- 週間ランキング
植物分類学は、19世紀末から21世紀初頭にかけて、大きな変更・書き換えが何度も行われました。単子葉植物についても、1985年に単子葉植物の専門家であるロルフ・ダールグレン(Rolf Martin Theodor Dahlgren)が、共同研究者らとともにユリ目(Liliales)・ユリ科(Liliaceae)の分類を大きく変更するダールグレン体系(Dahlgren system)を提唱。
ダールグレンの分類法は現在の植物分類学で主流となったAPG体系(Angiosperm Phylogeny Groupによって分子系統解析に基づく被子植物分類体系)にも影響を与えるもので、これにより、ユリ目・ユリ科に含まれる顔ぶれは、古典的な新エングラー体系とはがらりと変わってしまうことになりました。
かつてユリ科は多系統(少なくとも五系統の別起源の種)を含むごった煮のような一大グループでした。ネギやにんにくの仲間やスズランやヒヤシンス、アロエやヤマイモなどもユリ科に含まれていたのです。これらは今では別科に移されています。また、花はいかにもユリとしか見えないワスレグサの仲間、ノカンゾウやヤブカンゾウ、キスゲなどのいわゆるヘメロカリス類もユリ科から外されてしまいました。
現代の植物体系では、ユリ科にはカタクリやエンレイソウ、ウバユリ、ホトトギス、チューリップなどが含まれ、これが広義のユリの仲間となります。
さらにその下位にユリ属があります。一般的に「ユリの花」と言われるのはこのユリ属の仲間で、これが狭義のユリとなります。ユリ属は世界に約130種、北半球のユーラシア大陸、特にアジアにその半数以上が分布します。極東の日本にも15種が分布、その多くが日本特産種です。
ユリは、多年草で地中には肉厚の鱗片葉が何層にも重なってタマネギやにんにくのように鱗茎(球根)を作り、ここから直立茎をすっくと立ち上がらせます。地上葉は互生もしくは輪生で茎に沿ってはしご状についてゆき、単子葉類としては独特の形状となります。
花は、単子葉植物の特徴である三数性(3の倍数で構成される構造)がもっとも単純・明確に見て取れ、三枚の外花被片と三枚の内花被片、合計六枚の花びらが六芒星形をなします。その内側に六本の雄しべ、さらにその内側の花の中心部に長い花柱が一本。ただし、先端に付いた柱頭は浅く三裂し、かまきりの頭のような三つの円が融合したような三角形をしています。子房も三室に分かれていて、それぞれの室内に多数の胚珠を備えています。
ユリ属は多雨と酸性土壌を好むため、多雨で酸性の日本の土は生育に適し、日本をユリ王国たらしめたのです。
日本の美しい特産自生ユリの中で、もっとも大きく、代表選手と言ってもいいのがヤマユリ(山百合 Lilium auratum)。花径は20cm近く、時に25cmほどにもなり、1~1.5mほどの茎の上部一帯から、数個から20個以上の花をつけます。六枚の花弁は外側にカーブしながら反り返り、真っ白に真っ赤な斑が入り、中央部分には鮮やかな黄色の筋が入るために英語圏ではgolden lilyと呼ばれます。六本の雄しべの朱色の葯と、上向きに反り返る雌しべが、ヤマユリの豪華さを引き立てます。また、野山では花を見つける前に漂う香りに気づくほど、その甘い芳香は強烈。伊豆諸島には、ヤマユリの亜種のサクユリ(作百合 Lilium auratum var. platyphyllum)が分布しますが、花径30cm以上と世界最大のユリで、2m近くなる草丈も雄大そのものです。
ササユリ(笹百合 Lilium japonicum)も、学名に日本と付くことからも、日本特産ユリの代表です。東日本に多いヤマユリに対応するように、本州中部以西に集中的に分布し、多くの地方亜種があります。ユリの仲間では比較的早く、6月初旬ごろから咲き始め、梅雨の季節を濡れそぼりながら咲きつぎます。花は薄桃色にほのかな斑が入り、雄しべの葯の朱色との対比が愛らしく、可憐さが際立ちます。葉は互生して細長く、ササの葉に似るために「笹百合」と呼ばれます。日本には西洋のような百合信仰や偏愛はほとんど見られませんが、奈良市の率川(いさがわ)神社に伝わる6月半ばに行われる三枝祭(さいくさのまつり)では、祭神の姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)に捧げる酒罇(しゅそん)にそえる神饌に狭韋(さゐ)、つまり笹百合の花を飾り、巫女がササユリを手に持ち舞いを奉納する、特異なササユリ信仰が見られます。
このササユリとよく似て、東北地方の山岳地帯特定で分布するのがオトメユリ(乙女百合 Lilium rubellum)、別名姫小百合です。その名にたがわぬ愛らしいユリです。葯がヤマブキ色で、朱色のササユリと区別できます。花期は6月から8月ごろ。
