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さて、例年ですと立春は2月4日、その前日である節分は2月3日になりますが、今年は2月3日が立春、節分が2月2日になるため、話題となりました。
言うまでもなく太陽や地球などの天体は、常時とどまることなく公転・自転をしています。黄道(公転周期から約23.5度傾いた地球の自転軸によって、地球から見た天球上をたどる太陽の軌道)の基点を春分に取り、ここを0°として15°毎に等分割したのが二十四節気です。また基点の春分から何度進んだかを表すのが太陽黄径です。
立春は春分から太陽黄径315°となり、この位置に至った瞬間を含む日が暦上の立春になります。
2021年は2月3日の23時59分がその瞬間で、したがって2月3日が立春となるのです。地球の公転周期は地球時間で365日と6時間弱なので、4年に一度(4で割り切れる西暦年)閏日を設けて調節しているわけですが、すると今度は4年で約44分の不足時間ができてしまいます。
そこで、400年間に訪れる閏年のうち100で割り切れる西暦年に限り閏日を設けず、さらにそのうち400で割り切れる年のみ閏年として100回のうち3回は閏年を間引き (近年だと1700年、1800年、1900年。対して2000年は閏年)する調整が行われました。こうした時間調整の関係から、今年を皮切りにして立春日が2月3日になる年が当面増えていきます。
節分といえば、近年になって流行し出した太巻きの丸かぶり(恵方巻き)や、鬼(災厄や疫病)の侵入を防ぐためにとがった硬い葉のヒイラギや、臭いの強い焼いたイワシの頭、目籠などを戸口に飾る「事八日」と共通する魔除け行事が知られますが、やはり何と言ってもメインになるのは豆まき行事でしょう。各家庭で行われるほか、村落単位、有名寺社の大規模なイベントまで、盛んに行われている伝統行事です。
豆の種類は、東北を中心に降雪の多い北陸や北海道などで殻つきの焙煎落花生を撒く地域がありますが、概ね炒り大豆が大多数派です。落花生の渡来や栽培の歴史から考えても、落花生を撒くのは近代以降の風習で、かつては大豆が撒かれていました。
さらにさかのぼれば、後漢時代ごろの『漢舊儀』には、紀元前1600年ごろの太古より続く鬼・疫病払いの「儺(な)」の儀礼で「赤丸五穀」つまり小豆や穀類を撒くことが記されていて、どうももともとは鬼を祓う行事で撒かれる豆は小豆だったようです。小豆も大豆も原産地は東アジアですが、どちらかというと小豆は南方系の温暖地に産し、大豆はやや寒冷な地域が原産です。中国王朝文化の中心が南方から北方へと移行するにつれ、小豆が大豆に置き換えられたものと考えられます。
なぜ鬼を祓うのに豆を撒くかについては、豆が「魔滅(まめつ)」つまり鬼を滅するとの意味からとする説は、よく知られていますがこれは語呂合わせの後付けでしょう。中国最古の薬学医書『神農本草経』(後漢~三国時代ごろ)に、大豆には「鬼毒を殺し、痛みを止める」薬効があると記述されていますし、平安時代の日本最古の医学書『医心方』(いしんほう 丹波康頼 984年)には、大豆の薬効や、呪術の使用法などについて記されており、特に豆の煮汁を飲むと鬼を滅し、体内の毒を消し去るとしていて、鬼退治と大豆の強い関連性が王朝時代には既に信じられていたことがわかります。大豆が撒かれるのはこうした大豆を摂取することでの効能が基本にあるのです。
豆を撒いた後、落ちている豆を自分の年齢+1粒食べることで健康や長寿を授かるという豆まきイベントの締めくくりとして行われる行事があります。一見矛盾がないようにも思えますが、敵にぶつけるものは矢や石つぶて、唐辛子、ときに排泄物など、自分がぶつけられたら嫌なものほど効果があると考えるのがスタンダードであり、効果的だと考えられます。
桃や聖水が人間には益であり悪魔には害であるように真逆の効果があるという考え方もありますが、鬼を祓った豆を直後にあえて食べるというのは実は決して「当たり前」ではないのです。
