「球界再編」あの激動から20年…主役・渡辺恒雄の“功”の部分も見過ごせない/寺尾で候
<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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20年前に起きた「球界再編」は、師走に入ってクライマックスを迎えようとしていた。04年12月24日、この年最後の12球団オーナー会議が、東京・港区の新高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)で開催された。
通常は年に2回が通例の最高首脳会議は、これが6度目で異常なシーズンだったことを物語った。そして通信大手ソフトバンクのダイエーホークス買収が満場一致で承認され、「福岡ソフトバンクホークス」が誕生するのだった。
その1カ月前の11月24日、オーナーに就くソフトバンク孫正義が、読売新聞社に“球界のドン”で、前オーナーの渡辺恒雄を表敬訪問している。あれから20年の区切り、巨人が優勝を遂げた年、12月19日に渡辺が死去した。
05年は投資会社「村上ファンド」(代表・村上世彰)が、阪神電鉄株を大著取得し、阪神タイガース株上場を提案。巨人が阪神シニアディレクター星野仙一を監督に起用する動きを見せるなど、球界再編はずっと尾を引いた。
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺が、いかに各界に影響力をもったかは、洪水のように報じられたニュースが物語った。同新聞が2日続きで掲載した記事には、前プロ野球コミッショナー斉藤惇のコメントもあった。
「2004年に産業再生機構がホークスを保有するダイエーの支援を決めた時、渡辺さんは球団の先行きをものすごく心配していた。野球協約を私に読み聞かせながら、いろいろな問題点を指摘していただいた。真剣に日本の野球界を考え、愛しておられた」(読売新聞から抜粋)
日本の不良債権の象徴だった大手スーパー、ダイエー問題は、産業再生機構活用の方向性を示したことで、ダイエーホークスの動向が注目された。同機構社長だった斉藤が、後になぜかコミッショナーの座に就いたのは不思議だった。
ダイエーの機構支援要請は、朝日新聞も社長の高木邦夫辞任とともに、1面トップで扱った。これに伴い球団身売りに拍車がかかったわけで、拙者は「記者の目」で「京セラ、NTTドコモ、ヤフーが売却先になる可能性」と報じた。
ナニワの名門、南海ホークスを買収したダイエーは、球団の福岡移転、日本初の開閉式ドーム建設など地域密着で地元に根付いた。ダイエーホークス生みの親だった鈴木達郎、鵜木洋二ら仕掛け人になった幹部とも深くかかわっただけに、複雑な心境で取材した時間がよみがえる。
その間、渡辺はダイエーの球団保有に奔走している。もともとダイエーを創業したカリスマ経営者、中内功の球界参入を高く評価した。そこでダイエーホークスの球団保有、外資介入阻止に、わざわざ有志オーナーに手紙を執筆し、理解を求めたほどだった。
球界再編にあった「1リーグ構想」は一部オーナーたちによって強引に進められた。しかし、プロ野球選手会に対する「たかが選手が…」といった“渡辺発言”によって急激に風向きを変える。その一言が一人歩きしたが、渡辺は水面下でダイエーの球団維持に動いたように“功”の部分も見過ごせない。
未曽有だった球界再編では、ダイエーとロッテの合併が水面下でうごめいたが破談した。そのうち「ロッテ-西武」の組み合わせになったが、これも実現しなかった。最終的にオリックス・近鉄合併、ソフトバンク、楽天の新生チーム誕生とともに「12球団制」が保たれるのだった。
西武、ダイエーなどで球団代表だった坂井保之は、球界の縮小均衡に反対しながら論陣を張ったプロ野球経営評論家の肩書をもった。フロントのプロフェッショナルは、球界再編の主役だった大物の死去に「今思えばドラマチックな1年だった。心の中ではなつかしい」と天を見上げた。
政財界を巻き込んで大混乱し、限りなく国民文化に近い野球が存亡の危機にさらされた。史上初のストライキでは2日間プレーボールがかからない異常なシーズンだった。あの激動から20年がたっても、気は抜けないと思っている。(敬称略)【寺尾博和】