台湾でプレーするDF桜内渚が台湾の子供育成へ大きな挑戦、元日本代表のサッカー教室開催
台湾にサッカーの風を-。台湾社会人リーグ1部・台中Futoro(フトゥーロ)でプレーするDF桜内渚(35)が、台湾のサッカー文化発展の夢へ、大きな1歩を踏み出した。
このほど、ジュビロ磐田でともにプレーし、ワールドカップ(W杯)出場の経験を持つ松井大輔さん、駒野友一さん、伊野波雅彦さんを1日コーチに呼び、子供たちのサッカースクールイベントを開催。桜内は企画、運営も担当した。午前中は9歳~11歳、午後は12歳から15歳の子供たちを集め、2部門で約100人の子供たちと、ボールを蹴った。
こだわったのはスクールの質だ。
「まず、基礎をやらないといけないと思ったので。キックがうまいコマさん(駒野)はパス、松井さんはドリブル、イノ(伊野波)さんは対人を目的とした練習を、3グループに分かれて、こと細かく教えてもらいました。子供の目つきが変わって、目を輝かせて、うまくなりたい、という姿勢が見られた」
こだわりはまだある。1回限りのサッカー教室にとどまらず、同教室から、20人の優秀選手を選び、日本で1週間(12月9~15日)のサッカー合宿に連れて行く環境も整えた。日本の指導者ライセンスを持つコーチに、毎日の2部練習で技術を落とし込む。最終日は、桜内が参加する槙野智章氏の引退試合の観戦も盛り込まれている。日本のスタジアムで、人気選手が集う大会を肌で感じてもらうことも大きな目的だ。「1回限りのスクールだけではなく、サッカー教室からの大阪遠征が1つの目的です。そこで、子供たちに夢を与えられたら」と桜内は目を輝かせた。
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桜内は昨季、J3今治でプレーしていた。2月に右アキレス腱(けん)断裂の大けがを負うも、驚異の回復力で8月には公式戦復帰。9試合で先発した。契約満了で退団し、今治でのセカンドキャリアの道を模索していた。2月までオファーがなかったら引退すると決意していた中、1月下旬に台湾からオファーが舞い込んだ。
「自分の中では95%引退だろうと思いながらも、体は動かしていた。体を動かしていたということは、サッカーやりたいんだなと。去年、負傷からのスタートでしたが、復帰して試合出ていたので。自分の中ではまだできると」
引退決意から一転、台湾での現役続行の道を選んだ。
台湾と言えば、このほど「プレミア12」で日本を破り、世界一に輝いた野球が国民的人気を誇る。一方で、サッカーはW杯は関心を集めるが、国内のプロリーグの認知度は低い。桜内も、すぐに国内リーグの認知度の低さを肌で感じた。
「子供たちは小学校、中学校まではサッカーをやっているんです。それでも小学校卒業で辞めちゃう子供たちもいる。その原因は、台湾リーグの認知度。8チームからなるプロのリーグがありますが、大学生のチームや、企業のチームもあったりと、日本で言うセミプロも含むJFLのような感じです。でも、その中に台湾代表もいたり、リーグで優勝すればAFCの大会にもつながるんですよね」
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台中Futoroでプレーする一方で、同チームのサッカースクールで子供たちの指導も始めた。チームでは車は支給されず、移動手段は原付バイクだ。スクールでは、生徒の保護者は高級車で子供たちを送り迎えしているが、桜内は原付きで通っている。
「僕は笑ってるけど、そりゃ、サッカー選手になる夢はないですよね…。親からすれば、サッカーでは食べていけない、やめて勉強しなさい、になりますよね。でも、その中でもサッカーをやりたい子供たちも多いんです」
初めて、サッカーコーチとして小学生を指導したとき、そのレベルの低さにがくぜんとした。同時に、技術をしっかり指導できるコーチがいないことにも気付いた。
「リフティングできないんですよ。両足で蹴られないとか、5、6メートルのパスもまともにパスできない。その時点で日本と大きなレベルの差がある。基礎練習をしていないし、これじゃいけないなと」
その一方で、台湾リーグでプレーするうちに、台湾選手の身体能力の高さにも驚かされた。
「僕の今のチームの同僚もそうですけど、日本人と体のつくりが違う。ごつくてパワーがあって、パンチ力もある。もし、幼少期から基礎練習をやっていたら、台湾の選手は可能性しかないなと。子供たちに、基礎技術を徹底的にやらせてうまくなったら、伸びしろしか感じないし、その可能性を知ったのであれば動かないといけない」
桜内の「台湾の子供たちの育成」の目標に大きな火が付いた。今年11月、古巣のジュビロ磐田が、台湾サッカー協会(CTFA)と、サッカー振興と国際交流の推進を目的とした包括連携協定を締結したことも後押しした。
その大きな目標の1歩目が、大阪遠征付きの今回のサッカー教室企画だ。今後も、継続的に、日本合宿の機会を台湾の子供たちに与えていきたいと考えている。
「僕が、台湾を離れてもこの仕組みができてれば、台湾の子供たちを選抜して日本でプレーする機会を与えて。ゆくゆくは、国際大会に子供たち選抜して連れて行きたい。台湾のサッカー文化を変えたいというのが一番。原石がたくさんいる。しっかりした技術を広めて。やっていけば、台湾のサッカーが変わるんじゃないかと思っています」
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今回のサッカー教室では、桜内のサッカースクールの教え子も参加した。残念ながら、大阪遠征のメンバーには選抜されなかったが、「なぜ選ばれなかったのか」と自己分析を始めたという。桜内は来季も、台湾でプレーする。まだまだ、発展途上の台湾サッカーの中、桜内が踏み出した育成の1歩が、将来の台湾サッカーを変える日も近い。【岩田千代巳】