早大ア式蹴球部の創部100周年記念祝賀会で学生時代を振り返った、ともに元W杯日本代表監督の西野朗氏(左)と岡田武史氏(撮影・木下淳)

早稲田大(早大)ア式蹴球部(サッカー部)の創部100周年記念祝賀会が18日、リーガロイヤルホテル東京で行われ、OBの日本サッカー協会(JFA)相談役やFIFAワールドカップ(W杯)日本代表監督の西野朗氏、岡田武史氏ら約300人が出席した。

1924年(大13)の創部で、東西対抗時代も含めて日本一27度、社会人も含めた天皇杯全日本選手権で3度の優勝を誇る名門。サッカーの別名「アソシエーション式(ア式)フットボール」に由来する部名を守る伝統校が節目を迎えた。

川淵氏は「僕の基礎は全部、この早稲田大学ア式蹴球部でつくられた。100年のうち88年を生きてきたわけで、今(関東大学リーグ)2部にいるのは残念だけど、また日本のサッカー界を背負って立つ人材が出てきてくれるはず」と期待した。

2018年のW杯ロシア大会で16強入りした西野氏と、日本が初出場の98年フランス大会、さらには初めて自国以外でベスト16に進出した10年南アフリカ大会も指揮した岡田氏が、ツーショットで思い出を振り返る胸熱の場面もあった。

岡田氏が「かなりやられたな。水抜きって言って、雨の後ずっと、授業に行かないでグラウンドの水たまりをなくす作業をやらされていた。西野さんは貴公子だったから、そんなことなかったでしょ。西野さんの時は女子がすごくて、卒業後、誰もいなくなった」と振り返れば、西野氏が「そんなことなかった中で。愛ある指導とは言われたものの、実際かなり理不尽だった中で、夜中の12時にパジャマでグラウンドに集合と言われて走らされたり」と思い出を返し、笑わせた。

一方で早大時代に培った魂でW杯まで上り詰めた。OBの日本代表監督は9人もいる。2人は「やはり堀江(忠男)先生」と恩師への感謝を述べて「先輩たちは全国から集まった個性の塊、破天荒だった。学んだ早稲田らしさは、今も存在する」と西野氏は思いをはせていた。

高円宮妃殿下に続き、来賓のあいさつに立ったJFA田嶋幸三名誉会長(筑波大卒)は「兄2人が早稲田だったので憧れだった」とした上で、壇上から「あえて言わせていただくと、早稲田が100周年で2部はダメ。早稲田の勝ち負けだけじゃ済まない。早稲田が勝たないと大学全体が発展していかない。それくらいの気概を持って、偉大な先輩たちのように日本を引っ張っていってもらいたい」と熱いエールも送られた。【木下淳】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 早大ア式蹴球部100周年祝賀会に川淵三郎、西野朗、岡田武史の各氏ら豪華OB「2部じゃダメ」