晴れやかな表情で引退会見を行う沼津伊東

J3アスルクラロ沼津の元日本代表MF伊東輝悦(50)が今季限りでの現役引退を決めた。10月31日、静岡沼津市内で記者会見し、表明した。93年のJリーグ開幕から清水でプレーし、計5クラブ、J1からJ3までの全カテゴリーでプレー。96年アトランタ五輪ではブラジルから決勝点を奪う「マイアミの奇跡」を起こすなど、日本を引っ張ってきた。93年からJ一筋で560試合出場した唯一無二の鉄人が32年間のプロ生活に幕を下ろす。

   ◇   ◇   ◇

最初から最後まで晴れやかだった。会見の冒頭で伊東ははっきりとした口調で表明した。「今シーズンをもちまして引退します。50歳までプレーできたことが幸せだった」。年齢を感じさせる白髪交じりの短髪と口ひげ。目尻のしわも目立つようになったが、現役生活を振り返る表情だけはサッカー少年のようだった。

引退を意識したのは、今シーズンが始まってからだった。引き際については自身のポリシーがあった。「純粋にプレーするのが楽しい。その気持ちよりしんどい思いが強くなったら辞めると思う」。決意したのは50歳の誕生日を迎えた今年の夏。酷暑での練習に体がついていけなかった。「本当にきつくて。体、持たないなと思った」。気持ちよりも体力の限界を感じた。

今年でプロ32年目で全てJのリーグ戦出場は通算560試合を誇る。鉄人の異名を取り、アトランタ五輪ではブラジル相手に1-0の決勝点を奪う「マイアミの奇跡」を起こした。ただ、日本中を熱狂させた試合も「4年に1回思い出してくれるので、いい思い出」と、多くを語らない「伊東節」で淡々と振り返った。

現役を続けられた原動力は「サッカーが好き」という純粋な思いだった。この日も午前練習をこなしてから会見に臨んだ。「50歳までやるおじさんがいてもいいんじゃないかと思ってやってきた」。節目の歳で引退を決め、今季も残り4試合。「全力で走り抜けたい」。残り1カ月半となった現役生活も、プロ1年目と変わらない思いで駆け抜ける。【神谷亮磨】

◆伊東輝悦(いとう・てるよし)1974年(昭49)8月31日、静岡市生まれ。東海大一高(現東海大静岡翔洋)から93年に清水入り。甲府、長野、秋田でプレーして17年に沼津へ加入した。日本代表では98年W杯フランス大会に出場するなど国際Aマッチ通算27試合無得点。Jリーグ通算560試合30得点。168センチ、70キロ。血液型B。家族は夫人と長男。愛称テル。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【沼津】50歳伊東輝悦が今季限りで現役引退 夏、酷暑での練習で気持ちよりも体力の限界感じる