グループの7人は廃車寸前のいすゞ・ジェミニを入手し、シャシダイナモ上で用いていたペダル/シフト操作のためのエアシリンダーを駆使し、そのジェミニに備え付けた。制御のためのマイコンは、メンバーのひとりが60万円を原資金に秋葉原へ出向き部品を調達、手作りで装置を作り上げた。ひとまず、自動操作のための仕組みは自作と工夫でなんとかしたのである。
装置ができても、その装置に何をさせるかを覚え込ませないといけない。「変速動作とは何か」を問い直す作業が始まった。ところがシフトアップひとつをとってみても、クラッチの断続やシフトノブの操作タイミングなどは十人十色。当然のことながら解析は難航し、プログラム化は困難を極めた。畔柳氏は「この作業で人間の微妙な感覚のすばらしさとそれに従順に対応するメカニズムの素直さにあらためて感心させられたものだ」と振り返っている。ゼロから操作を細かく見直したことが、その後のシステム開発に大きく寄与した。
紆余曲折を経て、どうにか試作車ができあがった。キャビンは乗員の乗り込むスペース以外がすべて機械で埋め尽くされるような有様の改造ジェミニは、少々のトラブルはあったものの自動で変速を成し遂げ、走ったのである。それを聞きつけた当時の前社長・岡本利雄氏が試乗、このプロジェクトは一気に量産化への道を辿ることとなる。1981年の秋のこと、NAVi5の登場までわずか3年しかなかった。