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クジラは、クジラ目(subordo Cetacea)に属する水生(ほとんどは海生で、ごく一部が淡水性)の哺乳類で、世界に83~84種が知られています。
この8月初頭、神奈川県の海岸に、クジラが打ち上げられました。打ち上げられたのがシロナガスクジラ(Balaenoptera musculus)の幼体だったことでニュースとして大きく取り上げられましたね。シロナガスクジラは体長20~34m、体重80~190t、既知の地球生物史上最大であるともいわれる巨大クジラで、近縁種でより小型のナガスクジラよりも体色が薄く、海上から目視すると陽光で白っぽく見えることから「シロ」とつけられています。「ナガス」は長須で、「須」とはあごひげを意味します。ナガスクジラ類の下あごから、長い畝のような筋があることからこれをあごひげになぞらえて名づけられていす。
日本沿岸の小型クジラの積極的な狩猟は、既に約8000年前の縄文前期には痕跡があります。
奈良時代ごろにはクジラ漁は伊佐魚取(いさなとり・「いさな」はクジラの古名)や鯨突(くじらつき)と呼ばれ、太平洋の沿岸地域で比較的小型のツチクジラなどを狩猟していました。
室町末期から江戸時代初期にかけて、船団による捕鯨が徐々に形成され始め、17世紀末には紀州(和歌山県)の太地で投網による狩猟と本格的な捕鯨船団の組織が発足し、近世~近代捕鯨が幕開けします。船団捕鯨は、長崎、土佐、東海、関東など各地に広がっていきます。江戸時代を通じて、日本国内ではこの古式捕鯨で、近海で獲ったクジラを食べ、油を利用してきました。それが破られたのは、江戸末期、19世紀中ごろから、大西洋などで採油のためだけにクジラを取りつくした欧米列強が、日本近海の鯨の好漁場(ジャパングランド)に、捕鯨のために集まり出したことと関係があります。
ペリーの日米通商条約も、捕鯨のための補給という理由のためでした。日本の古式捕鯨が適正な漁獲量であったことは、日本の近海にクジラが多く居たことからもわかります。
欧米の捕鯨は、オランダ、イギリスやアメリカなどが大型の帆走捕鯨船で遠海に乗り出して大型のクジラを捕まえては船上で採油、肉は海に捨てるというものでした。さらに、一般的にノルウェー式と呼ばれる汽船に大砲を設置し、ロープのついた銛をクジラめがけて打ち込む狩猟法が主流になって、クジラはこの時代以降、世界中で大きく数を減らしました。セミクジラ、北極クジラなどが採りつくされると、ナガスクジラ、シロナガスクジラなどが標的になりました。明治期から日本もノルウェー式捕鯨を採用し、日露戦争当時には捕鯨船が大量に作られ、遠洋捕鯨が盛んとなりますが、日本は一貫して捕鯨については欧米の後追いをする控えめな後進国だったのです。
こんな乱獲をして、問題が出てこないわけがありません。第二次大戦後、世界的な乱獲によるクジラ頭数の減少枯渇が問題となって、適切な捕鯨環境を整備する目的で、1948年、IWC=国際捕鯨委員会(International Whaling Commission)が発足します。1972年には国連で商業捕鯨10年モラトリアム(商業目的の捕鯨の全面的な一時停止)の勧告が採択され、さらにIWCも1982年商業捕鯨モラトリアムを採択。日本、ノルウェー、ペルー、ソ連が異議申し立しますが、以降、次々に主要13種のクジラの捕鯨が全面禁止されることとなります。日本もこの採択を受けて、近海でのツチクジラ、オキゴンドウ、コビレゴンドウなどの小型クジラの捕鯨と、北西太平洋でのミンククジラ、イワシクジラ、マッコウクジラなどを資源調査のために一定数の調査捕鯨を行うのみとなりました。
かつては全国各地にあった国内の捕鯨基地は、現在では和歌山県の太地町、千葉県の和田浦、宮城県の鮎川、北海道の釧路の4箇所のみとなりましたが、これらの捕鯨についても、捕鯨反対の国際団体などから激しい非難を受け続けています。
かつて、IWCが発足する以前の20世紀前半には、過当競争が頂点に達し、各国がクジラの捕獲頭数を競ったために「捕鯨オリンピック」などと言う言葉も使われていたそうです。最盛期の1930年にはなんとシロナガスクジラが3万頭も捕獲され、以降シロナガスクジラは激減すると、今度はナガスクジラを乱獲し始めるという残酷さ。特にノルウェーとイギリスのナガスクジラ類の乱獲は、1960年代まで続きました。ナガスクジラが激減し、捕獲が禁止されると、今度はロシア(当時はソ連)がザトウクジラの乱獲を始めます。1950年代から70年初頭にかけて、多い年には一年で15000頭ものザトウクジラが乱獲されました。それほどの資源量が、人類にとって本当に必要だったのでしょうか。
捕鯨の漸次禁止を受けて、クジラは現在では年々増加の傾向を見せてきています。
現在の捕獲が禁止されている鯨種の資源量は、調査によるとたとえばナガスクジラは12000頭、マッコウクジラは10万頭、イワシクジラ、ニタリクジラなどがそれぞれ2万頭、日本の捕鯨のかつての中心鯨種だったミンククジラが25000頭ほど、といわれています。これは果たして多いのかどうか、というのは議論が分かれるところですが、ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラのこの頭数を維持した場合に、そのうちの4%ほどを毎年漁獲した場合、それらのクジラが食料とするイワシ、サバ、カツオなどの漁獲量が増加する、というシミュレーションも出ています。
