幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、さまざまな冒険をする『不思議の国のアリス』──1865年に発表されたこの小説は、150年経った今も色あせることなく、文学の領域を超えてマンガや音楽、コンピューターゲーム……のモチーフとして生き続けています。

今日は作者、ルイス・キャロルの誕生日。生涯独身、数学者、写真家の顔をもち、この小説は知り合いの少女、アリスのために書いたとか。今回はそんな、謎めいた「アリスの世界」を覗いてみましょう。

何が飛び出すのか予測不可能


少女写真を撮り続ける

『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の作者として知られるルイス・キャロルはペンネーム。本名はチャールズ・ドジソン。1832年、イギリスの牧師の家に生まれました。

1851年にオックスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに入校、1854年に最優秀の成績で卒業した後、同校の数学講師となり、以降26年間にわたり仕事を続けます。

1856年にオックスフォードの学友とともにカメラを購入し、写真撮影を始めました。現存する作品の半分以上は少女を撮影したもので、カメラを入手した1856年のうちに一連のアリス・シリーズのモデルであるアリス・リデル(当時4歳)の撮影を行っているようです。

少女たちに中国人風やギリシャ人風、物乞い風などさまざまな衣装を着せて撮影、今でいうところのコスチューム・プレイ(コスプレ)の写真が多数含まれているようです。

アリスは永遠の少女


「アリス」のモデル

『不思議の国のアリス』成立の発端は、作品出版の3年前、1862年7月4日に遡(さかのぼ)ります。

この日キャロル(ドジソン)は、かねてから親しく付き合っていたリデル家(キャロルの住むオックスフォード大学のクライストチャーチ学寮長一家)をボートで遡るピクニックに出かけました。

その間キャロルは少女たちの三姉妹(ロリーナ・13歳、アリス・10歳。イーディス・8歳)特にお気に入りだったアリスのために、「アリス」という名の少女の冒険物語を即興で語って聞かせました。キャロルはそれまでにも彼女たちに即興で話をつくって聞かせていましたが、アリスはその日の話を特に気に入り、自分のために物語を書き留めておいてくれるようキャロルにせがみます。キャロルはピクニックの翌日からその仕事に取り掛かりました。

この手書きによる作品『地下の国のアリス』が完成すると、キャロルはさらに自分の手で挿絵や装丁まで仕上げたうえで、アリスにこの本をプレゼントしました。


『不思議の国のアリス』誕生

原稿を読んだ知り合いの人気作家に勧められ、『地下の国のアリス』出版を決意したキャロルは、当事者にしかわからないジョークなどを取り除き、「チェシャ猫」や「狂ったお茶会」などの新たな挿話を書き足し、もとの1万8000語から3万5000語の作品に仕上げ、タイトルも『不思議の国のアリス』に改めて、1865年にマクミラン社から2000部が刷られました。

出版はマクミラン社でも出版費用はすべてキャロル自身が受け持ちました(当時こうしたかたちの出版契約は珍しくなかった)。

このため、キャロルは自分が好むままの本作りをすることができたものの、挿絵の担当者から印刷に不満があると知らせてきたため、初版本をすべて回収し文字組みからやり直さなければならなくなりました。

印刷のやり直しは費用を負担しているキャロルにとって痛手でしたが、1865年に刊行された『不思議の国のアリス』は着実に売れていき、1867年までに1万部、1872年には3万5000部、1886年には7万8000部に達し、その続編『鏡の国のアリス』が発表されることになりました。


画期的な児童文学

『アリス』の登場は児童書として画期的なものでした。

キャロルは読み手である子どもをあくまで自分と対等な存在として扱い、文章もそれまでの児童書の約束事からはずれ、長い多音節の単語や、子どもには難しい概念を分かりやすい冒険物語の流れに組み込むことで表現しました。

『アリス』の本文には多数のナンセンスな言葉遊びが含まれており、作中に挿入される詩や童謡の多くは当時よく知られていた教訓詩や流行歌のパロディ。英国の児童文学を支配していた教訓主義から児童書を解放しただけでなく、聖書やシェイクスピアに次ぐといわれるほど多数の言語に翻訳され、引用や言及の対象となっています。

ルイス・キャロルがお気に入りの少女、アリス・リデルのためにつくった即興のお話が、あの『不思議の国のアリス』の原点だとは驚きですね。そうして当時、『地下の国のアリス』としてアリス・リデルにプレゼントした手書きの本を、キャロルはハーグリーヴス夫人となっていたアリスに許可を求めて借り受け、幼児向けに脚色し、1889年に『子供部屋のアリス』が出版されました。

押しも押されもせぬ名声と富を築き上げる中で、キャロルは49歳でクライスト・チャーチの教職を辞任、死ぬまでそこの住居に留まりました。

キャロルは、彼自身の本名(チャールズ・ドジソン)により、多数の数学論文や著書を発表しています。

『不思議の国のアリス』が好評を博し、ヴィクトリア女王が他の著作も読みたいと依頼したところ、『行列式初歩』という数学書が送られてきて面食らったという逸話が残っているのは、なんともユーモラスですね。(キャロル本人はその逸話が事実無根であると否定)

ちなみに、キャロルは茶色の巻き毛に青い目、180センチの高身長でスラリとしたハンサムだったとか。作品同様、興味の尽きない人物ですね。

数学者としても才能が

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルは数学者だった