(画像=株式会社龍角散)
藤井 隆太(ふじい りゅうた)
株式会社龍角散 代表取締役社長
1959年11月9日 東京都生まれ。桐朋学園大学音楽学部卒業。仏パリ・エコール・ノルマル音楽院留学の後、1984年桐朋学園大学音楽学部研究科を修了。小林製薬、三菱化成工業(現・三菱ケミカル)を経て、1994年龍角散入社、1995年代表取締役社長に就任。 世界で初めて開発した服薬補助ゼリー「らくらく服薬ゼリー」、「おくすり飲めたね」のヒット、基幹商品「龍角散」の姉妹品「龍角散ダイレクト」の投入などで累積赤字を一掃。売上を就任時の6倍まで伸ばす。また、東京都家庭薬工業協同組合副理事長、日本家庭薬協会副会長、厚生労働省社会保障審議会医療保険部会臨時委員を歴任するなど、業界の発展に尽力しながら、フルート奏者としてコンサートへの出演や後進の指導にもあたっている。 東京生薬協会会長として2017年度 薬事功労者厚生労働大臣表彰受賞。
株式会社龍角散
江戸時代に秋田の藩主の喘息を治すために誕生した龍角散は、明治維新以降、広く国民のための薬となりました。以降、鎮咳去痰薬「龍角散」、「龍角散ダイレクト」をはじめとする医薬品、「龍角散ののどすっきり飴」、服薬補助ゼリー「らくらく服薬ゼリー」「おくすり飲めたね」などを製造販売するのどの専門メーカーとして皆様の健康に貢献しております。1871年創業。

創業からこれまでの事業変遷

ーーまずは創業からこれまでの事業変遷について簡単にご説明いただけますか?

株式会社龍角散 代表取締役社長・藤井 隆太氏(以下、社名・氏名略):龍角散は江戸時代に誕生し、地域医療に貢献することからスタートしました。私の祖先は、秋田藩の典医を務めていました。藤井家に伝わる家伝薬は、当初は万能薬として提供していましたが、3代目の藤井正亭治が仕えていた佐竹義堯侯が喘息だったことから、喉に特化した薬として改良し、現在の「龍角散」の処方の基礎を確立しました。廃藩置県後、全国への販売を開始したことが私たちのビジネスの第一歩です。

歴史の長い企業であるため、これまでに数々の危機を経験してきました。特に、文明開化や関東大震災、第二次世界大戦といった外的要因が業績に大きな影響を与え、倒産寸前にまで追い込まれたこともありました。

現在、社員数は100名未満ですが、売上高は240億円を超えています。売上は伸び続けていますが、従業員数は増やさず、自動化やITの活用を通じて生産性を向上させています。特に、のど薬やのど飴で知られる弊社は、のどカテゴリーでトップの売上を誇っています。

今後はさらに生活者の健康に貢献し、企業イメージを強化することを目指しています。また、国産生薬の栽培を通じた農業支援による社会貢献にも力を入れ、地域社会との連携を深めていきたいと考えています。

承継の経緯と当時の心意気

ーー藤井社長が就任されたときの状況について教えていただけますか?

藤井 私が社長に就任した当時、会社は経済的にも評価的にも低迷していました。長年支持されていた製品も、消費者の生活様式の変化や高齢化に伴って売上が減少し、ドラッグストアへの営業対応不備や新製品開発の失敗が続いたことで、経営が悪化していました。

その結果、私は会社をいかにクロージングするか、本気で悩む時期を迎えました。しかし、これまでの恩返しや、本当に道が尽きたのかを考えた結果、会社の強みを再発見し、立て直すことを決意しました。ヘビーユーザーの意見から、当社の喉に関する専門性と歴史が強みであることに気付き、喉以外の分野への進出を全てやめ、喉の領域に特化しました。

その後、役員全員を解任し、会社改革を進めました。借金を返済し、得た利益を全て再投資した結果、会社は復活を遂げ、新製品も次々と成功を収めました。

ぶつかった壁やその乗り越え方

ーーこれまでの経営でぶつかった壁などさまざまあったかと思いますが、詳しくお伺いできますか?

藤井社内の反発などは常に感じています。今でもいろんな声はありますが、私自身この会社の組織をオーケストラ型にしたいという想いがあります。指揮者がいて、演奏者は自分のパートしか持っていない。全体の音を平均的に聞けるのは指揮者だけです。指揮者が絶対的な権限を持ち、他の人は指揮者の言うことに従う。逆に、私は現場に行って意見を聞き、最終的に決定を下す。そのように、全ての結果に対して責任を持ち、常に現場での声を反映させることを大切にしています。

そのため特に新規事業や海外対応などは私が現場に行って直接指示を出すことで、効率化が図られると考えています。

今後の展望

ーー今後の展望についてお聞かせください。

藤井 弊社は大企業になることよりも、生産性の向上に重点を置いています。元々、自社工場で50品目製造しておりましたが、現在では自社工場での製造は4品目に絞り、選択と集中を行った結果、生産性が飛躍的に向上しました。

また、弊社はセルフメディケーションの推進に貢献したいと考えています。病気の予防や早期対応が重要であり、政府や官僚が実行しづらい部分を、我々が業界のリーダーシップを持って推進していくべきだと思います。

(画像=株式会社龍角散)

ーー海外展開も進んでいるとのことですが?

藤井 はい。韓国での事業は70年以上前に始まり、香港、台湾でも数十年の歴史があります。特に香港や台湾での成功体験は、日本国内のマーケティングにも活かすことができました。

近年、中国において模造品の問題もありましたが、中国大手メーカーと提携して現地での販売を進めたり、裁判を通じて対処したりすることで、強固な販売ルートを築くことができました。現在では、中国市場で約30億円以上の売上を上げており、カテゴリーのトップクラスに位置しています。

メディアユーザーへ一言

ーー最後に弊社のメディアユーザーへメッセージをお願いします。

藤井 よく「100年企業になるにはどうしたら良いか」と問われますが、私は逆に「何故100年企業になりたいのか」と問います。いかに優れた製品やサービスであっても時間がたてば陳腐化します。長い歴史のある企業こそ猛烈に進化しているのです。仮に進化できなければ社会的存在意義がなくなるので自ら退場すべきでしょう。永続的に社会に貢献したければ時代に先駆けて自ら進化を続けることが求められると考えています。

私は音楽大学出身で、経営の勉強はしていませんでしたが、情熱と努力で会社を立て直すことができました。読者の皆さんにも、自分の道を信じて挑戦してほしいと思います。

氏名
藤井 隆太(ふじい りゅうた)
会社名
株式会社龍角散
役職
代表取締役社長

情報提供元: NET MONEY
記事名:「 「龍角散」社長が語る—江戸時代創業からの復活戦略と今後の展望ーー株式会社龍角散