1985年4月21日に行われたF1ポルトガルGP。「ロータス97T」のドライバーを務めたアイルトン・セナは、25歳になったばかりだった。自身初のポールポジションを獲得し、決勝でもスタートから終始トップを走行。2位のライバルには1分以上の大差をつけて勝利を手にした。
セナはロータスで6回優勝を果たし、モータースポーツ界だけではなく、スポーツ界のアイコン、そしてレジェンドとなった。また、セナの母国であるブラジルでは国の英雄として讃えられた。
ロータス97TのシャシーはF1では初のバージボードを使用。バージボードはフロントホイールとサイドポッドの間に位置しており、タイヤまわりの空気を清流させる効果を果たした。この方法は現在のモータースポーツにもいまだに存在し続けている。
セナとともに勝利を収めたこのロータス97Tは、「クラシック・チーム・ロータス」が保管、メンテナンスを行っている。クラシック・チーム・ロータスのマネージングディレクターであり、ロータスの創始者コリン・チャップマンの子息であるクライブ・チャップマンは「チーム・ロータスにとって、アイルトンがチームに加入したのはとても意味があった。父であるコリン・チャップマンが亡くなった後、チームはパニックになっていたが、アイルトンのテクニカルアビリティとドライビングスキル、そして何よりも高いモチベーションは、チーム全体を奮い立たせ、F1に挑戦し、成功を収めることができた」と語っている。
エルシーアイの高橋一穂代表もセナの大ファンのひとりで、レース用ヘルメットはセナのヘルメットデザインをベースに作られたものだったという。高橋代表はセナの思い出を次のように振り返っている。
「セナは勿論、努力も人一倍していたに違いありませんが、持って生まれた素質と才能がとにかく素晴らしかった。それはとくに雨の中のレースで際立っていました。一番印象的だったのは鈴鹿のレースで雨が降ってきたとき、宿敵アラン・プロストに対し圧倒的に速かった場面です。雨のコンディションは中々練習するタイミングが無いうえに、雨の降り方も一定ではなく路面も一定していない為、瞬間瞬間の状況の変化に対応する能力がすべてであり、この感覚、能力は今でもセナに勝るドライバーは居ないと思います。もし、あの事故さえ無ければと 今でも残念で仕方ありません」
アイルトン・セナはF1世界選手権において、1988年、1990年、1991年と3度にわたりワールドチャンピオンを獲得。日本では、レースを実況した古舘伊知郎アナウンサーによって付けられた「音速の貴公子」という異名がよく知られている。1994年のF1サンマリノGP決勝中の事故によりこの世を去ったが、今日でもレジェンドとして語り継がれている。