1972年ミュンヘン五輪のマラソン代表で、ボストン・マラソン優勝などの実績も持つ采谷義秋(うねたに・よしあき)さんが、肺炎のため今月5日に広島県呉市の病院で死去した。78歳だった。同市出身。葬儀は家族葬で済ませた。喪主は妻宣子(のぶこ)さん。 日体大を卒業後、広島県の県立校、竹原高の教員に。マラソンランナーとして活躍し、実業団に所属しない「公務員ランナー」のトップ選手だった。68年メキシコ五輪の代表候補になったが、選出されなかった。翌年のボストンでは2時間13分49秒で優勝。ミュンヘン五輪で君原健二選手、宇佐美彰朗選手とともに代表入りを果たした。同五輪の結果は36位だった。 数年前から喉頭がんを患い、入退院を繰り返していたという。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕采谷義秋さん 〔写真説明〕1972年3月の毎日マラソンで3位になった采谷義秋選手(右)。中央は優勝の宇佐美彰朗選手、左は2位の君原健二選手=滋賀・皇子山陸上競技場