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丸い顔に愛嬌のある目鼻立ち。長い尻尾と全身はふわふわの毛に覆われ、まるで生きたぬいぐるみか、テーマパークのキャラクターのよう。神様がその配剤を間違えて、「かわいい」の成分をぶちこみすぎたんじゃないかと疑いたくなるほど愛らしい生き物。それがレッサーパンダ((Ailurus fulgens)です。
体重はオスが4.5~6kg、メスが3~5kgほど。ほぼネコと同じと言っていいでしょう。全長は80~120センチほどで、その約半分は長くて太い尻尾になります。頭頂と胴体の上半分は燃えるようなフレイムレッドで、お腹側と四足は漆黒と言う目立つコントラストになっています。尻尾は赤と薄茶色二色の輪っかのボーダー模様、顔には耳の内側と眉、口先と頬に真っ白のポイントがはいり、いっそうかわいさを引き立てています。
けれどもそのかわいさと裏腹に、とがった歯、前足には鋭くとがった爪がついていて、この特徴から発見当初ヨーロッパ人はレッサーパンダを肉食だと考えていました。実際にはきわめて草食寄りの雑食で、主食の笹のほか、たけのこ、木の実や根、時に昆虫を食べることもあるようです。動物園では第一の好物はリンゴで、両手でかかえてかじる姿がおなじみとなっています。
ヒマラヤ南部のネパールや中国の四川省、雲南省、ミャンマーの標高1,800~4,000mの森林・竹林を生息地とするこの動物がヨーロッパに紹介され、学名などが正式につけられたのは比較的近年のことで、19世紀の前半、1820年代のことです。イギリス東インド会社の将校で博物学者だったトマス・ハードウィック提督、またはインドのカルカッタで東インド会社の植物園園長を務め、ネパールに調査探検に赴いていたナタニエル・ヴァリクである、と言われています。この当時、レッサーパンダは「ヒマラヤギツネ」と名づけられ、その太い尻尾と赤い毛色からキツネの仲間と思われていたようです。
そしてその標本は1825年パリ植物園の園長フレデリック・キュヴィエのもとへと渡り、キュビエはその動物を「火の色をした猫」「燃えるように輝く猫」という意味のAilurus fulgensと言う学名をつけました。この時点ではネコの一種と思われていたのでしょうか。
レッサーパンダがキツネでもなくネコでもないとわかったのはそこから30年以上を有しました。
三頭のレッサーパンダがネパールで捕獲され、ロンドン動物園に持ち帰られます。この際、現地のネパール人がレッサーパンダのことを「竹を食べる者」を意味する(とされる)「ネガリャ・ポンヤ」「ニャリア・ポンガ」などと呼んでいたことから、これが転じて「パンダ」となった、という説がありますが、どうもこのパンダの名前については根拠乏しく胡散臭く、俗説ではないかと思われます。
相前後して宣教師で博物学者だったアルマン・ダヴィド(Armand David)によって欧米に紹介されたジャイアントパンダは、当時白熊の一種と思われていました。ダヴィドはジャイアントパンダのほか、シフゾウを欧米に紹介したことでも知られていますが、そのダヴィドが中国人の知人から「山の子」「火狐」と呼ぶ小さな動物の標本を貰い受けました。1869年、ダヴィドはこれがロンドン動物園の「火の猫」=「パンダ」と呼ばれると同じ生き物であると知り、詳細な解剖を試みて、多くの点で自らが採集していた「ヒマラヤ原産の白熊」と共通性を見出し、この両者は近縁種である、と結論付けました。そこで、白熊と言われていたほうは「ジャイアントパンダ」と呼ばれるようになりました。こちらに「ジャイアント」がついたために、元祖パンダであるほうには「小型の」を意味する「レッサー-lesser」がついてしまいました。lesserには「劣った」「足りない」などの意味もふくまれるため、現在の英語圏では「red panda」または「cat bear」と呼ぶのが一般的です。
レッサーパンダは、その名前の通り、長くジャイアントパンダとともに「パンダ科」を形成していました。体格やフォルムには大きな差異があるものの、
・ヒマラヤから中国南部の山岳地帯原産
・竹や笹を主食とする
・前肢でものをつかむのに適した「第六の指」手根骨を有する
などの共通点から、クマともアライグマともイタチとも狐とも一線を画する独立した科である、と考えられてきたのです。しかしその後の系統学解析やDNA解析などにより、ジャイアントパンダはクマ科に、そしてレッサーパンダはレッサーパンダのみでレッサーパンダ科に分類されることになりました。レッサーパンダ科はクマ下目にすら属さず、イタチ科の属するイタチ小目の仲間となったのです。
