西濃運輸・吉田聖弥(2024年7月29日撮影)

24日、プロ野球ドラフト会議が開かれる。指名を待つ最速149左腕の西濃運輸・吉田聖弥投手(22=伊万里農林)はこの1年の急成長で、ドラフト上位候補に名乗り出た。高校最後の夏は初戦負けで涙を流したが、高卒4年目で社会人野球屈指の左腕に成長。22歳の秋は喜びの涙に変える。

佐賀県・唐津市出身で、99年にダイエーで最優秀中継ぎ投手に輝いた“炎のストッパー”藤井康雄氏と同郷。今では「なんで、僕野球できるんかな…(笑い)」と話すほど、スポーツとは無縁の家庭で育つが、幼少期に祖父と現地で当時ソフトバンクの杉内俊哉(現巨人投手チーフコーチ)の登板試合を観戦。クールなたたずまいで三振の山を築く姿に、とりこになった。「最初に見た選手が杉内さんじゃなかったら、僕は野球をやっていないと思います(笑い)」。少年時代は「野球より、杉内さんが好きでした」と振り返る。

伊万里農林(佐賀)では、高3の夏は連合チームで登板し、初戦でコールド負けを喫した。進路は、思わぬ形で導かれた。強豪野球部のある大学進学へ調整する中、高校の野崎政人監督の息子・大地内野手が在籍する縁で西濃運輸の練習に参加。「びっくりして。練習でめっちゃ声出すし、グラウンド整備は(20分ほどかけて)スパイクの足跡が一つもないくらいきれい」。環境や意識の高さが決め手となったが、中も近江(滋賀)のエースとして入社した当時1年目の林優樹投手(22=現楽天)の存在に心が躍った。「僕にはスターの位置づけです。この人と一緒に野球をしたい」。

自身の投球スタイルは「まっすぐとチェンジアップのコンビネーションが僕の生命線」と表現する。チェンジアップは「落ちないチェンジアップ」で“特殊球”と自認。多投はしないが「このチェンジがないと抑えられない」という。

高校時代に元来の握りでは習得できず、小指や薬指の力を頼る握りを野崎監督に教わった。「曲げる、落とす概念はなく、みんなが思っているチェンジアップではないです」。打者やキャッチボール相手からは、「直球に見える」「腕を振っているのにボールが来ていない」「なぜこれで空振りを取れるの?」と、仰天の声が続出。薬指の動きの弱さから、薬指を使う握りは球速が落ち、直球のように回転。直球と同じ腕の振りで、ローボールを投じることができる。「高校時代は、そこまで自信のある球ではなかったけど、社会人に入ってこんなに自信がついた」。

自信の原点は昨年だった。3年目まで年間を通して登板した年はなく、退部を意識したが、見かねた堀田晃投手コーチ(30)の激励で一念発起。「おまえがよくなったら、チームが勝てるよ。応援してくれる人たちを思い浮かべてみろ!」。家族や友人の存在を思い出せば、逃げ出せなかった。「自分が投げている姿を少しでも見せたい」。練習後は個別で堀田コーチとマンツーマンで1時間練習。体幹トレや食トレ、栄養学に励み、最大限の強化を図った。「大分つきっきりでした…。自分自身も堀田さんのことも信じました」。今年は、春の都市対抗予選で4戦27イニング無失点、本大会では3試合に先発し8年ぶりに4強入り。4年目の大健闘の裏に、信じてくれた恩人の存在があった。

NPB入りがかなった暁に秘める思いは、至ってシンプル。「応援してくれた人に、『ありがとうございます』と伝えたい。もちろん一番感謝の思いを伝えたいのは、堀田さんです」。吉田聖弥という左腕が歩んだ、まれな野球人生。プロの舞台で、一筋の光となる。【中島麗】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【ドラフト吉報待つ】高3夏初戦敗退→ドラフト候補の高卒4年目左腕、西濃運輸・吉田聖弥に迫る