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多くのオオカミに触れた書籍や文章では、「日本では古来オオカミを災禍から人を守る神として崇め、敬ってきた。その名も大口真神。」と記されています。1905年に日本列島から絶滅したニホンオオカミについて、現代人は愛惜と崇敬の思いを惜しみません。
しかし、もし本当に日本人がオオカミを信仰していたのなら、なぜ明治の文明開化からわずか半世紀も経たないうちに、オオカミを根こそぎ殺し尽くしてしまうでしょうか。本当に日本人はオオカミを信仰していたのでしょうか。
もっとも古く、かつ権威のあるオオカミ信仰の根拠としてあげられるのが、日本最初の国史『日本書紀』です。該当箇所を書き出してみましょう。
即ち日本武尊、信濃に進入(いでま)しぬ。是の國は、山高く谷幽(ふか)し。(中略)然るに日本武尊、烟(けぶり)を抜け、霧を凌ぎて、遥(はるか)に大山(みたけ)をわたりたまふ。既に峯に逮(いた)りて、飢(つか)れたまふ。山の中に食(みをし)す。山の神、王(みこ ※日本武尊のこと)を苦(くるし)びしめむとして、白き鹿(かせき)と化(な)りて王の前に立つ。
王異(あやし)びたまひて、一箇蒜(ひとつのひる ※ニンニクの一種)を以て白き鹿に弾(はじきか)けつ。即ち眼(まなこ)に中(あた)りて殺しつ。爰(ここ)に王、忽(たちまち)に道を失ひて、出づる所を知らず。時に白き狗(いぬ)、自(おの)づからに來(まうき)て、王を導きまつる状(かたち)有り。狗に随(したが)ひて、行でまして、美濃に出づること得つ。(『日本書紀』景行天皇四十年是歳)
実際に本文を読むとわかるのは、登場するのが「白き狗」=白犬であって、オオカミではないということです。欽明天皇の章で、オオカミに触れたくだりがあり、そこでは明確に「狼(おほかみ)」と書かれているので、日本武尊を助けたのがオオカミであるとするのはテキストの誤読でしょう。
『古事記』にこの逸話と対応する段は、中巻・景行天皇の章での皇子倭健命(日本書紀の日本武尊)が、相模國(神奈川県西部)の足柄山で休憩をし、食事をとった時、「山鬼」が倭健命を惑わせんと白い鹿に変じてあらわれ、これを食べかけの蒜を投げつけると死んでしまった、という逸話です。ここで倭健命はなぜか亡くなった恋人を唐突に思い出し「吾妻(あがつま)よ」と嘆いたことから、関東周辺の東国を「吾妻=あづま」と呼ぶようになったという地名縁起譚が語られるのみで、オオカミどころか白い犬すら登場しません。
そうなのです。「大口真神」という神は、そもそも記紀にも、またその他の諸伝承にも登場しないのです。『萬葉集』には、
大口の眞神の原に零(ふ)る雪は甚(いた)くな零りそ家もあらなくに (舎人娘子の雪の歌一首 巻八・一六三六)
とありますが、これは奈良県明日香村付近の原野の地名で、神名ではありません。第一、「真神」=真の神とは何のことでしょうか。もしオオカミが真の神であるならば、神道体系の最高神である天之御中主神も、皇室祖神である天照大神も、建国の神である大国主神も、真の神ではない、ということになってしまいます。
民俗学者やニホンオオカミファンの間では、「牧畜が盛んだった西洋では、オオカミを崇めてきた日本と違い、家畜を襲うオオカミは悪者で憎まれる存在だった」という言説が定着し、疑う者はほとんどない状況です。しかしこれも実は怪しい俗説です。
確かにグリム童話の「赤ずきん」「狼と七匹の子ヤギ」などの童話や、狼男というモンスターなど、オオカミが悪役の物語はよく見られます。けれども、ロシア民話の「イワン王子と火の鳥と灰色狼」では、主人公を助ける重要な存在としてオオカミが登場しますし、ジャック・ロンドン(Jack London)の「白い牙」、シートン(Ernest Thompson Seton)の「狼王ロボ」などのオオカミを主役とした動物物語も多くあり、西洋人のオオカミ観には、むしろオオカミの持つ家族愛や勇猛さや孤高さを讃え、尊崇する気風も感じられるのです。
この両義的なイメージは、西洋人がオオカミを古くから強く意識してきたことの表れとも言えるでしょう。対して、日本人は西洋人ほどには実はオオカミを意識してこなかった、と言えます。キツネやタヌキ、ウサギやネズミなどは頻々と登場する中、民話にも数えるほどしかオオカミが登場しないのです。
