立春を過ぎた頃から、顕著に飛散が活発化しだすスギ花粉。スギ林はこの時期、樹冠全体が雄花の赤褐色に染まり、まるで紅葉しているように見えます。現代病ともいえる花粉症(花粉アレルギー)のせいで、スギの木といえば近年は花粉をまきちらす犯人として語られるばかりで、スギのもつ優れた特性、人への恩恵が忘れられがちなのが残念です。その花粉症すら実はスギ自体のせいではないかもしれない、ということを含めて、この偉大なる樹木について、しばし語ります。

樹齢5,000年以上ともされる神々しい屋久島縄文杉の威容


日本列島の大長老・スギ。その生命力がすごすぎる

スギの仲間(スギ亜科)は広義にはマツ目ヒノキ科スギ亜科に属する常緑針葉樹で、約15種がアジア、北アメリカ大陸、南半球のタスマニア島に分布し、日本列島に自然分布するのは約200万年前に進化出現したスギ(杉 Cryptomeria japonica)一種のみ。私たちにとっては当たり前のように眺めているスギ林は、決してありふれたものではなく、日本独特の景観といえます。湿潤な環境を好み、雨量の多い日本列島には太古には本州北端から鹿児島県の屋久島まで、平地や山地にスギの大森林が広がっていたことがわかっています。
「すぎ」の語源は「まっすぐ」に伸びる木、「すくすく」伸びる木、あるいは他の樹木からぬきんでて「過ぎぬく」木、とも考えられ、その名のとおり日本の樹種の中でもっとも背が高く成長し、高さは40メートルを越し、秋田県の日本一の高さの杉は60メートルにも迫ります。
世界でも北アメリカ西岸に産するスギの仲間セコイアは100メートルを越し、地球上の全生物のうち最大です。成長力が旺盛で生育が早いのに、総じて長命で前述した北アメリカ西岸のセコイアの森には、樹齢は普通に800~2,000年、中には4,000年生き続ける老巨木も存在します。日本のスギもそれに勝るとも劣らず、屋久島に自生するスギの中で、長老樹として威容を見せるいわゆる「縄文杉」は、一説には7,000年以上、正確を期して見積もっても5,000年余りも生き続けているといわれていますし、それには及ばなくても日本の各地には1,000年を越すといわれるスギの大木が多く知られています。その驚異的な生命力から、各地であがめられる神木も多く、境内にそそり立つスギの大木は、神社景観に欠かせないものになっています。
針状で短い葉は、細かく分枝する枝に螺旋状につき、早春、枝先に紫色の突起状鱗片葉に覆われた直径4ミリほどの球花(雌花)をまばらに付け、それ以外の大多数の枝先に、長さ5ミリほどの極小のマツボックリのようなオレンジ色の雄花を房状に密生させます。

日本全国に植林だけで44億本のスギの木があります


スギ花粉多すぎ!でもスギはスギ花粉症の「主犯」ではないかもしれない

ヨーロッパのイネ科牧草、北アメリカのブタクサとともに世界三大花粉症のひとつという悪名をはせるスギ。スギは風媒花(風を媒介にして受粉する花)で、風媒花は空中に浮いて拡散しやすい軽く小さな花粉です。スギ花粉は中でも特に小さく(直径3/1,000mm)拡散力に優れています。その上高さ数十メートルの樹高の樹冠いっぱいに大量の雄花をつけてわっさわっさと花粉を拡散するのですから、花粉の飛散力は並みの植物の比ではありません。さらにスギの花粉はたんぱく質量が多く水溶性で、鼻に取り込まれると吸着しやすい傾向もあります。
そして何より、日本国中のスギの数の多さがあります。日本国土の七割は森林ですが、そのうちの約40%が人工林で、人工林のうち44%をスギ林が占めます。その面積は444万ヘクタール。1ヘクタールのスギ林に約1,000本のスギが生えるとされますから、人工林だけで44億本のスギが生えている、ということになります。
現在これほどのスギの人工林があるのは、第二次大戦後の国土荒廃からの復興のため、1946~1956年の「復旧造林」、さらに天然林や雑木林を伐採してスギを植える1967~1972年の「拡大造林」政策のためです。これらの期間には毎年10万ヘクタールを超えるスギの植林が行われて、瞬く間にスギ林はかつての三倍にもなったのです。

