引退会見で思わず涙を流す柿谷

元日本代表FW柿谷曜一朗(35)が23日、古巣セレッソ大阪の本拠地ヨドコウ桜スタジアムで引退会見を開いた。本音で1時間の会見を終え、さらに20分間の囲み取材に応じた。プレー同様、トークも天才級。よどみなく答え続け、現役最後となる80分間の取材対応をこなした。

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当初は時間が設定されていた会見だが、柿谷の「できるだけ答えたい」という意向で、全体で80分間というロングラン。

その中で自身のキャリアハイとなった13年、J1での年間34試合21得点のシーズンを振り返った際、語気を強くして悔しがった。

「あの年、マジでちゃんとしてたら、80点は取れてますから。ほんまに思う。80得点25アシストくらいしとかないとおかしいのに、20点(正確には21得点)ですから」

13年はブラジル人のレビークルピ監督が指揮し、まだMF南野拓実(モナコ)も在籍。その中で柿谷が、ゴール量産の理由として挙げたのが「蛍とタカとシンプリシオのおかげなんで。あんな選手が(いたからこそ)。この3人おったら(点は取れる)。だから神戸は強いじゃないですか。そら、そうやろ、誰がおんねん、後ろ(中盤)に」とコメント。

当時は中盤に山口蛍(昨季までヴィッセル神戸、今季からJ2V・ファーレン長崎)、扇原貴宏(神戸)、ブラジル人のシンプリシオがおり、果敢な守備で相手のボールを奪い、柿谷へのパス配球で多くのゴールが生まれていた。

また、この5年ほどでサッカー界に訪れた転機を残念がった。

「よくも悪くも、選手がサッカーをしているというよりは、させられているという言い方はよくないかもしれないが、90分で(各自が)やることが決まっているようなサッカーになっている。その中で、どれだけ個を出せるかとは分かっているが、僕はやはり90分、放っておいてほしかった」

個人のタスクが細かく膨大に増え、想像力や自由さでゴールを決める柿谷にとっては、非常に窮屈に感じたようだ。

だから13年、柿谷は光り輝いたかもしれない。

「レビー(クルピ)って練習メニュー(が細かく)ないでしょ。戦術も(複雑では)ない。(自分)個人の話で言うとね。ほっといてくれたら。こうやれと言われたら、やりたくないじゃないですか、僕って。35歳になってもまだ(自由を好むことが)残っているんですよ。人と同じことをするのがやはり、いや、おもんない。という意味でも、今の戦術は、たぶん昔から嫌やったんでしょうね」

J1通算238試合52得点を記録した希代のストライカーは「10年前くらいには(現役生活を)やりきっていた。W杯(14年ブラジル大会)に行ったくらいで。まさか、自分が行けるとは思っていなかった」。

19歳の時にC大阪で練習への遅刻を繰り返し、J2徳島へ追放となるなど、自身でもこの日、改めて「問題児」と表現した。

「こんなに、マンガになりやすいような選手はなかなかいない。それは自分でも分かっているから。ただ、そうなりたくてなったわけじゃない。ずっと平凡に生きたかった」

現役を引退したからこそ本音ばかりで話せた部分はあるが、頭の回転の速さといい、修羅場も経験したからこそのトークは、タレント業へ進出する今後も強い武器になりそうだ。

◆柿谷曜一朗(かきたに・よういちろう)1990年(平2)1月3日、大阪市生まれ。4歳からC大阪下部組織育ちで06年にクラブ最年少の16歳でプロ契約。09年6月にJ2徳島、12年C大阪、14年7月にバーゼル(欧州CL出場)、16年C大阪、21年名古屋、23年J2徳島へ移籍。香川らと14年W杯ブラジル大会代表に入り、国際Aマッチ通算18試合5得点。通算はJ1が238試合52得点、J2が234試合30得点、J3が1試合無得点。16年にタレント丸高愛実と結婚し、1男2女。176センチ、68キロ。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【C大阪】引退の柿谷曜一朗「ちゃんとしてたら80点は取れてた」キャリアハイの得点数悔しがる