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春のうららの隅田川〜のぼりくだりの船人が…
とありますが、京都から江戸まで一路、愛息子・梅若丸を探してたどり着いた母が、船渡しから息子の行方を聞いた場所の風景です。麗らかな景色の中、伝えられる結末に、隅田川の流れはどのように見えたでしょう。
ご家族そろってお家で伝統文化のことはじめに「梅若丸伝説」をご紹介します。
隅田川のほとりにある木母寺(東京都墨田区)に伝わる「梅若伝説」は、室町時代に世阿弥の長男である観世元雅が作った、能「隅田川」の題材として知られている伝説で、梅若丸は伝説の主人公です。木母寺では毎年4月15日に梅若丸を偲ぶ祭りが開催されて来ました(今年は残念ながら中止)。木母寺のHPによりますと…
《京都の貴族の子である梅若丸が、人買にさらわれ、連れ回された後に、隅田川のほとりで亡くなりました。そこに居合わせた高僧が、梅若丸の供養のために柳の木を植えて塚を築きました。梅若丸の死後1年が経ち、息子を捜し求めていた梅若丸の母親が、塚の前で念仏を唱えると、そこに梅若丸の亡霊が現れ、悲しみの対面を果たした。》
以上、HPより引用
江戸時代には歌舞伎・浄瑠璃など様々な分野で取り上げられ、「隅田川物」として普及し、明治以降になると長唄や日本舞踊等、さらにオペラ(イギリス人・ブリテン作)にも取り入れられました。国内でも東北地方を中心に梅若伝説に関わる民俗行事や芸能が継承されていると言います。
木母寺のHPには紙芝居も掲載されています。紙芝居で見ることができるのは、小さなお子さまからご年配の方までご家族で一緒に楽しむことができて伝統芸能への入門にもなり嬉しいですね。
作者の観世元雅は世阿弥の長男として生まれ「隅田川」のほかに「弱法師」など親子の情を題材にした名作を残しています。その作風は父の築いた「夢幻能」を目指さずに独自の世界観を築き上げました。その才能は父・世阿弥に「子ながらも類いなき達人」と期待されるほどでした。しかし元雅は40歳にならずしてこの世を去り、世阿弥は深い悲しみに襲われました。もしかしたら、心の中で「隅田川」の母に自らの気持ちを重ねていたかもしれませんね。その後、世阿弥は不遇が続き佐渡へ流された後の消息は定かではなく、享年も不明です。どこか、伝説との因縁を感じるのは筆者だけでしょうか。
さて、興味を持ったら観たくなるのが人情です。劇場へ出向いて、と言いたいところですが、それもままなりませんが、現代はインターネットで映像を見ることができます。
現在、さまざまな媒体で能楽・歌舞伎・文楽などの上演記録や、役者さんによるトークなどを見ることができます。また、「隅田川」の舞台となった言問橋と言えば在原業平の和歌を思い出す方も多いでしょう。能楽は平安時代の文学に影響をうけていて関連深いことが分かります。伝説から芸能へさらに和歌へと、この機会に伝統文化に触れてみてはいかがでしょうか。
【出典・引用】
木母寺公式ホームページ ※下記リンク参照
薪能入門 婦人画報社
日本芸術文化振興会「国立劇場」
歌舞伎チャンネル
文化デジタルライブラリー「能」