- 週間ランキング
そこで、ハートが飛び交う行事にあやかり、あまり普段ふれることの少ない「愛」について、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
「愛しい(いとしい/かなしい)」という言葉は、古くから現代の恋心と同様の意味として使われていました。
「愛」という文字の成り立ちは、「字統(白川静)」によれば「後ろを顧みて立つ人」が「心」の字形を胸に抱えて立ち去ろうと振り返る姿、とされます。つまり、離れがたくいとおしい対象から、物理的・時間的な距離があり、心残りで切ない様子を表している、ということになります。
一方、英語のLoveの語源は、古英語(Englisce sprǣc 5世紀中頃~12世紀中頃の古期英語)の“lufu”、そして中英語(Middle English 11世紀半ば~16世紀はじめ頃までの中世英語)の”luf”から発生した単語です。luf、またはlufuは「いとおしい」「親密な」「可愛い」「大切な」「~に強く魅かれる/関心を抱く」といった意味で、日本語古語の「愛しい」とほとんど同じだ、ということになります。
ところが、なぜか現代日本では「love(またはI love you)にあたる日本語は存在しない」という言説をたびたび見かけ、まかり通ってすらいます。さらに「I love you」を夏目漱石が生徒たちに「月が綺麗ですね」と訳せと説いたとか、二葉亭四迷が海外の小説の翻訳で「死んでもいい」と訳した、などの俗説が、昭和中期ごろから流布され、近年になってSNSやネット情報として広がりを見せています。
まず漱石の「月が綺麗ですね」については、漱石が英語教師時代に「I love you」を「我、そなたを愛す」などと訳している生徒たちに「日本人はそんなことをぬけぬけと言わないものだ。こういうときは『月がとっても青いなあ』とでも言うものだ」と説いたという逸話が、1970年代ごろに雑誌に掲載されたのがもとで、当初は「月がとっても青い」だったのが、いつからか「月が綺麗」にすりかわったようです。漱石がそのような発言をしたという客観的な証拠はなく、後世(戦後)の作り話とも思われます。
二葉亭四迷の「死んでもいい」はどうでしょうか。ロシアの文豪ツルゲーネフ(Тургенев)の小説『アーシャ(Ася 邦題・片恋)』の文中で、主人公アーシャがため息混じりに小さくささやいた「Ваша…」というロシア語の台詞を四迷は「死んでもいいわ」と訳したわけですが、この単語は英語訳では「yours(あなたのものよ)」で、つまり「私を貴方のものにして」とでもいうような意味の言葉を、「死んでもいいわ」と表現したのです。意訳ですがニュアンスは伝わります。愛の告白の一種ではありますが「I love you」ではありません。こちらも、戦後に作られた俗説のようです。
なぜこうも、近年の日本は「日本にはLove/I love youにあたる言葉はない」と言いたがる人、言説が多いのでしょうか。
戦後の日本人は、自分たちが口下手でシャイで生真面目な民族で、「イタリア人やラテン民族のように愛だの恋だのよう言わん」と強く思い込んでいる節があるように思います。そしてそれは、古来日本人が恋愛を抑圧してきたせいだ、とも考えられているようです。
「愛」という文字は空海が密教とともに伝えたとされます。如来による衆生への「慈悲」こそが教義の基本である仏教では、愛なるものは超克すべき煩悩だとします。「愛欲」「愛執」、つまりは自身にとって感覚的快をもたらすものに執着し、愛されることを求め、愛する対象に執着する「渇愛(かつあい)」を生み、愛が憎悪を生じさせ、「愛別離苦(あいべつりく/愛するものと離れ離れになる苦しみ)」「怨憎会苦(おんぞうえく/憎み怨む者と交わる苦しみ)」といった苦悩を生み出す、と説きました。
また、何かを愛する、という行為はその対象とそれ以外とに区別、差別を生じさせる。たとえわが子を愛する親の愛でも、わが子への溺愛はわが子以外の者への無関心につながる(必ずしもそうとも言えないようにも思いますが)とも諭します。
