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日本の作曲家による優れた作品の普及を行うスリーシェルズは、菅原淳、岩見玲奈、大嶋浩美による「伊福部昭、池野成、黛敏郎打楽器作品集」CDを11月3日に発売することを10月17日に発表した。
爆裂系ド迫力打楽器音楽の決定版CDの完成である。
CDはタワーレコード、HMV、ディスクユニオン、アマゾン、東武トレーディングなどを通じて全国販売される(スリーシェルズ直販も行う)。
打楽器音楽の傑作を書いた伊福部昭、池野成、黛敏郎
このCDは、日本音楽界を作曲と教育の両面で支えた作曲家の伊福部昭を中心に、その弟子である池野成と黛敏郎の作品を収録したものである。伊福部昭のマリンバ協奏曲「ラウダ・コンチェルタータ」と、黛敏郎の「シロフォンコンチェルティーノ」は、打楽器奏者ならば誰もが知る傑作である。また、池野成のマリンバ協奏曲である「エヴォケイション」、ティンパニ協奏曲である「ティンパナータ」は、膨大な数の打楽器を使うためなかなか上演機会がないが、知る人ぞ知る傑作として根強い人気を持った作品であり、今回のような形でセッション録音が発売されるのは非常に喜ばしいことである。とにかく爆音でド迫力の池野成の真価がこのCDで味わえるだろう。
現在の打楽器界で最高のメンバー!
今年で70歳(古稀)を迎えた巨匠・菅原淳によるティンパニソロでコンチェルト「ティンパナータ」(池野成作曲)。
ザルツブルク国際マリンバコンクール第1位の岩見玲奈がソロを担当する「黛敏郎作曲のシロフォンコンチェルティーノ」、「池野成作曲のエヴォケイション」「伊福部昭作曲のラウダ・コンチェルタータ」。
池野作品では、管打楽器アンサンブルによる池野成記念アンサンブルが演奏。
管楽器はオーケストラ、スタジオなどで活躍する優秀なメンバー。
打楽器は、菅原淳の教えを受けたパーカッション・ギャラリーが結集。
メンバーはいずれも国内外の打楽器コンクールなどで上位入賞を果たした実力者であり、今後の音楽界を担う優秀な音楽家である。
黛、伊福部作品は、国内外で活躍する気鋭のピアニスト大嶋浩美が担当した。
「伊福部昭とその弟子たち、宿命とも形容できる音の邂逅」(小林淳)
師弟関係の契りを結んだ作曲家たちの魂の雄叫びともいえる声が耳にこだましてくる。それらの要素が演奏者各人のパッション、エネルギーをも取り込む形で爆発的なほとばしりと化して迫ってくる。伊福部の響きを根源としたスリリングかつスペクタキュラーな音の饗宴に心ゆくまで身を任せよう。
CDタイトル「伊福部昭、池野成、黛敏郎打楽器作品集」
スリーシェルズ 3SCD0035
2778円(税抜・本体価格)
バーコード 4560224350351
CDデザイン 田代亜弓
CD発売元 スリーシェルズ
録音:上埜芳雄、編集:磯部英彬
発売日 2017年11月3日
収録曲目
1.池野成:ティンパナータ (1977) TIMPANATA 14分12秒
2.池野成:エヴォケイション(1974)EVOCATION 19分22秒
3.黛敏郎:シロフォンコンチェルティーノ(1965) Concertino for Xylophone and Orchestra 約12分
4.伊福部昭:ラウダ・コンチェルタータ(1979) LAUDA CONCERTATA 27分25秒
ソロティンパニ: 菅原淳
マリンバ: 岩見玲奈
ピアノ: 大嶋浩美
録音会場
伊福部、黛作品、5月16日豊洲シビックホール
池野成作品、5月29日、30日
演奏者
ティンパナータ
ティンパニ:菅原淳
打楽器:大場章裕、村居勲、岩崎愛子、岩下美香、柴原誠
フルート: 向井理絵
テナートロンボーン:加藤Billy真弘、増圭介、古川諭
ホルン: 本田史由記、杉崎瞳、小口遥
チューバ: 伊関愛里
エヴォケイション
マリンバ:岩見玲奈
打楽器:村居勲、岩崎愛子、岩下美香、野本洋介、大場章裕、柴原誠
テナートロンボーン:加藤Billy真弘、増圭介、古川諭、品川隆
バストロンボーン:小林千暁、小泉邦男
シロフォンコンチェルティーノ、ラウダコンチェルタータ
シロフォン、マリンバ: 岩見玲奈
ピアノ: 大嶋浩美
■師弟関係の契りを結んだ作曲家たちの魂の雄叫び■ 小林 淳
