自主トレを公開し素振りをする阪神ドラ5の佐野(撮影・森本幸一)

先人を超えるぞ! 日本海L・富山から阪神にドラフト5位で入団した佐野大陽内野手(22)が23日、愛知・春日井市の母校、中部大で自主トレを公開した。

阪神で佐野といえば、主力打者として85年に球団初の日本一に貢献した佐野仙好氏(73)が有名だ。77年4月に川崎球場のフェンスに激突し、頭蓋骨を骨折した命がけのプレーでも知られる不屈の大先輩。阪神で佐野姓は2人目だが、超える活躍が目標になる。

佐野仙好の引退は自身が生まれるより10年以上前。活躍は子どもの頃に訪れた甲子園歴史館で知ったという。「佐野さんのパネルがあったので調べました」。その頃はプロ野球選手への意識はあまりなく、目標は高校野球での甲子園出場だった。「ここで(スコアボードに)僕の佐野という名字を載せたい」。これからは、常葉橘(静岡)時代に手が届かなかった甲子園を本拠地とし、タテジマ戦士として佐野の名を刻む大きな夢がある。

「阪神佐野」を売り、中部大をもっと有名にしたい思いもある。同大学を卒業した野手のNPB入りは初めて。投手を合わせても13年ドラフト1位のロッテ石川歩以来と少ない。野球部の知名度向上や出身NPB選手の増加へ「今までピッチャーの偉大な先輩たちの活躍を憧れの目で見ていた。次は僕が野手の後輩たちの指標となれるように活躍したい」と力を込めた。

対戦したい相手にDeNA東を挙げた。「真っすぐも変化球も一級品。テレビで見ていてすごいなという気持ちになったので、そういうピッチャーと対戦して、自分がどれだけできるのかがすごく楽しみです」。春日井市には鬼ケ島伝説があり、春日井キャンパス近くの鬼ケ島公園には鬼の遊具がある。タテジマの佐野が、日本一球団のエース左腕を退治する。ルーキーの野望はビッグだ。【塚本光】

◆佐野仙好(さの・のりよし)1951年(昭26)8月27日生まれ、群馬県出身。前橋工-中大を経て73年ドラフト1位で阪神入り。同期6位に掛布雅之(習志野)がいた。勝負強い打撃で頭角を現し、左翼手に定着。だが、川崎球場での77年4月29日大洋戦で、打球を追って外野フェンスに激突して頭蓋骨を骨折。選手生命の危機に立たされたが、7月3日ヤクルト戦ダブルヘッダー第2試合(甲子園)で、復帰第1打席で本塁打を放った。外野フェンスへのラバー設置やルール改正につながった。勝負強い打撃で81年には初代勝利打点王に輝く。85年にはバース、掛布、岡田に次ぐ6番打者として日本一メンバーに。89年限りで引退。出場1549試合、144本塁打はいずれも球団11位、1316安打は同12位。引退後は打撃コーチや西日本統括スカウトなどを歴任。20年限りで退職し、前橋工のコーチを務める。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【阪神】球団2人目の「佐野」ドラ5佐野大陽、大先輩・佐野仙好氏超える活躍誓う