つまり仏教の教えでは「愛」は良いものとしてとらえられておらず、それゆえ仏教徒である日本人にはLoveの概念や、それにあたる言葉がないのだ、という考え方があったようです。
しかし、世俗を捨てた厳しい宗派に身を置くハイステージの修行僧ならばそうした教えのもと自らを律していたかもしれませんが、一般人がそうした教義を理解し、実践しようと心がけていたとは思えません。
仏教で「愛」と言えば天部の「愛染明王」が典型ですが、愛染明王が一切衆生の救済を誓って自らに課したとされる「十二大願」には、子孫繁栄、家運隆盛、病難消除、良縁福徳など、むしろ愛欲・愛執を是認するような誓願の項目が見られ、このため多くの身分の低い者たちの信仰を集めました。阿弥陀如来や薬師如来、地蔵菩薩や観音菩薩などの日本で人気の仏様は、どれもそれぞれに人々に幸運をもたらし、災厄を取り除く神通力を持つものとしてあがめられていたわけで、日本人が「愛」にマイナスイメージを特段抱いていたなどということは、実はなかったのです。
柵(くへ)越しに 麦食む小馬の はつはつに 相見し子らし あやに愛(かな)しも
(巻十四 3537番 あずま歌)
万葉集のこの歌にあるように、かつての日本人は愛しい(万葉集原本はいわゆる万葉仮名による当て字なので、表記は「可奈思母(かなしも)」なのですが)という気持ちを素直におおらかに表現していたはずです。
四民平等を掲げた明治時代以降、庶民全体が江戸期の上位カーストである武家の習慣・価値観をいつしか模倣・踏襲するようになりました。武家社会の封建制を支えてきた朱子学の「上下定分の理(じょうげていぶんのり)」が説く君臣・親子・男女・長幼の別(区別)、天と地のように絶対的な上下関係が存在するという思想も一般化し、知らず知らずに人々を規定した側面がありました。
夫(男性)が主で妻(女性)が従という上下関係のもと、夫は外で働き妻は家を守る、というジェンダーロール(性役割区分)は、戦後の高度成長期・ベビーブームにとって都合がいいものあり、昭和の中期ごろまでは強固なものでした。だからこそ「日本人(=武士)は軽々しく好いた惚れたの女々しいことは言わぬものだ」的な価値観や思い込みが浸透するようになり、そうした傾向は上下関係の厳しいサラリーマン社会でますます定着してしまったのかもしれない、と筆者は考えます。
そんな中、バレンタインデー商戦が登場します。当初はほとんど反響がなかったようですが、「女性が男性に告白する」という常識を打ち破るイベントは、変わりつつあった時代に歩調を合わせるように次第に支持されていきました。
女性が男性に一方的に贈り物をする日本のバレンタインデーは、それまでの日本社会とは打って変わり、女性の積極性や主体性を打ち出すイベントだったからこそ、社会にインパクトを与え浸透したのです。
近年のバレンタインデーは、女性→男性ばかりでなく、その逆も、また自分自身へのご褒美、友達同士で贈りあうなどさまざまなパターンで、幅広く楽しまれているようです。酒飲みが何かと理由をつけては飲み会をするように、スイーツ好き、チョコレート好きが、バレンタインデーにかこつけて甘いものをご相伴しようとしているだけなのでは?と思えなくもありませんが、それで贈られる側も贈る側もハッピーになるのなら結構なことだと思います。
では最後に、チョコレートのかわりにというわけではありませんが、バレンタインデーにふさわしいかなと思える少し早い春の詩をお届けします。
みどりが 流れる傾斜に
はや スミレの青が鳴り響いた
ただ 黒い森にそって
雪が とがった舌のようにのこり
しずくは とけてしずくとなり
渇いた大地に吸いこまれ
青い空高く 羊雲が
陽をあびた群れになって 流れる
鷽(うそ)の呼び声が うっとりと 潅木(やぶ)のなかにとける
人間よ きみたちもうたえ 互いに愛しあえと (ヘルマン・ヘッセ「三月」)
(参考)
字統 白川静 平凡社
ヘッセ詩集 植村敏夫訳 旺文社文庫