スギの雄花。日本人は長くこの花粉と共存してきたはずですが

「ああ、ではやはりスギが悪いのだ。伐採してしまえ」と思われるかもしれませんがちょっと待ってください。スギ花粉症が症例として正式に発表されたのは斎藤洋三氏による1964年の論文です。この頃からスギ花粉によるアレルギー症状が顕著に日本人に現れ始めるのですが、これを戦後の植林が原因だとすると矛盾が生じます。スギが本格的に花をつけて花粉を飛ばし始めるのは樹齢30年頃からとされ、1960年代前半では、「復旧造林」の初年から18年しかたっていません。その当時の花粉症は、戦前からあったスギによるものです。
もちろんスギ花粉症が国民病になるほど増大し出すのは1976年頃とされますから、この増大は明らかに戦後の植林が影響はしています。でも、1960年代以前に日本人がスギ花粉に悩まされたという事例は記録上皆無なのです。つまり問題はスギ花粉そのものではなく、それを受ける人間側の変化によるものと考えるべきでしょう。
その変化についてはさまざまな推測がなされています。
・食生活の欧米化で肉食が多くなったこと、寄生虫の駆逐による日本人の体質変化
・自動車の排気ガスや工場ばい煙などの浮遊粒子が増大したことにより、スギ花粉が付着してアレルギーを引き起こした
・本来ほとんどの花粉が吸着される土壌が都市化で遮蔽され、アスファルトに落ちた花粉が何度も巻き上げられるため
・花粉飛散の緩衝となっていた天然林や雑木林が伐採されることにより、スギ花粉が生活圏を直で見舞うようになった
・近年の家屋は化学物質を多く使った新建材が多く、これが花粉を吸着してアレルギーを誘発している
どの説も、社会の都市化によって生活環境や体質などが変化したことによるものとしています。スギ林は主に広大な山林を保有する地方(いわゆる田舎)に多く分布し、都市に少ないにもかかわらず、スギ花粉症が田舎ではなく都市生活者に多く見られることは、都市環境こそが花粉症のトリガーとなっていることを裏付けているように思われます。
『スギの独り言』の中で著者の佐藤紀男、斉藤洋三両氏は、クローンで植林されたスギたちは、本来雑多に共存すべき他の樹種たちもない中で、やがて安価な外国木材の輸入やベニヤ合板によって需要を奪われて放置され息もたえだえとなり、必死に次世代を残そうと大量の花をつけて花粉を飛ばしているのだと叙述しています。そして日本列島の文明発祥以来、長く貢献してきたスギに対して感謝と畏敬の念を忘れるべきではないと述べています。

台方の大杉。日本各地に1,000年を優に超す大杉が生きています


日本文明に貢献しすぎ!スギは日本人への神からのギフト?

スギ材は、古来もっとも日本文化に貢献してきたオールマイティの木材です。ヒノキは香りには及ばないものの、心地よい香りや滅菌効果があります。比重(水の重さと比べた基準)0.4程度で空気含有率が高く、高温多湿の日本の環境の中で、優れた吸湿性や温度調節を発揮して、スギ材の家は夏は涼しく冬は暖かく過ごすことが出来ます。また洪水が多く、海洋国でもある日本で、軽くて豊富なスギ材はクスとともに船材として重宝されてきました。やわらかく加工しやすいため細かい道具類や建具や家具などの日用品にも頻用される一方、建造物の構造材としても耐えられる強靭さもあわせもち、一般家屋はもちろん巨大な宮殿や社寺、橋などの大建造物にも多く使用されます。
日本酒を作るのにもスギは欠かせません。麹を作る際に使用する麹蓋、酒母や醪(もろみ)を混ぜる櫂棒(かいぼう)も貯蔵用の木桶もスギ材です。スギ桶は酒が染み出ず、スギの香りが日本酒に移り、味に独特の深みを与えます。造り酒屋の軒先には新酒が出来上がると「杉玉」を掲げられます。芯となる球状の土台にスギの枝の穂先をみっしりと差し込んでいき、大きなボール状に仕立てた飾りで、伝説では崇神天皇の時代、ある杜氏(とうじ)が三輪山のスギの神木の霊力の助けを借りて、一夜で美酒を醸す奇跡をなしとげたことにちなみ、スギの葉で縁起物が作られるようになった、といわれています。日本酒だけではなく、醤油蔵、味噌蔵でも杉樽は古くから使用され、スギは日本人の食文化を強力に支えてきたといえます。
文明社会の枠組みや仕組みを急激に変えることはむずかしいかもしれません。しかし今や広大なスギの人工林は治水・水源のかん養、緑化・温暖化防止に大きな影響を与えるインフラでもあります。単一種の植林ではなく花粉吸着をする多様種を同時に植える混成植林への移行、過度な土壌遮蔽を控えて土の露出部分を増やす環境設計、アレルギー症状を引き起こすアジュバント物質であるホルムアルデヒドなどを含む新建材からスギ建材の積極的な回帰活用などを通じて、時間はかかりますが厄介な都市の花粉滞留問題に地道に取り組んでいくべきではないでしょうか。

(参照・参考)
植物の世界 朝日新聞社
林野庁 スギ・ヒノキ林に関するデータ
琵琶湖湖底堆積物に記録された過去100年間のスギ花粉年間堆積量の変化https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpal/58/1/58_KJ00008127467/_pdf/-char/ja

日本人は歴史の中で深くスギを崇めてきました

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 スギ花粉症の季節。あえて偉大なる樹木「スギ」について理解を深めてみませんか?