伊福部昭、黛敏郎、池野成の業績を顧みる行為は、戦後日本楽壇の道程をふりかえることにもつながる。伊福部が主に東京音楽学校時代に育成した作曲家たち、つまりは芥川也寸志、奥村一、黛敏郎、矢代秋雄、池野成、小杉太一郎、永冨正之、三木稔、松村禎三、石井眞木等々の、伊福部を長とする“伊福部楽派”の創作活動がいかに現在に至る日本楽壇のあまたの部分を築いたのか、作曲界にどれほどのものをもたらしたのか、これらがおよそ見えてくる。ここでは伊福部、黛、池野、三者による打楽器作品に光があてられる。
黛敏郎と池野成、ふたりとも東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部)で伊福部に師事した。伊福部の謦咳にふれ、対峙し、共感し、心酔し、ときにぶつかり、反発し、そうした日々と研鑽を積み重ねることでひとりの作曲家として上りつめた両者が遺した響き、鳴り、音楽形態それぞれに伊福部との対話の痕跡が詰まっていよう。彼らは伊福部ばかりでなく、池内友次郎にも師事し、黛は橋本國彦の門下でもあった。ゆえに伊福部の指導、教示によってすべてが形成された作曲家ではない。もちろん自己の志向もある。だから己の素養と思念に従って創作に向き合う藝術家であれば、こうした受け取り方は的確とはいえない。
ではあるが、運命的な邂逅を経ることで宿命とも形容できる師弟の間柄に成り立った彼ら三者三様の血のたぎり、脈動、息遣い、旋律と律動、音色への尽きることのない探求心がおのおのの作家性をともないながら現出してくるのもまた確固たる事実なのだ。黛、池野作品の根幹からは師・伊福部への賛歌が湧き上がってくるかのごときであり、伊福部作品からは、創作家は自己の美学、美観をどこまでも追求していかなければならない、いくべきなのだ、といった藝術家、創作家が備えるべき旗識があらためて突きつけられてくる。伊福部の《ラウダ・コンチェルタータ》、黛の《シロフォン・コンチェルティーノ》、池野の《エヴォケイション》、この三作品はいずれも委嘱作であるのに初演時に演奏が見送られた過去を持つ。黛、池野がまさにそのような伊福部の理念、思想に導かれていた証左となろう。
伊福部、黛、池野、日本の現代音楽界にその名を刻印した三人の作曲家の打楽器作品に浸る。音楽とは、作曲とは、意識の向上とは、自己表現とは──。師弟関係の契りを結んだ作曲家たちの魂の雄叫びともいえる声が耳にこだましてくる。それらの要素が演奏者各人のパッション、エネルギーをも取り込む形で爆発的なほとばしりと化して迫ってくる。伊福部の響きを根源としたスリリングかつスペクタキュラーな音の饗宴に心ゆくまで身を任せよう。
曲解説
池野成/ティンパナータ Sei Ikeno/Timpanata
ティンパナータはエヴォケイションの初演(1977年2月)にメンバーとして参加した有賀誠門が、池野の強烈なビートに惹かれて、是非、自身のためにティンパニが活躍する曲を書いてほしいと依頼したことによる。同年10月30日の藝大の創立90周年記念演奏会での初演が決められ、練習に要する時間を考慮すると作曲に要する時間的余裕は余りなかったのでは、と想像するが、エヴォケイションで打楽器の扱いや奏法に対する確信を得た池野は、限られた時間ではあったものの有賀の依頼を引き受けた。
ティンパニを独奏楽器として扱うには作曲上別の制約もあった。チューニングが可変であるという利点はあるが、ティンパニには倍音が多く、それも簡単な整数比をもって現れるのではないので、アレグロの早いパッセージに歯切れのよい律動感は求め難いということである。
であるならば、アンサンブルにおけるティンパニの役割としては、太古の叙事詩語りの世界、古代ギリシャのホメロスのような世界、英雄譚などを語る長老のような役割を独奏ティンパニに与えることとし、ティンパニの荘重な出だしにアルト・フルートの叙事的な詠唱が絡むような導入を構想した。ティンパニとフルートとの掛け合いが続き、やがて金管の応唱と打楽器の強烈な律動による乱舞的な英雄譚へと移る、つまり、それらの要素を交互に織り交ぜながらクライマックスへと導いてゆく構成となった。曲は二部構成で緩急緩の第一部分とエキサイティングな打楽器中心の第二部からなっている。全体としてはティンパニで始まりティンパニで終わる。