こうしたことから、日本ではIWCに対し、ミンククジラなどの捕鯨再開を打診していますが、拒否されています。
こうしてみていくと、もちろん日本も戦前、そして戦後にかなりの大量捕鯨をしてきた事実はあるのですが、欧米諸国が獲った数と比べると、はるかに小さなものです。にもかかわらず、捕鯨問題と言うと日本がまず槍玉に上がるIWCをはじめとする国際社会の状況はおかしなものだといわざるを得ません。また、世界には、クジラを古くから食料とする少数エスニック民族の捕鯨は許可されていますが、日本のように食糧供給に困っていない国があえてクジラを獲る、ということに、なかなか理解を得にくいようです。しかし日本では、仏教の伝来とともに、獣の肉を食べることを禁止されて以来、クジラは「魚」扱いされ、動物性蛋白として長く食べられていました。クジラの各部位は余すことなく利用され、正月料理のハレの料理としても鯨汁がふるまわれた地域もあります。おでんの具でも、関西では「コロ」として欠かせないものとなっています。一定の年齢より上の世代にとっては、給食や食卓で食べたクジラの竜田揚げや、たまに親からお相伴でもらうクジラのベーコンや刺身などは、忘れられない味。クジラが日本の食文化であることは間違いありません。
そして家畜を飼育して食べるよりも、野生生物を適切な量を守り狩猟するほうがエネルギーコストや食料分配の上からも正しいことは言うまでもありません。
しかし、「クジラ食は日本の文化だ」と言うには、現代日本の現実と食い違う点が多くあります。和牛の肥育のために高カロリーの飼料を与え霜降りの高級肉を作り、普段から牛肉や豚肉、鶏肉を常食にしている日本人が、クジラを食文化だ、と果たして胸を張って言えるのでしょうか。
また、クジラなどの海洋動物の多くが苦しんでいるマリンデブリ、すなわち海に投棄された人工ゴミの問題があります。プラスチックやビニールなどの石油生成品は、自然で溶解せず、クジラが大量にそれらを飲み込んで健康を害し死にいたる、ということが起きています。既に世界60カ国以上の国でプラスチック販売への規制法が行われ、EUでは使い捨てプラスチックの販売禁止法案が策定されました。今年6月のG7サミットでは「海洋プラスチック憲章(Ocean Plastics Charter)」が発議されました。これは、世界的環境問題となっているプラスチックごみによる海洋汚染にG7として対策に乗り出すことを宣言するものでしたが、日本とアメリカは国内産業への影響を理由に拒否しました。
本当に海洋資源を守ることをうたうのならば、マリンデブリ問題も日本が主導するべきでしょう。そうなってはじめて、日本の捕鯨への立場は、正当なものであると証明できるのではないでしょうか。
さて、全国にある4つの捕鯨基地のうち、唯一捕獲したクジラの解体を一般人が自由に見られる場所があります。
千葉県南房総市の和田浦です。鹿島鳴秋の名曲「浜千鳥」が生まれた静かな港町は、和田浦駅にクジラの骨格標本のレプリカがある「クジラの町」です。
江戸時代の初期から大規模な捕鯨集団「醍醐組」が存在し、捕鯨が行われてきた房総半島には、各地に捕鯨の漁港がありましたが、1948年、和田浦に外房捕鯨が設置されてから、和田浦が捕鯨の中心拠点となりました。和田浦では毎年6月から8月、26頭を上限にツチクジラの近海捕鯨が行われていて、クジラが捕獲されると明け方から解体が始まります。一般人も自由にその様子が見学ができ、前日に解体の情報を受けた人々が集結して見守る中、巨大なクジラが約20人ほどの「解剖さん」と呼ばれる作業員たちにより見る見る切り分けられていきます。刃渡り50センチものなぎなたのような長刀とウインチで、約4~5時間をかけて、肉、内臓、皮、骨などに分けられます。肉は、業者だけではなく、見学に来た一般人にも、1kgから小売をしています。この夏、是非見学してみてはいかがでしょう、といいたいところですが、今年2018年のツチクジラの水揚げは、7月いっぱいをもって終了してしまったそうです。和田浦の船団が北海への遠征を控えていて、8月初旬には出発しなければならない事情があるようです。
解体見学は来年までおあずけですが、そんな和田浦の夏は、クジラ料理をふるまってくれる飲食店、旅館が目白押しです。クジラカツやクジラのタレ、竜田揚げ、刺身などの定番はもちろん、はりはり鍋や握りずし、酢の物など現地ならではの新鮮さで味わうことが出来ます。
鯨肉には、鉄分(吸収されやすいかたちでのヘム鉄)や海洋生物ならではの不飽和脂肪酸やコラーゲンなどが豊富なのはもちろん、抗疲労効果成分バレニンが大量に含まれていることがわかっています。バレニンは、クジラが飲まず食わずで何ヶ月も遠泳をしたり、深海深くまでもぐる呼吸と心拍を、極限まで落として生体を保つなどの脅威の能力を維持する成分で、人間が摂取すれば疲れにくく、疲労が取れやすいなどの効果があるといわれています。これは、マグロや牛、豚や鶏にも含まれていない成分なのです。昔の日本人がタフだったのは、クジラを食べていたせいかもしれませんね。
参考
水産庁・捕鯨問題の真実:http://www.jfa.maff.go.jp/j/whale/pdf/140513japanese.pdf
外房捕鯨株式会社 プレスリリース
くじら料理 四季の宿じんざ
G7マイナス2」 海のプラごみ対策、日米はG7文書に署名せず