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山野に在る草木として独活(うど)や葛根(くずのね)とともに薯蕷(やまついも)として『出雲国風土記』に登場します。この風土記の成立は8世紀ですから日本人が自然薯を食べてきた歴史の長さを感じさせます。昔から大事な栄養源だったことがわかりますね。
山芋といったり長芋といったり、自然薯とは何が違うの? と疑問を持たれると思います。形も掌の形やねじれたもの、細長いもの、ごろんとコブシの形をしたものとさまざまです。この中で山芋と自然薯は同じもののようです。自然薯の学名はDioscorea japonica、と学名からも判るように日本が原産です。自然の中で生えてきたもので「自然生」が「自然薯」になったということです。自然に生えて収穫できるまでには少なくとも数年はかかるとのこと。長いものですと20年以上たったものもあるそうです。それだけじっくりと時間をかけて成長した自然薯だからこそ、うま味も栄養も凝縮しているのかもしれません。ねっとり、ねばねばした独特の風合いから「とろろいも」としておなじみですね。また自然薯ほど粘りはありませんが長芋もあります。これは栽培用として原産地中国から日本にもたらされ、古くから作られており、市場にも多く出まわっています。シャリシャリとした食感が自然薯にくらべると食べやすいですね。
芥川龍之介の作品に『芋粥』というのがあります。主人公は年老いてしょぼくれた役人。彼が夢に見ているのは「芋粥を飽きるほど飲んでみたい」というものでした。それほど美味しかったのでしょうね。ある正月の祝いの宴の残りものを皆で相伴するのですが、そこに出てくるのが芋粥です。「山の芋を切り込んで甘葛の汁で煮たかゆ」とあり、どうやら自然薯を甘いシロップで煮たもののようです。宮中のお正月の祝い膳にのるほど山芋は貴重なものだったことがわかります。そんな珍しい芋粥をいただける幸せを噛みしめている老人をからかった男がいいました「腹一杯食べさせてやろう」と。馬鹿にされながらも芋粥にひかれてついていった老人は、大鍋いっぱいの食べきれない芋粥を見ながら気づくのです。「食べたいなぁ」と憧れている時の自分がいかに幸せだったかと。
「あっ、気持ちわかる!」とおもわず頷いてしまいませんか。『今昔物語』物語から題材をとったということですが、芥川の人間の奥にある誰もが持っている愚かさを面白おかしく描き出す洞察を感じます。老人の芋粥への憧れのかわいらしさも伝わってきますね。
俳句にもたくさん詠まれていますよ。
自然薯の全身つひに堀り出さる 岸 風三樓
地中深く伸びた自然薯、何メートルあったんでしょうね。それを傷つけないように、折らないように注意して、注意して一生懸命掘った後のうれしさが伝わってきます。さてこの自然薯はこのあとどんな風に食べられたのでしょう。食卓でのみんなの笑顔もまた感じられますね。
長薯に長寿の髯(ひげ)の如きもの 辻田 克巳
自然薯はそれ自体が根っこ。その根っこから確かに細い髭のようなものがツンツンとでています。自然薯ができるまでの年月とご自分かどなたかの長寿を重ね合わせたのでしょうか。作者の自然薯を眺める目には積み重ねてきた月日の尊さが映っているようです。
自然薯を見つけ上手の山育ち 和田 昌子
山は宝の山。春は筍に山菜採り、雨上がりには茸とり、秋になれば松茸に山芋!? と山を知り尽くしていればお楽しみに事欠くことはありません。こんなときは都会育ちは肩身が狭いもの。自然の中で育った人の独断場です。自然を味方に付けるって素敵だとつくづく思われます。土の中で長い時間をかけて育まれた自然薯とつながっている山育ちの人への羨望も感じられる一句です。
温かいごはんにかけても美味しいし、蕎麦と一緒に啜るのも味わいがあります。寒い冬に向って自然薯のエネルギーをもらって力をつける、素敵なアイディアではありませんか。
参考
『ブリタニカ国際百科事典』
『日本古典文学大系 2 風土記』
『現代日本文学大系 43 芥川龍之介集』 筑摩書房
『俳句歳時記』角川学芸出版