(文:安部譲二 イラスト:鐘尾 隆)
それは、思わず息を呑むほど美しいクルマでした。
ただ美しいだけではありません。
これが都会のエスプリだ……とでもいうような、なんともいえず粋で洒落たフォルムをしていたのです。
感じはルノーのフロリードや、MG‐Aのハードトップに似ていましたが、その線を遠く遙かに超えていました。
初めて見たのは、昭和30年代の終わりでした。
葉山のお宅のガレージに納まっていたそのクルマは、品のいいアイボリーで、
「うわぁ、こんなクルマは俺が乗っても、とてもじゃないけどさまにはならない」
と、自惚れの強い僕にも思えたほど、優雅でしかも垢抜けていたのです。
これは自分にはとても駄目だと、チンピラの僕は思いました。
クルマにも人にも格というものが厳然としてあります。
いくら金を持っているからといって成金の親爺が、ロールス・ロイスのコーニッシュに得意になって乗っていても、娘っ子ならいざ知らず、目の肥えた大人には、自分のクルマだとは思ってもらえません。
修理屋のオッサンが、お届けにあがるのだろう……ぐらいにしか見えないのです。
僕自身、23歳の時に新車のコンテッサに乗っていて、交差点で横に並んだタクシーの運転手に、
「白タクなんかやってないで、ウチの会社なら使ってくれるぜ」
なんていわれたことがありました。
その声を掛けてくれた運転手は、少年鑑別所で同じ房にいた友人で、親切にいってくれたのですが、とても僕は小型の国産車でも、オーナードライバーには見えなかったのです。
余談ですが親分衆に流行のメルセデスは、堅過ぎてあまり格好よくはありません。
矢張りギャングの本場アメリカの巨きなクルマがよくて、キャデラックのフリートウッドか、クライスラーのニューヨーカー、そうでもなければ特注のリムジンが、その道の親分にはピタリとはまるのです。
それと同じことがサラリーマンにもいえて、昭和30年代の終わりにタウナスが、思い切った当時の近代デザインで、空飛ぶ円盤のようなフォルムのクルマを造って人気になった頃、
「なぜあれを買わないで、変わりばえのしないオースチンなんかにしたのだ」
と、僕にいわれたオランダ人の40男は、
「あれは僕のような銀行員が銀行に乗って行くクルマではないよ。お客や取り引き先の人の見る目というものがあるんだ」
なんていったのでした。
だんだん東京でもチラホラ見るようになった、その凄いというよりむしろ夢のようなクルマを、好きな友人に訊いたら「ボルボのP1800というのさ」と、得意そうにいったので、僕は魂消てしまいました。
その頃のボルボはアマゾンで、積算距離計が他のクルマは5桁までなのに、6桁まである丈夫なのが自慢のメーカーです。
プジョーかシムカか、そうでもなければファセルベガかアルファロメオだろうと、僕は思っていました。
あのゴツイクルマを造り続けていたボルボが、あんなに美しくて品がいいクーペを造ったのが意外で、
「あ、きっとボルボの社長は、女優さんかモデルか、とにかくとびきり美しくてセンスのいい愛人が出来て、その女の方の影響で、この今までに僕が見たこともなかったほどの都会的で垢抜けているクルマを造ったのに違いない」
なんて思ったのでした。
その頃はチンピラから、やっと兄貴と呼ばれるようになった若い僕でしたが、こうして思い出してみると、我ながらかなりな想像力が豊かだったと思います。
ボルボはそれまでクルマに限らず何でも頑丈で永持ちする物を愛する北欧の人たちに応えて、あくまで質実剛健なクルマを造り続けて来たメーカーでした。
僕はアマゾンも、その前のP544にも乗りましたが、とてもバランスのいい正確な仕上げの信頼できるクルマという印象がありました。
しかし都会の盛り場でゴロツキをしていた僕の、乗るクルマではありません。
それこそ銀行か製鉄会社のミドルマネージメントに、ふさわしい堅実なクルマでした。そのボルボが、突然、洗練された世にも美しいクルマを市場に出したのです。
恐らく大変な額の開発費が、投じられたのに違いありません。
オケイジョナルシートは付いていましたが、ふたりがドライブするのが目的のクーペですから、これまでボルボが売って来た客とは、全く違う層の客を対象にして、この惚れぼれとするクルマを造ったのです。
それまでジャガーやアルファロメオ、それにBMWやトライアンフに乗っていた層を相手に、ボルボは勝負を掛けました。
あいにく友人には誰も持っていた者がいなかったので、スペックを見て性能を想像するしかありません。
細かい仕様と数字は忘れましたが、この美しいクーペは、スポーツカーというよりも、むしろグランツーリスモだと僕は思いました。
タイヤを鳴らしてコーナリングしたり、ローで引っ張り、セカンドでオーバーレブさせて、信号機レースで相手にエキゾーストの煙を、吹き掛けるようなクルマではありません。
まともな職業に就いていて優雅で品位のある男が、スリムで姿がよく下卑た声を決して出さない物腰が穏やかで綺麗な女を乗せて、別荘かゴルフクラブかヨットハーバーに、滑るように、道を吹きぬけて行く風のように走って行くクルマなのです。
それから10年ほどの時が流れて、40近くなった僕は住んでいた赤坂のマンションの別の階に、愛人の女優を住まわせました。
本当に図々しい話ですが、これはやってみると、とても塩梅がいいのです。
「あ、煙草が切れた。散歩ついでに買いに行って来るけど、本屋にも寄るから1時間は掛る」
なんて女房に言って、普段着のまま同じマンションの愛人の部屋に、僕はスルリと入り込んでしまいます。
煙草はショートホープで、愛人の部屋に何カートンも用意してありました。
こんなに具合のいいことも、そうはないというような、僕の大発明です。
何も気が付かなかった女房は、このマンションに、名前は忘れたけど女優かタレントがいると、僕に教えてくれたりしました。
その愛人に僕は、とても程度のいいボルボのP1800を買ってあげたのです。
少しオレンジが入った明るい赤のマニュアル車でした。
クルマに趣味のなかった愛人は、美しさには驚いたのですが、マニュアル車だということと、新車ではないのが不満だったのです。
「友達がコルベアのオートマに乗ってるけど、とても運転が楽だっていってたわ」
と、いったのを聞いて、僕はウンザリしてしまいました。
いくら綺麗で姿がよくて、ベッドに入ると恥を忘れる女でも、クルマに対する価値観がこうまで違っては、そう永く高い手当てを払って愛人にしているわけにもいきません。
僕の夢のボルボをあまり気に入らなかった愛人を、いつお払い箱にしてやろうかと思い始めた頃、先手を取って姿を消してしまいました。
憮然とした僕は、ショートホープを何カートンも買って家に置いたのです。
乗って出て行った赤いボルボは、どうなってしまったのでしょう。
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