(文:安部譲二 イラスト:鐘尾 隆)
今から11年前の88年に、僕は離婚した挙句にバブルが弾けるというダブルパンチを、見事に喰らって、ほとんどホームレスになる寸前まで追い込まれてしまいました。
正に瞬間的に見舞われたマイク・タイソンの、左フックに続く右のショート・ストレートのようなもので、気がついた時には妻もいなければ、それまで乗りまわしていたキャデラックやメルセデスもなく、家も湘南の海岸ペリにあった仕事場もありません。
借金だけが気の遠くなるほどありました。
ゴロツキだったころは数年、塀の中へ姿を消してしまえば借金はおおむねチャラになるのですが、堅気の小説家ではそうするわけにもいきません。
仕方がないので一所懸命どんな仕事でも取って、夢中になって働きました。
正月の3日間を休むだけで、土曜日も日曜日も夏休みもなしで働き続けたら、89年には小さな国産車なら何とか買えるようになったのです。
それまでは友人にもらったボロボロのスバル・レオーネを、だましだまし乗っていました。
現代の小説家には、余程、偉くなれば別ですが僕たち程度ではクルマが絶対に必要です。
いざ仕事となればどこへでも、運転して素っ飛んで行かなければなりません。
それにはオンボロでは不安でした。
すぐJAFが来てくれるところならともかく、人里離れた辺鄙なところに行くのには不安があります。
早い話が都内でも夢の島の先っぽで、雨の夜にクルマが動かなくなってしまったら、これはもう想像したくもない悪夢のようなことでした。
借金は残っていても、とりあえず金が工面できるようになったら、速くなくてもいいから信頼に足るクルマを手に入れなければいけないと、痛切に僕は思ったのです。
必要だから手に入れるクルマなので、これまでのように趣味性の強いものではありません。
とりあえずのニーズを満たすクルマで、一番安いのを買おうと僕は決めました。
大阪でも岡山でも仕事とあらば飛んで行くのに不安のないクルマで、4ドアセダンと条件を決めて、僕は国産小型車のカタログを集めたのです。
なぜ2ドアではなくて、4ドアでなければならなかったというと、その頃、口説いていた現在の女房が、時々母親を病院まで連れて行ってあげなければならないという事情が、あったからでした。
マーチ、フェスティバ、スターレットと、いろいろカタログを見たのですが、いくら貧乏だといってもどうにもピンと来ません。
遊び心がなくて実用性ばかりのクルマは、いくら必要だからといっても、僕には魅力が全く感じられなかったのです。
いっそ、ホンダのツーシーターにしようか……、とも思ったのですが、これでは付き合いでするゴルフのクラブも載らないし、婆様を病院に連れていくわけにはいきません。
考えあぐねた末に、カタログを見ただけでマツダのレビューに僕は決めました。
円くて背の高い何ともいえずユーモラスなスタイルが、国産の小型車の中では一番、僕にはピンと来たのです。
マツダが奥様やお嬢さん方のために開発した小型車だということは、カタログを見ただけでクルマ好きな僕には分かりました。
1500㏄で80馬力あれば、僕の必要性は十分に満たします。
エアコンも全て付いていて152万円という価格設定も、僕には好感が持てました。
最初の値段が安くても、必要なものをオプションで付けると、呆れるような値段になってしまうクルマを僕は好みません。
僕は近くにあったレビューのディーラーに、トコトコ出掛けて行ったのです。
ショールームは閑散としていて、若いボンヤリした顔の営業がひとりだけいました。
「赤い塗色の1500㏄のレビューで、キャンバストップの奴を1台、売ってくれ」
と、いきなり僕はいったのです。
若い営業の男の説明なんて、カタログを隅から隅まで何度も繰り返し熟読した僕には、必要ありません。
それに、この営業マンが生まれる前から、僕はクルマに乗り続けた男でした。
顔と心は似ているようで、この若い男は、
「ヘーエ」
なんて間の抜けた声を出したのです。
打てば響くなんてタイプでは全くありません。
マツダはどうしてこんな気の利かない若い男を、たったひとりでショールームに置いておくのかと、気の短い僕はイライラしました。
しかし説明も一切聞かず、試乗もしないで買うという客も、そう滅多にはいないのかもしれません。
「下取りはない。いくら値引きするんだ」
僕がほとんど叫んだのに、若い営業マンは目をパチパチするだけで、何も返事をしませんでした。
「お前じゃ駄目だ。ここで一番偉い奴を出せ」
僕が叫ばずに吠えたら、若い男は、他の者は誰も居ないし何時に戻ってくるか分からないと訛の強い日本語で、ゆっくりいったのです。
「本社でもどこへでも電話を掛けて、誰かに訊けよ」
それでやめておけばいいのに、僕はつい冗談をいってしまいました。
「値引きだけで他には何もアクセサリーは要らないから、キョンキョンをひとりだけつけてくれ」
その頃テレビCMでキョンキョンこと小泉今日子が、合成画面で4人一緒にレビューに乗って、唄いながら走りまわっていたのです。
「俺も、もう歳だから、キョンキョンは4人も要らない。ひとりだけでいいよ」
と、いった冗談が、若い営業マンの理解を遠く越えていたのです。
ついたての裏に引っ込んだ若い男は、どこかに電話を掛けて、
「安部譲二が店頭に来て、レビューを買うから小泉今日子さんをひとり、サービスにつけろといっています」
と、俺にはさんを付けずにいったのですが、さっぱり話が通じなかったようでした。
散々、方々に電話をした挙句に、その若い男はついたての裏から出て来ると、
「小泉今日子さんは、お付け出来ませんが、毛ばたきを1本サービスします」
極く真面目な、けど真に詰らない顔でいったので、僕は通じない冗談をいって時間を無駄にしたことをつくづく後悔したのです。
そんな馬鹿なことがあって、やっと手に入れたレビューはしかしとてもよく走りました。
もし警察の方がGENROQ(※編集部注)を読んだら、もう時効で、この頃は制限速度を守っていますと謝るのですが、急いでいる時にアクセルペダルを床につくまで踏んづけると、小刻みに車体を横に振りながらも、レビューは150km/hを超えたのです。
テレビ局の楽屋でキョンキョンのマネージャーに会った僕は、その間の抜けた若い男のことを話して、
「知ってるか。マツダでは小泉今日子と毛ばたきは、ほとんど同じ値打ちなんだぞ」
といったら、これは冗談の通じる垢抜けた男で、
「参りましたね」
と叫んで、喉仏を見せて笑いました。
レビューは忠実に素晴らしく走ってくれたので、僕はそれから4年4ヵ月も乗ったのです。
※当時掲載していた自動車雑誌『GENROQ』