REPORT&PHOTO●大音安弘(OHTO Yasuhiro)
第4回目となった2019年の「Lamborghini Day Japan 」は、会場を東京周辺から大阪へと移し、大阪城周辺や御堂筋でのパレードランを実施。約200台の新旧ランボルギーニが集結した盛大なイベントとなった。メイン会場では、限定車「アヴェンタドールSVJ63ロードスター」のアジア初公開に加え、歌舞伎にインスピレートされた日本専用限定車のお披露目など、新型車の話題も多かったのだが、もうひとつの見所が、たった1日限定でオープンしたヒストリック・ミュージアムだ。今回は、屋内外合わせて、約10台が飾られた。
400GT2+2の後継として、1968年に登場したのが「イスレロ」だ。リトラクタブルヘッドライトを採用したクールなスタイルが特徴。4.0LのV12DOHCエンジンを搭載したFRクーペである点は、400GT2+2と同様だが、ボディサイズは、ひとまわり大きくすることで、居住性の改善を図っていた。ボディワークは、「マラッティ」という小さなカロッツェリアが担当。展示車は、エンジン性能の向上が図られたハイパフォーマンス仕様となる「S」だ。
ランボ初のミッドシップモデルである「ミウラ」の歴史は、1965年のトリノショーまで遡る。当初は、ミッドシップレイアウトのシャシーだけの展示であったが、世界初のV12気筒エンジン搭載のミッドシップモデルであることが大いに話題に。翌年のジュネーブショーでは、マルチェロ・ガンディーニによる美しいボディが組み合わされたことで、爆発的な人気へと繋がっていった。当初ランボルギーニでは、少量生産の限定車として送り出す予定であったが、その声に応える形で、量産車へと発展を遂げていく。展示車は、P400の発展版として登場した「P400S」だ。
2+2クーペのイスレロの後継車として、1970年に登場。4.0LV12気筒DOHCエンジンを搭載する高性能FRである点と実用性も加味した作りを受け継ぐが、モノコックボディを採用するなど、大きな発展も見せた。セミリトラクタブルヘッドライトが特徴的なスタイリングは、マルチェロ・ガンディーニの作。この頃のランボルギーニは、熱心に2+2FRモデルを手掛けていたが、同じく2+2FRファストバッククーペの「イスレロ」の生産終了とともに、2+2FRモデルの投入を終了。ミッドシップカーを中心としたスーパーカーメーカーの道を歩んでいくことなった。
ポルシェ911のマーケット参入を狙い、1970年のトリノショーで発表されたのが、ウラッコだ。2+2のキャビンのミッドシップには、新開発のV8エンジンを横置きに搭載。これにより極めてコンパクトなサイズで実現。そのデザインは、マルチェロ・ガンディーニによるものだ。またランボルギーニ初のフルモノコックボディの採用も、大きなトピックである。デビュー時は、2.5LのV8を搭載した「P250」を設定。のちに、パワフルな3.0LのV8「P300」と2.0LのV8「P200」が登場した。
ミウラの後継車として、1971年のジュネーブショーで初披露されたのが、イタリア語の方言で「驚いた!」という意味を持つ「クンタッシLP500」だ。マルチェロ・ガンディーニが手掛けたシザードアを備えたデザインは、未来的で人々を驚愕させた。ボディ構造は、セミモノコックを採用。12気筒エンジンを縦置きに収めながら、極めてコンパクトボディサイズを実現したが、その影響はキャビンに及び、極めてタイトなコクピットに繋がった。1974年の市販化モデル「LP400」を始め、幾度の改良が加えられ、1998年のランボルギーニ創業25周年記念モデル「25thアニバーサリー」を最後に、1990年まで製造された。ランボルギーニで最もロングセラーなモデルとなった。ちなみにカウンタックは、日本だけの呼び方である。