スカシユリ(透百合 Lilium maculatum Thunb.)は、磯の崖地や砂浜などの海浜地帯に分布し、ユリの中では唯一、近代以前から栽培品種としても育成されてきました。このため自生種をイワトユリ、栽培種をスカシユリ、と区別する場合があります。ヨーロッパに渡ってもスカシユリはさまざまな交配の母種として珍重されてきました。燃えるような濃いオレンジの花を、真夏の太陽をものともせず上向きに咲かせます。「透かし」という名前は、花弁の基部付近の幅が細くなり、花弁と花弁の間にすき間ができる形状に由来します。葉は互生でびっしりと密に付き、直立します。男性的な力強さを感じさせるユリです。
カノコユリ(鹿の子百合 Lilium speciosum)は、西南日本、とりわけ九州に多く自生する日本特産種で、花弁の縁が白く、中央は鮮やかなピンク、そして濃い赤の斑が入ります。この斑を小鹿に見立てて「鹿の子」とつけられました。ヨーロッパの園芸品種作出のためにも盛んに使われました。ヒメユリ(姫百合 Lilium concolor var. partheneion)とともに、日本産ユリの中でも一、二を争う美女中の美女と言えるかもしれませんが、今や自生の個体は滅多に見られなくなりつつあります。
日本では古来、ユリは食用として利用され、花のほうは美しさこそ感じていたものの、ユリの花特有の強い芳香や色の濃い大量の花粉などが、若干敬遠されていたようです。
ヨーロッパでは、ユリはバラについで愛される花でしたが、ヨーロッパ全体で自生するユリは9種ほどしかなく、19世紀に日本産のユリが渡来して知られるようになるまでは、品種作出もほとんど行われてこなかったようです。
しかし、江戸時代末期の文政12(1829)年、フランツ・フォン・シーボルトが日本のカノコユリとテッポウユリ(鉄砲百合 Lilium longiflorum)の球根を持ち帰ると、愛らしいカノコユリはもちろん、純白で豪華なテッポウユリは、めぼしいユリといえばマドンナリリーくらいだったヨーロッパで大流行し、復活祭の祭壇を飾るイースター・リリーとして定着します。そして、明治6(1873)年のウィーン万国博覧会で日本の自生ユリの数々が持ち込まれて紹介されるや、熱狂的なブームが起こります。日本中の山野から大量の自生ユリの球根が掘り出されて輸出され、絹につぐ第二位の主要輸出品目となりました。
西洋では日本産のユリから、次々に美しい園芸品種が生み出されています。スカシユリとオニユリ(鬼百合 Lilium lancifolium)から鮮やかな紅色のアジアティック・ハイブリッド、カノコユリとヤマユリ、ヒメサユリの交雑からは、カサブランカなどの品種で有名な、豪華絢爛なオリエンタル・ハイブリッド、テッポウユリとスカシユリの交雑から花色も姿も豊富で明るいLAハイブリッドと、世界のユリの園芸産業は、日本産ユリを基にして、一気に「花開いた」のです。これらの花が日本のユリを基にして作られたのは誇らしい反面、そのために全国からユリが掘りつくされ、今や絶滅危惧種が多くなってしまったことは、やはり残念に感じます。
「ゆり」という花の名は、これほど目立つ野の花にも関わらず変化・異例・方言は少なく、極めて安定した単語で、それはこの言葉の起源の古さを示唆しています。「ゆり」には「後に」「将来」といった意味があったことから、その枕詞として「ゆり」という言葉も使われました。語源については諸説ありますが、「ゆら」「ゆれ」「ゆる」など、大きな花が茎の上部で風に大きくゆらぐさまから来ているという説が有力です。
古代シュメールの三大神の一柱、「神々の王」「国々の王」エンリルは、洪水と暴風を巻き起こし、人に罰を与える神であり、「風の主」とも言われていました。この風の主エンリルは、旧約聖書のイザヤ書やユダヤ教のタルムード(モーセ口伝律法)に記載が見られる夜の夢魔で男性を誘惑する悪魔として描き出され、アダムの最初の妻とも伝わるリリス(Lilith またはリリト/Lilit)の父神とも伝わります。リリスにまつわる逸話・歴史的経緯はきわめて興味深いのですが、その論考はいずれの機会に譲りたいと思います。
リリス自体も「風の女」の異名があり、ユダヤ伝承に見られるリリスのふるまいも、まさにつむじ風のよう。風を通じてユリとリリスはつながります。もしかしたらこの「世界で最初に生まれたと言われる女性」の名が、遠い史前にこの国にも伝わり、「ゆり」という名になったのかもしれません。
(参考)
植物の世界 朝日新聞社
山野草たちの歳時記 講談社
世界の宗教と経典総解説 自由国民社
率川神社 三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)