日本サッカー界が忘れ難い経験をしたドーハ。いまだに「悲劇の地」の印象が強く残るが、その後の日本代表は8勝2分け(PK戦勝ち1試合含む)と負けなし。むしろ相性はいい。 象徴的なのは2011年アジア・カップ。宿敵オーストラリアと激突した決勝は延長戦に突入。李忠成が芸術的なボレーシュートを決めて優勝した。会場のハリファ国際競技場は、今回のワールドカップ(W杯)で強豪ドイツ、スペインと対戦する場所。日本にとっては戦い慣れたスタジアムだ。 日本協会は50年までにW杯優勝の目標を掲げる。7大会連続出場となるカタール大会は、1998年の初出場から中間点。「ドーハの悲劇」を契機に指導者、選手両面の育成強化を図ってきた歩みは着実に実を結び、日本代表の森保一監督を筆頭にドーハ戦士も指導者として貢献してきた。 吉田光範氏(60)は、地元の愛知県で育成年代を指導。ダブルボランチを組んだ森保氏が無名からのし上がったことを重ね合わせ、「埋もれている子がたくさんいる。掘り出してあげたい」。日々、子どもたちの可能性に目を凝らしている。 かつての守護神で、現在は横浜MでGKコーチを務める松永成立氏(60)は「ドーハの悲劇があったなと頭の片隅で思い浮かべながら戦うと思うが、今度はいい瞬間を迎えてほしい」。森保ジャパンに期待を寄せた。 ◇ドーハの悲劇 ドーハの悲劇 1993年10月28日、ドーハで行われた94年サッカーワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選の最終戦で日本がイラクと引き分け、初のW杯出場をあと一歩で逃した試合。日本は勝てば無条件で出場権を得られたが、2―1の後半ロスタイムに同点ゴールを許し、一転して予選敗退となった。 同予選は6チームによる総当たりで争われ、上位2チームに本大会出場権が与えられた。日本は最終戦を前に2勝1分け1敗の勝ち点5(当時は白星が勝ち点2)で首位に立っていたものの、5位までが勝ち点差1の混戦。引き分けに終わった日本は得失点差で3位に転落し、最終戦を勝利したサウジアラビアと韓国が突破した。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕アジア杯決勝でオーストラリアに勝利し、優勝カップを掲げる主将の長谷部(手前)=2011年1月29日、カタール・ドーハ 〔写真説明〕「ドーハの悲劇」を経験した元日本代表の吉田光範氏=7月27日、愛知県刈谷市 〔写真説明〕元日本代表GKで、横浜Mコーチの松永成立氏=1日、豊田スタジアム