さて、2003年、日本国内のレッサーパンダ飼育・繁殖の統括的役割を担う静岡県の日本平動物園で、一頭のオスのレッサーパンダが産み落とされます。そのレッサーパンダは、成獣となると千葉県の千葉市動物園に婿入りします。そして2005年、その立ち姿が話題となって全国的なレッサーパンダブームを引き起こし、一躍スターとなりました。それがご存知、風太くんです。
風太くんの立ち姿が話題となると、日本各地の動物園で「うちのレッサーパンダも立つ」「うちのは立ったまま歩く」と続々と報告が。
そう、そもそもレッサーパンダは足の裏全部を地面につけてベタ足で歩く遮行性の動物で、同じく遮行性のクマが頻繁に後ろ足で立つように、後ろ足で立つのはお手の物。高い場所の木の実や葉を取ったり、危険がないかと遠くを見渡すときなど、野生状態でも二本足で立つことは普通にやっているのです。おそらくそれまでにも、動物園でレッサーパンダは二本足で立っていたはずですが、「立ってるよ、かわいいね」くらいで見過ごされていたのでしょう。
ではどうして風太くんが急に話題になったのかといえば、風太くんの立ち姿が独特だったためでした。しゃきんと背筋を伸ばし、腰もひざも曲がらずまっすぐ人間のように直立する姿がびっくりされたのです。この立ち方は風太くんの体のある特徴にありました。普通のレッサーパンダに比べて、風太くんの尻尾は途中から切れていて短いのです。レッサーパンダは子供時代に猫の子と同様、移動する際に母親から首筋わくわえられて運ばれますが、あるとき初産だった母親のミスで尻尾をくわえられてちぎれてしまったようなのです。
普通のレッサーパンダよりも尻尾の重みがないため、より後傾した、棒立ちのようになる位置がもっともバランスよく立てる姿勢となったようです。
この風太くんブームから、防衛医科大学などがレッサーパンダの骨格構造を詳細に研究、形態学的メカニズムを解明しました。そして、レッサーパンダの股関節から後肢の形状や神経伝達が、サルよりも人間に近い構造であることが判明しました。
大腿骨は体の前後方向への曲げに強く、上体のゆれをしっかり支え、大腿骨の下端、つまりすねの骨と接続するひざの部分は平たい楕円形になっていて、これも直立姿勢を安定して支えるのに適した形になっています。このため、中に人間が入ってるんじゃ?と思わせるすっくとしたまっすぐの直立が可能だったのです。
レッサーパンダは、捕食動物などの敵や、繁殖行動などのとき、やはり立ち上がって短い両腕を精一杯上にのばして相手を威嚇するポーズをします。本人(?)たちは恐ろしげに見せようとしているのでしょうが、傍から見るとこれまた破壊力抜群の愛くるしさ。こんな威嚇でよくヒョウやイタチなどの獰猛な肉食獣から身を守り、生き延びてきたものです。
何とも人を惑わせる、かわいすぎる魔獣です。
その風太、8匹の子宝に恵まれ、またその孫も多く誕生し、今や全国から外国にも風太一族は広がって、絶滅危惧種であるレッサーパンダの行く末の希望の星ともなっています。息子のクウタくんが次世代の大黒柱としてその食いしん坊ぶりと、つきでたコンクリートに浅く腰掛ける人間座りの技で観客を楽しませて、風太くんは悠々自適。
こうした風太くんの活躍も一助となり、実は日本はレッサーパンダの飼育頭数ダントツの世界一。現在57の施設で世界の飼育頭数約650頭のうちの三分の一にもあたる260頭前後が飼育されています。
一方、野生のレッサーパンダは全世界で5000~7000頭ほどしかいないといわれ、レッサーパンダは一度の出産で生まれる子供の数が1~2頭と少なく、繁殖力がそれほど強くないため、一度減ってしまった生息数はなかなか元には戻りません。
現在、野生下に生息しているレッサーパンダは、わずかに5000~7000頭程度と推測され、国際自然保護連合(IUCN)のレッドデータブックでは絶滅危惧種(EN)に指定されています。
言うまでもなく、またいつものことですがこれは、人間による森林伐採や農地拡大などでの生息地域のの影響で生息域が急激に縮小していること、さらにレッサーパンダの毛皮や生体を狙った密猟による犠牲があとを絶たないことにあります。動物園のみの飼育となった動物は、絶滅の可能性が高くなります。減少をせめて今のうちに食い止めたいものです。
風太くんの誕生祭は過ぎてしまいましたが、9月の「レッサーパンダ・デー」にむけて、動物園、民間、自治体挙げての15歳お祝いのさまざまなイベントは今後も続くようです。風太とその一家と新参の仲間たちに萌え狂いにお出かけしてみてはいかがでしょうか。
レッサーパンダの風太くん誕生!
千葉市動物公園の公式サイト
風太一族の繁栄
二足で立つ動物と歩く動物-その差は何か:レッサーパンダの二足起立行動と樹上行動の特徴が意味するもの 松村 秋芳 藤野 健