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多くの人が見ているとは思いますが、もし「コウモリなんて動物園でしか見たことない」という方。日暮れ時、街灯がつきはじめる頃、残照の残る空を見上げてみてください。川べりや池など、水が近くにある場合はほぼ確実に、ヒラヒラスイスイと空中を飛び交う黒い影を発見できるはずです。なかなか目で追うのは大変ですが、間違いなく漫画や映画ではおなじみ、近年では日本でも盛んになってきているハロウィンの意匠でもおなじみの、あのコウモリのかたちだとわかると思います。
そう、ネズミよりも人目につきやすい、もっともポピュラーな野生哺乳類は、実はコウモリなのです。
日本列島には外来種を除けば約100種の哺乳類が分布していますが、そのうちの33種がコウモリ。日本のけものの1/3はコウモリ、ということになります(ちなみに全世界には約4000種 の哺乳類が生存し、そのうち1/4にもあたる約1000種はコウモリ。)。ただし、都市部でよく見かけるコウモリはアブラコウモリ(油蝙蝠 Pipistrellus abramus)のみです。コウモリ亜目ヒナコウモリ科に属し、体重は10g足らずの小さな生き物。日本に棲息するコウモリでは唯一の住家性、つまり人家を棲みかとしています。瓦の隙間や雨戸の戸袋、換気口、納屋や倉庫の裏、ガレージの配管などに住み、人家・市街地に発生する昆虫の類を飛翔して捕らえ、食べています。家屋を住処とするため、別名はイエコウモリ(家蝙蝠)で、こちらのほうがふさわしい名前に思いますが、「油蝙蝠」という名は、長崎のオランダ商館の医師だったあの シ-ボルト(P.F.Siebold、1796~1866)が、長崎滞在中に収集したものをオランダに帰国後、ヨーロッパの博物学会に紹介し、学名を登録したものです。その際、長崎を含む九州地方で人家に出入りするこのコウモリを「アブラムシ」と呼んでいたため、シーボルトは「Son nom japonais est Abramusi (insecte du lard(日本名は Abramusi=脂の昆虫という)」と説明し、この「アブラムシ」を学名に使用しました。Pipistrellus abramusのabramusは、アブラムシをそのまま移植してつけられたものです。そして、日本でもこれが逆輸入される形でアブラコウモリと名づけられました。
アブラムシというと、テカテカしていてにおいも脂臭いあの「ゴキブリ」の異名でもありますが、ゴキブリと同じような茶褐色で、人家の隙間から入ってくるコウモリを、「アブラムシのようだ」と思ってつけられたのかもしれません。アブラコウモリ自体は、油をなめるわけでも、脂を分泌するわけでもありません。
7月はアブラコウモリの育児期間。前年の晩秋、島民の前に交尾したコウモリは、冬眠から目覚めて暖かくなってきてからメスは排卵して、交尾で受け取っていた精子により受精するという習性があります。筆者は夜、公園の地面に、大きさも形も甘納豆ぐらいの黒い物体が落ちているのを目撃したことがあります。近づいてみていると何か動いているような気がする。そして突起のようなものがあちこちからとびだたり引っ込んだりする。生き物には違いないけれど見たこともないもので、一体こりゃ何だ? 宇宙生物? とどきどきしたのですが、しばらく見ていると黒い皮が少しめくれて、小さな顔が出てきました。甘納豆と思ったのは、黒い皮膜で体をおおったコウモリの赤ちゃんでした。そういえばすぐそばを親と思われるコウモリがさかんに飛んでいます。巣から落っこちたのでしょう。コウモリは、飛翔するためのエネルギー維持と特殊なぶら下がる生態から、たくさんの子供を一度に生めず、一産一子が普通で、多くても二匹程度。子供の体温維持のために、メスたちはコロニーをつくり、互いに密着して体表から逃げる熱を最小限に抑え、互いに育児を助け合い、餌もシェアしあう社会性があるようです。洞窟などで天井一面にコウモリがぶらさがってて「キモい!」という場面も、そうした必要性から群れているわけです。
また、コウモリは小さな生き物ですから寒さに弱く、飛ぶためには多くのエネルギーが必要で、またえさは昆虫ですから季節性で餌の少ない時期もあります。このような事情から、冬季の冬眠以外にも、短い休眠状態(トーパー)をたびたび取って、エネルギー消費を抑えているといわれます。
コウモリの生活も、けっして楽なものではないようです。
