【こんな人】「天才」柿谷曜一朗は生意気、でも優しく憎めない 同期香川真司との比較嫌がる面も
<こんな人>
元日本代表FW柿谷曜一朗(35)が現役を引退することになり、昨季まで在籍したJ2徳島ヴォルティスが18日、発表した。16歳でセレッソ大阪とプロ契約を結ぶなど「天才」と呼ばれ、14年W杯ブラジル大会出場や欧州移籍を24歳で実現。芸術的なゴールを量産し、J1通算238試合52得点を記録した希代のストライカーは、プロ19年間でスパイクを脱ぐことになった。近くC大阪で引退会見を行う。
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とにかく生意気な選手だった。でも、優しいところがあって、それが憎めないところでもあった。17年の開幕前、合宿先の宮崎でインタビューをした。
「俺、反抗期が長かったんです。プロになってからも、親に注意されると家を飛び出した。記者の人にも迷惑をかけたでしょ?」
すごい選手だった。ただ、もっとすごくなるはずだった。プロ2年目の07年夏に韓国・高陽で開かれたU-17W杯にエースとして出場。フランス戦で決めた50メートル弾は衝撃だった。サッカーの番記者を15年ほどしたが、現場で見た記憶に残るゴールを問われれば、10年W杯南アフリカ大会・デンマーク戦の本田圭佑の無回転FK弾か、あの日の柿谷のゴールを挙げるだろう。
1つ上の香川真司とは同期入団で、比較されるのを嫌った。幼少時代から元日本代表MF森島寛晃(現C大阪社長)に憧れ、09年に香川がモリシの代名詞となる8番を受け継ぐと「何で俺じゃないんすか!」と本気で悔しがった。
14年W杯ブラジル大会は直前までFWの中心として起用されながら、大久保嘉人がサプライズ招集されると控えに回った。彼は大久保を慕い、いつも一緒。優しく繊細な性格が活躍の邪魔をした。W杯後はバーゼルに移籍するが、フィオレンティナなど名門からもオファーが届いていた。「俺は言ったことが、その通りになったことがない。でもW杯は先発したかった」。
いい時も、悪い時もあった。そんな人間味あふれる選手をプロ1年目から取材させてもらった。【元C大阪担当、編集委員 益子浩一】