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揺るぎないブランド力を放っているクレンツェの凄まじさは、四半世紀もドレスアップフリークを虜にし続けられる実力だ。
長い年月を隔てればトレンドは移り変わるだろうし、ユーザー層も入れ代わる。それでも熱い想いを秘めているユーザーには支持される。時代は変わろうともドレスアップというカテゴリーが存在して、楽しむ人間の情熱は少しもかわらないことを、確信しているからこその快挙だと、断言できる。
クレンツェとはウェッズが展開している数あるアルミホイールブランドのなかのひとつ。各ブランドには個性があり、ドレスアップ以外にも、走り系やオフロード系などに対応する。ホイールの魅力は、それぞれのカテゴリーで判断基準や価値観は異なるが、ドレスアップという分野を鑑みればクレンツェは、揺るぎないフラッグシップの役割を担っている。さらに付け加えれば、ジャンルの垣根を越えた強烈なオーラも感じる。他のブランドを圧倒するほどの存在感を醸し出しているのだ。
「クレンツェらしい」で通じてしまうほど、そのキャラクターは刺激に満ちあふれている。まるで彫刻のように立体的で表情が豊かで、華やかに振る舞う。この艶やかさに、どれだけのドレスアツプ好きがやられてしまったことか……。
「そんな魅惑のブランドであるクレンツェを生み出したウェッズには、その功績を裏付けるような出来事があるんです」と、ホイールの開発に携わっている中村氏。歴史は古く、シートカバーなどの自動車用品を取り扱う会社として1965年に設立。すでに1969年には日本製のカスタムホイールであるエルスターの販売を手掛けていたという。素材はアルミでなくスチールという時代だ。見た目のインパクトを得るためにメッキ加工で対応していた。まだ、会社名がウェッズではなく、その前身となる日宝の頃のエピソードだ。
1973年に現在のウェッズとなり、本社もそれまでの大阪から東京へ移転。さらにホイール製造部門を立ち上げて、ホイールメーカーとしての基盤を築き上げる。
その勢いに乗って、なんと1977年に日本のメーカーでは初となるアルミ鍛造3ピースホイールのレーシングフォージを作り上げた。スチールホイールを手掛けて、まだ10年も経っていないのに、製造の困難な鍛造に挑んだ。紛れもなくウェッズのやる気と本気がみなぎる出来事だ。その時期からレースにも携わり、すでにスポンサードも行っていた。
日本のメーカーとしては初となる、鍛造製法で仕上げた3ピースのレーシングフォージ。なんとも懐かしいクラシカルな風合いの中に機能美がほとばしる硬派なデザイン。
ターゲットの主流はモータースポーツであり、その迫力を街中でチューニングとして楽しむユーザーが出始めた頃だ。まだ、ドレスアップというジャンルは確立されていなかった。ウェッズとしてはアルミホイールの行く末を掴みきれず、とにかく必死に製品を作っていた頃でもある。
「当時は、製品名が翌年にブランドになったりと、臨機応変に対応していました。とにかく多くの製品が誕生して、反響がなければ消えていく。クレンツェもその中のひとつでした」。中村氏はクレンツェがフラッグシップとして登場したのではないことを教えてくれた。デビューは1994年。25年近くも前になる。最初のラインアップは3ピースのディッシュデザインと5スポークデザインで、製品名は単純明快にディッシュとスポーク。現在では考えられない16インチと17インチに対応だ。カタログには前から数えて7ブランド目に掲載される。人気や注目度を考慮した、その他大勢の順番だ。
ところが、売れた。7ブランド目にも関わらず、作り手の思惑を遥かに超える“いきなり”の反響だ。
「思いも寄らない大ヒットです。何しろ次の年にはカタログのトップを飾っていますから」。しかも、それが一発で終わらずに現在まで継続してしていることが、驚異だと中村氏。四半世紀もトップを独走している怪物ブランドになった。
