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現代人はミステリーが大好き。クライムサスペンスや刑事ドラマ、コメディー交じりの謎解きから本格推理、「サイコ」「羊たちの沈黙」「ダ・ヴィンチ・コード」のようなサイコスリラー、歴史の謎解きをする歴史ミステリー、ご当地を旅行する気分を味わえる旅情ミステリーなどなど、今やジャンルも多岐に渡る上に、表現媒体も小説にとどまらず、映画、ドラマ、アニメ、漫画と、あらゆる方面に人気作品が居並びます。
こうしたミステリーの原点は、産業革命が成熟期に達したヴィクトリア朝イギリス(19世紀前半から20世紀初めまで)と考えられます。文化の爛熟期にありがちの道徳の退廃、そして猟奇事件が乱発し、警察組織が本格的に稼動し始めた時代でもあり、犯罪と警察組織による摘発の緊張関係が耳目を集めていました。切り裂きジャック(Jack the Ripper)や『バネ足ジャック』(Springheeled Jack)、スウィーニー・トッドなど、恐ろしい連続猟奇殺人犯が話題となり、人々はその所業に震え上がりながらも、怖いもの見たさでそれらの犯行録の読み物(センセーショナルノベル)を読みふけり興奮していました。
今につながる都市消費社会、警察社会がはじまっていたアメリカでも、ポーは市民たちの好む猟奇性や珍奇なもの、残虐な物語を、自身の幻想的でありながら合理的な視点をも併せ持つ独自の性質とをシンクロさせて、ゴシックホラーの妖しく奇怪な世界をつむいでいました。そして1841年、「世界初の推理小説」ともいわれる「モルグ街の殺人」を発表します。
「モルグ街の殺人」には、今も人々を夢中にさせる現代のミステリーの要素が既に揃っていました。まず不可能犯罪。パリのモルグ街のある一室で、ふたり暮らしの母と娘が殺害されます。部屋には鍵が、窓も釘付けにされた密室殺人。犯人はどうやって犯行を成し遂げて逃げ去ったのか。その到底常人には解けないであろう謎に挑む、やはり常人を超えた能力者。名探偵です。
パリ市街のはずれにの崩れかけた古い館に間借りしている、もと名門貴族の五等勲爵士、C・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin)。昼は戸を閉め切った自室で強い香料入りの蝋燭のもと読書と瞑想にふけり、夜になるとパリの街を徘徊。近くに住んでいたら通報されそうな変人です。このぺダンチック(衒学的)で博覧強記、観察眼と分析力に並外れた能力を発揮する変人が、誰も歯がたたない難事件を解決するわけです。そして、とりつくしまのない奇人である名探偵を補佐しつつ引き立て、読者とのつなぎ役となるのが、誠実だが凡庸な相棒。「モルグ街」では、一人称スタイルの物語の語り手として名前すら明かされません。一見不可能とも思える謎に満ちた殺人事件を、一人の天才が凡才の相棒を従えながらわずかな手がかりから解決に導いていく、というフォーマットは、皆さんが親しんでいる現在のミステリーと変わりがないでしょう。
実は「モルグ街の殺人」と同時期に、「ミステリーの元祖/原型」と言われる作品はいくつか存在しました。「クリスマス・キャロル」などで知られているイギリスの作家チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)は、「モルグ街」と同年に長編小説「バーナビイ・ラッジ」を連載しています。これは謎解きが主眼の「探偵小説」と言っていいものでしたが、ディケンズに敵対意識とライバル心を抱くポーは、連載途中に犯人を言い当ててそのトリックを批判したばかりか、その後も執拗にディケンズの手法を攻撃しました。ディケンズは後に絶筆となる「エドウィン・ドルードの謎」を執筆しますが、執筆途中で亡くなり、この世界初の長編推理小説は未完に終わりました。
現代の推理小説は、欧米ではコナン・ドイル、日本では江戸川乱歩が徹底したポーへの崇拝と帰順を公言していたので、ディケンズの存在は推理小説史から無視されがちですが、まったく異なるアプローチから現代の「長編推理小説」の元祖となったともいえるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」なども存在し、事実は19世紀の欧米は、警察機構が整い出したこともあり、いわゆるクライムサスペンス的な作品が同時多発的にいくつも生じていたのです。
しかしそれらは淘汰され、名探偵という稀代の発明と、その奇人が浮いた存在にならないための徹底した形式主義に貫かれた世界で起きる不可能犯罪を合理的に解き明かす「モルグ街の殺人」の遺伝子のみが、現代の推理小説へと受け継がれたのです。