そう、日本人は、オオカミに対して良くも悪くも大きな関心を持ってこなかったのです。実際には、明治に入り牧畜が全国的に導入され、オオカミ狩りが大々的に行われるようになった経緯を見ますと、「オオカミを悪として見てきた西洋人」というのは、明治以降にオオカミを邪魔者扱いして駆逐した日本人自身の投影とすら思えます。また、20世紀後半になると絶滅してしまったオオカミへの愛惜・憧憬の念がつのるように、戸川幸夫氏の「牙王物語」などのオオカミを主人公にした物語が日本で盛んに創作されるようになりますが、このロマンチックなオオカミ愛も、実は西洋からの輸入観念と言えます。
こうして、「日本は古くからオオカミを篤く信仰してきた」というファンタジーの証拠探しが始まります。
「狼信仰」を語る書籍文献には、日本武尊の道案内をした白い狼に、武尊が「大口真神として山にとどまり、全ての魔物を退治せよ」とお命じになった、という縁起譚が語られます。信仰信心の場である社寺が、その霊験を示すための物語を独自に語ることはよくありますし、とがめだてするべきでもありません。問題なのは、個別の神社が語るローカルな伝承を、「日本人は狼を信仰してきた」という学術的根拠にしてしまうことです。
もっとも、日本にはまったく狼信仰がなかったとも言えません。実際、猪鹿風雹などの農作物被害の防除に効果がある、という信仰は、たとえば1780年の『武蔵演路』(大橋方長)に「曽て狼ありて田畑を守護し諸獣を入れず」と記されているのに見えますし、空海が伊予(愛媛県)を行脚中、一宿一飯の恩義を受けた農家が「このあたりは野猪が多くて難儀している」とこぼすと、何やら紙に書き厳封をし、「これを田畑に掲げておけば猪の害は止む。ただし封を決して破ってはならない」と言いおいて去りました。実際それからぴたりと野猪の害はなくなったが、百姓が不思議に思い何が書いてあるのかとつい封を破り開けてみてしまった。そこには一匹の犬が描かれており、その犬がたちまち紙から抜け出して駆け去ってしまった。四国の犬神の起こりはそれが由来である、という伝承があります。
オオカミ、または大きくヤマイヌや犬をふくめて霊的存在と捉える信仰には、大きく分けて三つの側面があります。
(1) 四国を中心にした犬神信仰。これは主に邪法を行う邪霊・憑神とされ、犬とは言うものの、その姿は犬というよりは胴体の長い奇妙な小動物で、蛇神や天狗とも関係性があります。
(2) 日本書紀では「白き狗」として登場し、「桃太郎」や「花咲か爺」などの民話にも登場し、人を援ける神通力を持つ良き犬です。わかりやすく「白い犬」としましょう。
(3) 山岳系寺社の眷属として、火伏や害獣除け、憑物落としなどの霊力を持つとされるオオカミ-ヤマイヌで、(1)と(2)の中間的存在とも言えます。
この三つは互いに影響しあい、習合しつつ重なっているのでわかりにくい部分もありますが、しかし「イヌ信仰」には三つの側面があるのは確かなのです。
さて、そんなオオカミ信仰の深層を探るには、オオカミを眷属として使役する神とは何者なのか、を知ることで見えてくるかもしれません。オオカミ(おいぬ様)を眷属とする神社は全国にいくつか知られていますが、たとえば武蔵御嶽神社は、明治の神仏分離令以前は蔵王権現菩薩という蔵王山を神格化した修験の寺でした。埼玉県の三峯神社は、これもまた江戸時代までは天台宗の聖護院に属するバリバリのお寺で、観音院高雲寺と号しました。
対して、オオカミの天井絵で有名な福島県飯館村の虎捕山津見神社の祭神は大山津見神(おおやまつみのかみ)。そして静岡の山住神社も、同様に大山津見神です。遠州天竜川の上流の山奥深く、南アルプスの手前にある標高1,100mの水窪(みさくぼ)に鎮座する山住神社は、日本総鎮守とされる伊予の大山住神社より分霊され、山住神社の魔除けの札は、絶大な霊験があるとされました。
この神社系のオオカミの主神・「大山津見神」こそ、複雑なオオカミ-イヌ信仰の諸相を解きほぐすキーワードなのです。
後編では、大山津見神とオオカミの関係、そして「いぬ」という名のそもそもの由来、さらには安産祈願としての「戌の日の腹帯」信仰の由縁から見えてくる「白き狗」の正体、オオカミの絶滅の理由について考察したいと思います。
参考・参照
憑物呪法全書 豊嶋泰國 原書房
日本書紀 岩波書店
山住神社の例大祭(春と秋)- 水窪情報サイト|水窪観光協会