不動の地位を確保したクレンツェは、ウェッズブランドの差別化を図るきっかけにもなった。すでにドレスアップが特別なものでなく市民権を得た頃だ。ハイエンド3ピースのクレンツェを筆頭に、2ピースのマーベリック、1ピースのレオニス、リーズナブルな1ピースのライツレーというブランドが確立された。そこにオフローダーやハイエースに的を絞ったウェッズアドベンチャーと、機能性を重視したウェッズスポーツで脇を固める盤石な態勢だ。
「表向きは、とても順調にいっているようですが、舞台裏はヒットを狙って常に真剣勝負で臨んでいます」。初期の頃からクレンツェはひとりのデザイナーの感性の赴くままに生み出していたという。「その昔は正式な社内での話し合いもなく、出来上がった作品をユーザーに提供していくという流れでした」。賛否両論は当然だが、ユーザーからの熱烈な賛同が圧倒的に多いから、それを続けていたことになる。デザイナー冥利に尽きると言えるが、熾烈だ。
中村氏はデザイナーが生み出したアイデアを、実際にクルマへ装着できるように細部を設計していく。言わばデザインに息吹を与えるような仕事で、席はデザイナーの真横だ。「パソコンのモニターを睨んで格闘しているデザイナーの思いは、知らず知らずのうちに把握できるようになりましたね」。午前中から一切会話をしなくとも、夜になって「あれ、どう思う」という突然のデザイナーの質問に「ダメだと思う」と中村氏なら答えられる。傍から見ると不思議だが、モニター内のとある場所にずっとカーソルを彷徨わせていれば、「あれ」が何かは見当がつく。デザイナーが唯一、意見を求める人物であり、もしかすると冷静な分、デザイナー本人よりもデザインを知り尽くしているかもしれない。
商品企画部 商品開発課 課長代理 中村 立
ウェッズには2000年4月に入社。デザイナーが生み出した形状を最終的に、実用に耐えられるように設計している。「ホイールは置き物ではないので、ちゃんと履けて走れるようにしています」。
クレンツェというブランド内でも個別のシリーズ化を行うことになる。新作は年にひとつ。そのデザインをベースに翌年に1ピース風の2ピースとして登場させる。それがエボシリーズだ。こちらも好調だが、好調過ぎて「エボ待ち」現象が生まれてしまった。エボが出るまで1年待つのだ。そんなユーザーが増えたので、現在は1ピースモデルとして同時に発売している。
前年のデザインにアレンジを加えて4ホール専用に仕立てた2ピースホイールがクラインフォルムシリーズだ。こちらも反響を呼んだ。そのため、デザインをまったく別物にして独立させている。
クレンツェの演出はディスクのデザインのみならずカラーやセンターキャップにも及ぶ。クレンツェではハズせないSBCポリッシュは、世界初の技術を使った色調だ。スパッタリングを施してから、表面を削ることで得られる質感の違いで、深みを出す。5角形のセンターキャップにも挑戦した。センターを出すのが難しい加工屋泣かせだったという。
2017年にはデザイナーが変わって心機一転。カタログの雰囲気まで一新した。「エンドユーザーからのナマの声もデザインに反映するようになりました」。もちろん肝心の独創的で癖のあるデザインは健在。新作のウィーバルを見れば納得するはずだ。それは新たなる躍進の序章として、十分な手応えではないか。
1999年デビューのケルベロスが、クレンツェならではの気品と刺激を融合した独自のキャラクターを構築したと言える。未だに探しているユーザーも存在する。
2007年の作品であるヴィシュヌは奇抜な、ひねりフィンが印象的。この年にSBCポリッシュが初採用されて、その独特の光沢がひねり具合を象徴させた。
デザイナーが変わって初となるフェルゼンは2017年に登場。繊細な作り込みが冴えるラグジュアリー仕立てで、それまでのクレンツェらしさを踏襲する。
細く切った紙をひねってヒモ状にする“こより”をイネージしてデザイン。もはや2次元では表現しきれない複雑な造形だ。
立体的なセンターキャップは4つの部品から手作りで仕上げる。
1ピース形状となり、スポークがリムの外周まで伸びやかに届いているので、ホイール全体がより大きく見えて、工夫を凝らしているデザインが大迫力で堪能できる。
シンプルそうでいて、実は見れば見るほど創意工夫を取り入れたコクのある造形を演出している。躍動感を持った風格のある、ひと味違ったメッシュデザインだ。