ポーの作品はイギリスでも出版され、1887年、コナン・ドイルの「緋色の研究」でシャーロック・ホームズというスーパースターの登場によって花開きます。デュパンからホームズへと継承された「名探偵」の遺伝子は、チェスタトンのブラウン神父、ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス、アガサ・クリスティのエルキュール・ポアロやミス・マープル、エラリー・クイーンのエラリー・クイーンやドルリー・レーン、カーター・ディクスン(ディクスン・カー)のヘンリー・メリヴェール卿など、いずれ劣らぬ変わり者ぶりと超人的推理力を発揮するキャラクターたちを生み出していきました。
短編小説として産声を上げたミステリーは、トリックの奇抜性と推理ゲームをより徹底させた長編推理小説に成長していきます。長編推理は20世紀前半ごろから優れた作家が乱立して黄金期を迎えます。そしてノックスは1928年に「探偵小説十戒」を提言。「超自然的な力や偶然で事件を解決してはならない」「犯人は途中から出てきてはならない」など、謎解きがフェアなゲームとして成立するための十か条です。
翌年、本格推理の頂点とも評されるエラリー・クイーンが「ローマ帽子の謎(The Roman Hat Mystery)」でデビュー。物語の後半、すべての犯行の手がかりが提示された直後「読者への挑戦状」が挿入され、「すべての手がかりは提示された。貴方にこの謎は解けるか」と挑発するスタイルが確立されました。
日本では神田孝平が明治20(1887)年、犯罪実話録であり推理ものの原型の一つともされる「和蘭美政録」を翻訳出版。そして明治23年、「岩窟王」や「レ・ミゼラブル」などを翻訳紹介した黒岩涙香(くろいわるいこう)が1889年、自身の著作「無惨」の序文で、この小説を「探偵小説」であると紹介し、日本初のミステリーの皮切りとなりました。以降「探偵小説」という呼称は幻想怪奇小説やSF小説をも含む広い「謎解き娯楽もの」の総称ともなりましたが、名探偵が登場するミステリーも長く「探偵小説」と呼ばれ続けます。大正13年には、「病める薔薇(そうび)」などを著した小説家・詩人・翻訳家の佐藤春夫が、欧米の長編ミステリーを「本格探偵小説」と名づけました。
そして大正12(1923)年、「二銭銅貨」で一人の推理作家がデビューします。エドガー・アラン・ポーの名をもじった江戸川乱歩です。乱歩のバタ臭くけれん味のある世界観は、大正デモクラシーの洋風趣味や昭和初期の金融恐慌に端を発する社会の不安や退廃を反映した、猟奇的で幻想的、エロティックな作風で、大いに人気となります。乱歩の担当編集だった横溝正史は、乱歩の断筆を引き継ぐように、日本的な土着の「村」の恐怖を取り入れ、欧米で創出された「密室トリック」などの仕掛けが作りづらい日本家屋を逆手に取り、因習や禁忌、地形をトリックに利用し、日本独自の本格ミステリーを確立しました。
「推理小説」という言葉が生まれたのは戦後のこと。昭和21年、内閣訓令により「当用漢字表」が告示され、公的に使用できる漢字が限定されたことによります。「探偵」の「偵」という漢字が当用漢字に含まれなかったため、戦前甲賀三郎が探偵小説とは一線を隠す意味で一時期使用した「推理小説」が、代用語として突如使われるようになったのです。
ところが戦後、乱歩の耽美的洋風の世界観、正史の土着村社会的世界観とに支えられた日本の本格ミステリーは昭和30年ごろを境に衰退します。世は高度成長とサラリーマン社会。社会派ミステリーと呼ばれる都市文明の中で起きる陰謀やビジネス戦争、人間の軋轢、社会問題を主眼に置いたストーリーをつむぐ松本清張、高木彬光、水上勉、黒岩重吾などが大人気を博し、推理小説の主流となります。
やがて衰退していた本格推理も、綾辻行人が1987年「十角館の殺人」でデビューすると、再びニューウェーブ(新本格派)の書き手が押し寄せるようになりました。「十角館の殺人」は、アガサ・クリスティ以来の典型的クローズドサークル(孤島や雪山などのとどされた館に人々が閉じ込められて起きる殺人事件)が展開され、本格推理の形式が時代を超えて復活した金字塔です。
あざとさ満載の名探偵も、ご存知の通り古い作品を知らない世代にはむしろ新鮮さをもって受け入れられ、古畑任三郎や杉下右京などのテレビドラマの名探偵(彼らは肩書きは刑事ですが、実質はデュパン以来の名探偵の系譜に連なるキャラクターです)や、有栖川有栖の江神二郎、京極夏彦の中禅寺秋彦など、ポーが創出し、ドイルがふくらませた「名探偵」というキャラクターが、時代を超えて通用する不滅の発明であることを証明し、驚嘆させてくれます。
ついでではありますがかく言う筆者自身も、かつて本格推理の作品を手がけました。諸般の事情で二作で打ち切りとなりましたが、実は前二作を超える出来の、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の世界さながらの第三作が用意されていました。もしいずこかで描かせてもらえるのなら日の目を見るのですが…。
神田孝平「和蘭美政録」(明治文化全集)