江戸時代の漢学者・儒学者の村瀬栲亭(むらせこうてい 1744~1819年)は 『執苑日渉』で、節分の夜に家々では大豆を炒って神仏に供えた後、歳徳神の方角(毎年方角が変わるといわれます。いわゆる恵方巻きの恵方もここから来ています)に豆を撒いて福を招き、それからその方角の真反対の方角に向かい豆を撒き鬼を祓う。これを「儺豆(なまめ)」という、とあります。
現代では欧米式の結婚式で新郎新婦を祝福するイベントとして行われるライスシャワー。起源は古く、古代ローマで麦の粒を新郎新婦に振りかけていたのが次第に米に変わったようです。中国西南部からミャンマー、タイ、インドにまたがる焼畑文化圏に属する少数民族のリス族の正月の風習として、村の族長が村人たちに籾殻と焼き米をシャワーのように振りかける祭りがあります。村人たちはそれにより祝福を受け、また撒かれた米をエプロンや柄杓で受け取ることで福徳を授かると信じられています。
ここからわかることは、人類が農耕をはじめた初期には、穀物や木の実(あるいは塩や炭など)を振り撒く行事は正月や立春などの農作業に先立つ時期の豊作祈願儀礼、素朴な予祝行事だったということ。それが後に、中国文明の儀礼の中に取り込まれる際に鬼を追いはらう魔除けの意味が加わったということです。
基本的に節分の豆もまた、めでたく縁起のいいものなので、豆まき行事の後それを食べて福徳を授かるわけです。
さて、現代では味噌といえば市販品を店で買う場合が大半ですが、かつては各家庭で自作するのが普通でした。味噌の仕込みは、雑菌の繁殖による腐敗やカビの発生を防ぐことが必須ですが、このため気温が低い季節、とりわけ1月下旬から2月ごろに仕込む「寒仕込み」が、雑菌が少なく発酵も緩やかなのでもっとも適した時期とされています。
味噌の原料は大豆が主体です。味噌にするために最初に大量の大豆をゆでるわけですが、このとき大量の煮汁が出ます。ほとんどの場合は、今よりものを大切にしていた時代でも、髪洗いのシャンプーに使用するなどのほかは捨ててしまっていたようですが、房総半島の中南部、市原、姉ヶ崎、長南地域では、この大豆の煮汁を使い、独特の郷土食を作ってきました。「とうぞ(豆造)」と呼ばれる発酵食品がそれです。大豆の煮汁に大豆、刻んだ干し大根、麹と塩を加えて冷暗所で保存して5日ほど寝かせた素朴な郷土食です。
味わいやにおいは発酵食品ならではで、納豆とも塩辛とも切干大根とも似通いながらも独特のもの。好みは分かれるところですが、筆者は病みつきになってしまいました。内房地域では、ご飯にかけたり、おひたしや冷奴にかけたり、味噌汁に仕立てたりと汎用してきたようです。
くせはありますが全て植物性の原料なので動物性のアクのようなものがない分、慣れればあっさりとしていて、ネギと豆腐、七味を入れて煮込み風にしたり、「追い納豆」をしたり、きゅうりやナスと合えたり、冷やし中華にトッピングしたりと、他の料理や食材との組み合わせも悪くなく、食べ方のバリエーションは思いのほか豊富です。
大豆にはコレステロールを減少させる大豆レシチン、骨粗しょう症の抑止に効果があるとされるイソフラボン、腸内細菌を活性化させるオリゴ糖など、体に有用な成分が数多く含まれており、とうぞはまさにその成分の宝庫でもあります。
地元の味噌製造所がとうぞを出荷していて購入できるため、最近ではそのエリアのラーメン店でとうぞラーメンなるものも登場しているとか。また市原と隣接した内房地域の富津市には、ご当地ラーメン「竹岡式」があります。竹岡式ラーメンとは、素朴な乾麺を、チャーシューを煮たあとのタレとお湯(または乾麺をゆでたお湯)で割ったもの。素朴なこのローカルラーメンも、この地域の、ものを大切にして捨てない精神が生んだものです。
節分には、事八日や大晦日、お盆にさまざまな魔物がうろつくとされる伝承と同様、人ににべもなく捨てられた道具類が妖怪化した「つくも神」として百鬼夜行をするという言い伝えがあります。
「とうぞ」は、ものを大切にしようという教訓にもかなう、節分・立春にふさわしい優れた伝統食といえるでしょう。
(参考・参照)
『田園祝祭 さと』(日本人の原風景3) 旺文社
『節分と節供の民俗』 飯島吉晴
豆造とは? 味噌&豆造づくり〜市原市〜
(画像提供)
千葉県市原市のソウルフード「とうぞ(豆造)」