ドジャース対ヤンキース 10回裏ドジャース2死満塁、サヨナラの満塁本塁打を放つフリーマン(撮影・菅敏)

<ワールドシリーズ:ドジャース6-3ヤンキース>◇第1戦◇25日(日本時間26日)◇ドジャースタジアム

【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)25日(日本時間26日)=四竈衛】ドジャースが、頼りになる3番フレディ・フリーマン内野手(35)のワールドシリーズ史上初となる劇的なサヨナラ満塁本塁打でヤンキースに先勝した。2-3と1点を追う延長10回2死満塁から右翼へ完璧な一撃をたたき込み、息詰まる熱戦に終止符を打った。右足首捻挫を押して出場し、初回には三塁へ激走を見せるなど、ド軍全体をまとめ上げるリーダーシップを名実ともに発揮した。

   ◇   ◇   ◇

確信しても、すぐには歩き出さず、一瞬、立ち止まったまま、右手のバットを地元ロサンゼルスの夜空に掲げた。延長10回。超満員の本拠地をひと振りで揺らしたフリーマンは、公式戦中には見せないような、驚きと誇らしさが混じったような表情でダイヤモンドを1周した。痛みを押して、無理して走る必要はない。ホーム周辺で跳ね上がって待つ同僚の輪へ、会心の笑みで飛び込んだ。

「何も感じなかった。ただ、浮いているような感じだった。幼い頃、兄弟と裏庭でウィッフルボール(柔らかい球)をしている時、夢を見ていたようなシナリオ。それが実際に起こって最高の瞬間だった」。生還後は、ネット裏で待つ父親のもとへ駆け付け、劇的勝利の喜びを分かち合った。

WS初戦のヒーローとなったとはいえ、今季、ここまでは苦難続きだった。7月下旬には3歳の三男マックス君が感染症を患い、看病と家族のサポートのため、戦列を離脱。復帰の際には涙ながらに苦悩していた胸の内を明かした。復帰後の8月中旬には、右手中指の亀裂骨折で一時離脱。さらに、シーズン終盤には右足首捻挫で欠場するなど、心身ともまさに満身創痍(そうい)の状態が続いた。

その一方で、プロとして、父として、最善を尽くすことの重みを誰よりも強く認識していた。難病から奇跡的に回復した愛息の姿に、自らの故障を重ねるかのように初回、右翼線への長打コースで三塁まで激走した。「マックスは元気で、足首は今以上良くなることはないだろう」と話しつつ、「家族と一緒に過ごした1週間は特別だった。愛とサポートを感じることができて特別な期間だった」と、あらためてグラウンドに立てる喜びを口にした。

強烈な個性でまとめるタイプではなくとも、クラブハウス内外で人格者として尊敬されるリーダー。「先に勝ったのは素晴らしいが、我々にはあと3勝が必要だからね」。大谷ではなく、20年MVPのベテランが初戦で主役となった流れは、ド軍にとって悪くない。

◆日本では 日本シリーズではサヨナラ満塁本塁打が2本出ている。92年<1>戦ではヤクルト杉浦享が延長12回裏、西武鹿取から代打で放ち7-3の勝利。16年<5>戦では日本ハム西川遥輝が9回裏、広島中崎から打って5-1。ともに同点の場面から飛び出した。

◆カーク・ギブソンのVTR 1988年アスレチックスとのワールドシリーズ第1戦。左太もも裏と右膝を痛めていたギブソンはスタメンを外れ、3-4の9回2死一塁から代打で登場。バットを振るのもやっとという状態ながら、抑えのエカースリーから右翼へサヨナラ2ランを放った。WSでは、史上初の代打逆転サヨナラ本塁打だった。同シリーズでギブソンの出場は、この打席だけだった。WS史上最高の瞬間とも言われ、後にこのバットはオークションで13万9015ドル(約2090万円)で落札されている。

○…ドジャースは試合前、22日に死去した伝説のOB左腕、バレンズエラ氏に黙とうをささげた。前回ヤンキースと対戦した81年ワールドシリーズMVPで、バッテリーを組んでいたイエーガー氏と88年MVPのハーシュハイザー氏が、マウンドの後方に描かれた永久欠番「34」にボールを置いて追悼。ド軍の選手たちは34のワッペンをつけてプレーした。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 夢のような…足首捻挫押して出場フリーマン「何も感じなかった」ワールドシリーズ初サヨナラ満弾