米野球殿堂入りイチロー氏「いかに厳しい道を選べるかに尽きる」孤独や苦難と戦った末の栄光
2025年の米国野球殿堂表彰が21日(日本時間22日)、米ニューヨーク州クーパーズタウンで発表され、メジャー19年間で通算3089安打のイチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、資格1年目で、日本人としてだけでなくアジア人としても初めて選出された。得票率は99・7%で、19年のマリアノ・リベラ(ヤンキース)以来、史上2人目の満票に1票及ばなかった。マリナーズは現役時代の背番号「51」を永久欠番にすると発表。数々の偉業を遂げた「日本の宝」は、米国でも本物のレジェンドとなった。表彰式典は7月27日、クーパーズタウンで行われる。
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選出された思い、歩んできた足跡を、独特の味わい深い言葉で表現した。オンライン会見に臨んだイチロー氏は、デビュー当時を振り返り「地球上の1人も想像してなかったでしょう」と真顔で語った。「選手としての評価という意味ではこれは最後。比べるものがないほど、最も大きいもので最後になります」。心技体を研ぎ澄まし、数々の大記録を打ち立てたとはいえ、殿堂は狙って入れるものではない。しかも史上初の日米同時の殿堂入り。「今やっていることではなく、過去への称賛。あくまでも今をどう生きるかということを考えていきたい」。今後に目を向け、年輪を感じさせる言葉を続けた。
輝かしい栄光は、孤独や苦難と闘い続けた歴史でもあった。「いかに厳しい道を選べるかに尽きる」。プロ入り直後の「振り子打法」をはじめ、「メジャー挑戦」の際も否定的な論調にさらされた。それでも、強固なシンはブレることなく、プロとしてだれよりも自分の体と向き合い、技術を極め続けた。「楽な方に行くとメンタルは弱くなっていきます。挫折を知らないメンタリティーというのは弱いと思う。チャレンジして、その瞬間、負けるかもしれないけど、それを糧に頑張る、克服していく。そうやって築きあげるものじゃないでしょうか」。
現役引退から5年が経過した今もトレーニングを欠かさず、シーズン中はマ軍の本拠地で背番号「51」のユニホーム姿で若い選手と一緒に汗を流す。オフ期間には、高校球児を指導し、女子野球の普及にも情熱を注ぐ。「そもそも野球という存在がなければ、僕は一体何だったろう。何者かになれたんだろうかというふうに考えます。今日、特にそう思います」。
日米間の架け橋になったイチロー氏は、今後、どこへ向かうのか。「今継続していることは継続していきたいです。これから別の野球の道を模索していく。そこでまた自分がエネルギーを注げることを期待しています」。多くのことをコンピューターで検索できる時代の今も、自らの内面に目を向け、模索する姿勢は変わっていない。
地元シアトルでは、背番号「51」が永久欠番となることが発表された。同地で会見に臨んだイチロー氏は、満票に1票足りなかったことにも触れた。「すごく良かったと思います。しかもジーターと一緒。自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生。やっぱり不完全であるというのはいいなって」。声援も批判もプラス材料に変えてきたイチロー氏の言葉は、誹謗(ひぼう)中傷にあふれた現代社会への提言のようでもあった。
○…イチロー氏が、テレビ中継で元同僚のケン・グリフィー氏からサプライズ祝福された。「ジョージ、サンキュー・ベリーマッチ」と、一般になじみのないファーストネーム「ジョージ」と呼んで感謝を伝えた。本名ジョージ・ケネス・グリフィー氏は、7月の記念式典に向け「スピーチだけじゃなく、酒も持ってきてくれよ。新人はやらなくてはいけないんだ。25年ぶりに君は新人になるのだから、僕たち2人のためにいい酒を持ってくるのを期待している」と呼びかけた。
◆米野球殿堂 米大リーグを10年以上経験し、現役引退後5年を経過した者が殿堂入りの対象。毎年1月と2月に2回選考される。原則として全米野球記者協会に10年以上在籍している記者の投票によって決められる。第1回選考は1936年でベーブ・ルース、タイ・カッブら5人が殿堂入り。事前に候補者は発表され、記者投票で75%以上の得票数が必要。今回で351人が殿堂入り、内訳は選手278人、監督23人、審判10人、球界功労者40人。日本人では13年に野茂英雄氏、17年に松井秀喜氏がノミネートされたが、殿堂入りはならなかった。殿堂博物館はニューヨークの北西、野球発祥の地クーパーズタウンにある。
◆資格初年度の米野球殿堂入り 今回のイチロー氏、サバシア氏を含めて、殿堂入りした351人中62人だけ。昨年は通算3166安打のベルトレ氏、首位打者3度のマウアー氏が選出された。近年では22年に通算541本塁打のオルティス氏、20年に通算3465安打のジーター氏、19年に通算最多652セーブのリベラ氏とサイ・ヤング賞2度のハラデー氏。15年はイチロー氏と同じ背番号51だったR・ジョンソン氏も選出。
◆イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高では甲子園に2度出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年にプロ野球史上初のシーズン200安打。00年まで7年連続首位打者。00年オフにポスティング制度でマリナーズ移籍。新人で首位打者、盗塁王とMVPに輝いた。04年に大リーグ新記録の262安打を放ち、2度目の首位打者。大リーグでは01~10年に史上初の10年連続200安打。ゴールドグラブ賞、球宴出場各10度。07年オールスターでは史上初のランニング本塁打を放ちMVP。12年7月にトレードでヤンキース移籍。15年にマーリンズ移籍。18年にはマリナーズに復帰し、シーズン途中でフロントに転身。19年3月に選手復帰し、東京ドームでのアスレチックス戦2試合に出て引退。マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターに就任した。今月16日には日本でも資格1年目で殿堂入り。現役時代は180センチ、79キロ。右投げ左打ち。