不死鳥のごとく、幾度かお蔵入りしたランボルギーニ・クロカン計画が、ついに市販化されたのが、1986年デビューの「LM002」だ。プロトタイプでは、チーターやLM001などのプロトタイプは、リヤにV8エンジンを収めていたが、LM002は、現実的な選択として、フロントエンジンに変更。その代わりに、ランボルギーニのフラッグシップである「カウンタックLP5000クワトロバルボーレ」に搭載された5.2LのV12気筒エンジンを専用チューニングを施して収めていた。副変速付きパートタイム4WDシステムによる本格的なオフロード走行を可能としながらも、最高速210㎞/hを達成。キャビンの4名分シートに加え、荷台にも簡易シートも備える。インテリアは、フルレザー内装で、エアコンによる快適な移動空間が提供された。
カウンタックからフラッグシップモデルとしてのバトンを受け継いだのが、1990年登場の「ディアブロ」だ。その名は、「悪魔」を意味するが、これも伝統に乗っ取り、伝説の闘牛にちなんだものだ。その力強いスタイルは、ガンディーニのデザインをベースとするが、当時の親会社であるクライスラーのデザイン部で、空力や安全面を意識した手直しが加えられた。カウンタックから受け継がれたシザードアと12気筒エンジンは、この後、ランボルギーニ・フラッグシップモデルの証となった。当初は、後輪駆動車のみであったが、1993年には、初の4WDモデル「VT」を設定。さらにオープンモデルのロードスターなども追加された。1999年からは、固定式ヘッドライトに変更するが、その部品として、日産フェアレディZ(Z32)のヘッドライトユニットが流用されたことは有名なエピソードだ。展示車は、GT2カテゴリーモデルをロードカーに仕立てた限定車「GT」だ。
2001年のフランクフルトモーターショーでデビューを飾ったのが、新世代フラッグシップモデル「ムルシエラゴ」だ。アウディ傘下に収まってからの初の新型車であるが、まだアウディの影響が少なく、メカニズムは、伝統的な部分も多い。最大の特徴は、4WDを標準化することで、走行安定性を高めたことにある。パワートレインは、ディアブロのV12気筒DOHCをベースに改良を施し、性能を向上。当初6.2Lだったエンジンは、最終的には6.5Lまでスープアップされた。トランスミッションは、6速MTを基本とするが、後に6速セミオートマチック「e-gear」も採用された。ただし、オートマモードは採用されていない。まさにランボルギーニ伝統的なクルマ作りに、その後のスーパーカートレンドを盛り込んだ過渡期の近代ランボの基礎的なモデルであるが、その分、キャラクターも濃かったといえよう。
アウトモビリ・ランボルギーニの創業者フェルッチオ・ランボルギーニの生誕100周年を記念し、2016年にジュネーブショーで発表されたのが、「チェンテナリオ」だ。全世界でクーペとロードスターがそれぞれ20台ずつが限定販売された。フラッグシップモデルの「アヴェンタドール」をベースとするが、専用エクステリアが与えられるほか、モノコックを含めたすべてのボディパーツはカーボンファイバー製とすることで軽量化を実現。搭載されるV12気筒DOHCエンジンは、770psまで性能向上が図られた。撮影車は、「チェンテナリオ・ロードスター」に、新車購入ユーザーが、カスタムオーダーを行ったもので、ルーフレス構造などの特徴を持つ。
当時、ランボルギーニの技術者だったボブ・ウォレスが、ワンオフで作り上げたランボルギーニのレーシングマシンである「イオタ」。その存在は、広く顧客にも知られていたという。ただレースに参戦する意思はなかったフェルッチオ・ランボルギーニは、熱心に購入を迫った常連客に、「イオタ」を売却してしまう。結果的に、イオタは事故により消失してしまう運命を辿る。しかしながら、失われつつも、その魅力に取りつかれた顧客たちは、レプリカを望み、最終的には、6台の公式レプリカが送り出されることになった。その中で最もレーシーな存在が、このミウラSVRだ。ある顧客が愛車だったミウラSを持ち込み、ランボルギーニにオーダーしたモデルは、リヤオーバーフェンダーやリヤスポイラーなどイオタの特徴をより色濃く反映させたことから、最も本物に近いイオタ仕様として、多くのランボルギーニファンから熱い視線が注がれてきた一台である。