コウモリは、唯一完全な飛翔能力を得た哺乳類です。他にもヒヨケザル、ムササビ、モモンガなど、滑空能力のある哺乳類はいますが、その翼で空を意のままに上昇下降、持続飛行を出来るのはコウモリのみ。そればかりか、指と腕の間に筋肉のある皮膜を張ったコウモリの特殊な翼は、空のスペシャリストでもある鳥類よりも翼の可動性は大きく、空中での自在な機動性は鳥をも上回ります。この翼を駆使し、極地以外の全世界にまんべんなく分布し、ある意味「もっとも成功した哺乳類」とすら言える繁栄を誇っています。
空では超音波を発してエコーロケーション(反響定位・音の反響を利用して自身の空間での位置の感知や餌の所在を探知する能力)を行い、小さな羽虫を食べることに特化した種はより高い波長の音で小さな虫を探知し、大型の虫や鳥などを狙う大型のコウモリはやや低い波長で獲物の位置を探知します。
こんな特殊能力を得たコウモリですが、その進化系統は今もまだ謎のまま。もっとも古いコウモリの化石は、2008年に発見されたオニコニクテリス・フィネイ(Onychonycteris finneyi)で、何とその時期は恐竜が絶滅したK-Pg境界といわれる生物の大量絶滅からさほど間もない約6000年前ごろ。6000万年前から5000万年前の暁新世から始新世の頃には、すでに翼を持ち、ほぼ飛翔能力も備えていたと思われます。オニコニクテリス・フィネイはまだ耳骨にエコーロケーションに必要な機能が見られないことから、コウモリはまずともかく飛翔し、のちにエコーロケーション能力を獲得したものと思われます。
私たちも胎児の間は手足にみずかきのような皮膜がありますが、すぐにアポトーシス(細胞の部分壊死)によってこの皮膜は衰退します。コウモリの場合、その祖先はこの皮膜をそのまま大きく発達させる方向に、進化のスパンではきわめて短い期間の間にほぼ突然変異的に翼を獲得し、飛翔能力を得た、と考える説があります。この当時、地球にはティタノボア(Titanoboa)と呼ばれる全長15m、1tを越える大蛇や、巨大な地上性の肉食鳥が繁栄してしており、地上は小さな生き物にはきわめて危険で、しかも樹に逃げ込んでもヘビからは逃れられませんから、早急に空を飛ぶ必要性があったのかもしれません。現在でも、夜間活動するコウモリの天敵は、夜の猛禽フクロウと、ヘビ。筆者は夜、頭上1mくらいの位置を飛び交っていたコウモリが、いきなり音もなく急降下してきたフクロウに、一瞬で掻っ攫われる瞬間を間近で目撃したことがあります。
また、この当時白亜紀の頃に登場して世界中に広がった被子植物がさらに繁栄を迎え、花の受粉の媒介をする昆虫も爆発的に増加していました。この豊富な獲物を捕らえるために、翼を得たのかもしれません。
かつては霊長類(猿の仲間)と近縁とされ、現在は馬と近縁かもしれない、と言われているコウモリ。その進化の道程はまったく謎に包まれたままなのです。
コウモリの「蝙蝠」という漢字は、「蝙」は「扁」は平たい、「虫」は動物、「蝠」は「へばり付く動物」で、「飛ぶ姿が平たく、壁にへばりつくすがたから、そう名づけられました。そして「蝙hen、蝠fuku、蝙蝠hen-pukuで、発音が「福が寄ってくる」意味の「偏福」に似ているという縁起をかつぎ、幸福の象徴とされてきました。西洋では悪魔の使いのイメージがあるコウモリも、東洋では幸福をもたらす生き物とされたのです。そして実際、人間の周囲にいるさまざまな害虫(蚊やハエ、ゴキブリなど)を盛んに食べてくれるので、人間にとっては益獣といえます。一匹のコウモリが一夜の間に食べる蚊の量はなんと500匹にもなります。コウモリがいなかったら、たちまち私たちの周りは蚊だらけになってしまうかもしれません。
コウモリはかつては「カワホリ」ともいわれ、これは「皮が張った」の皮張りからとも、蚊をよく食べるため「蚊屠り(ほふり)」から来た、とも推測されています。
また、ヤモリ(守宮・家守)、イモリ(井守)とともに、コウモリは「川守」が語源である、とする説もあります。実際、川の橋げたの下などにもねぐらを作り、川べりの上空に飛び交い、時に川面に滑空する様子は、川を守っているように見えます。
日本でも特に江戸時代後期に七代目市川団十郎が蝙蝠柄を流行させるなどコウモリ人気が高まったのか、煙草の銘柄などにも採用されましたし、長崎カステラの老舗「福砂屋」は、今も蝙蝠を店の商標にデザインしていますよね。
糞害や騒音、あるいはきもちわるいなどの理由で駆除されることも多くなっているようですが、虫をせっせと食べてくれるコウモリは、さしずめ「夜のツバメ」。出来れば大切にしてあげたいものです。