態だが(誌面では一般的な単気筒の例も紹介)、そこで開発された技術は、いずれ二輪車にも降りてくるかもしれない。どんなカタチであれ、とても楽しみである。