池野はタイトルを、ティンパニの独奏楽器としての役割を明確に示すため、ティンパナータ=Timpanataと名付けた。Timpaniに-ataという接尾辞を付加したもので、文法的にはティンパニ使用の持続性を表すような広がりのある意味を持つ語となる。ティンパナータは池野の造語ではあるが、実際この様に使われているよく知られている音楽用語としては歌を意味するカント=Cantoに-ataを付けたカンタータ=Cantataがある。
楽器編成:は叙事的な役割としての独奏ティンパニとアルト・フルート(フルートとの持ち替え)、男声合唱隊的な役割としてのホルン3本、トロンボーン3本、テューバ1本、そして強烈な律動を担う5人の打楽器奏者による、ピッチを指定されたコンガ(アルト、テナー、バッソ)やトムトム、カウベル、その他キューバンティンバレス、カスタネット、キハーダ、グランカッサとなっている。(永瀬博彦)
池野成/エヴォケイション Sei Ikeno/Evocation
音楽はそもそも身体と、つまり肉体的な動きと密接に係わっていて、リズム主体のジャズやラテン音楽はもちろん、ポピョラー音楽においてはブルースやジャズからの要素を強く受け継いでいる。その根源にはアフリカがある。純音楽においては、大雑把な言い方ではあるが20世紀後半から肉体からの乖離、より頭脳依存への傾向が浸透していった。つまり、理知的に哲学的に音楽を捉える都会的進歩主義的な傾向が強まったことにより、結果として音楽の根源的な肉体的躍動感が失われていった。池野はその失われた実体ある音楽のエキスをアフリカに求めた。
エヴォケイションは、あるマリンバ奏者からの依頼で、マリンバが中心に活躍する曲を頼まれたことによる。しかし、コンガなど手打ちの膜質打楽器を偏愛する池野は、マリンバを中心に置かず、必ずしも主人公ではない、アンサンブルの中の1パートとして扱い、いわゆるコンチェルト風にはしなかった。1974年4月に完成したが、依頼者はこの作品を演奏することはなかった。
そうした境遇にあったこの作品を世に送り出したのは松村禎三で、1977年2月、松村がプロデュースする「現代の音楽展・77」の一夜でそれが実現した。会場は当時有楽町にあった旧第一生命ホールで、6名を要する打楽器群には有賀誠門と学生による東京音楽大学パーカッション・アンサンブルが、独奏マリンバには岡田真理子が、また、6名のトロンボーンには伊藤清と学生による東京音楽大学トロンボーン・アンサンブルがそれぞれ参加した。つまり、初演にはすべて東京音楽大学の主だった教員と学生らによる全面的協力によってなされたのである。プログラムの最後に演奏されたエヴォケイションは、打楽器群が叩きだす強烈な律動と、その持続に理屈を通り越して会場は完全に飲み込まれてしまい、現代音楽の演奏会では決して起こることのない、熱烈な拍手が沸き起こった。そしてこれがそれまで沈黙を続けていた池野の存在を広く知らしめるきっかけとなり、打楽器アンサンブルの傑作として、また、池野の代表作として位置付けられるようになったのである。
池野はこの作品でコンガ、トムトムなどの膜質打楽器、そしてカウベルにまでにピッチを指定している。このことも打楽器アンサンブルに新天地を拓いたと言えるだろう。
付記:奇しくも黛のコンチェルティーノ、池野のエヴォケイション、そして伊福部のラウダと、これら3つの作品はいずれも委嘱によって書かれたたものの、依嘱した側の意にそぐわなかったのか、初演が見送られたという共通の経緯を持つ。しかしその後、多くの奏者によって演奏され何れも高い評価を得ることが出来、今では定番の作品となっている。時代のパラドックスと言うべきか、不思議な巡り合わせである。(永瀬博彦)
黛敏郎/シロフォン・コンチェルティーノ(ピアノリダクション)
Toshiro MAYUZUMI/Concertino for Xylophone and Orchestra
第1楽章 Allegro Vivace 第2楽章 Adagietto 第3楽章 Presto
この曲は1963年、打楽器奏者の平岡養一の委嘱を受けて作曲された。当初はアメリカでの初演を予定していたが初演されず、そのままになっていた。そのうちにピアノ伴奏版の楽譜がペータースから出版されたことから、現在では世界の打楽器奏者がこぞって演奏する人気の作品となった。日本のオーケストラでも、入団テストに使われるほどメジャーな作品として知られている。
第1楽章から、この曲を形作るリズムがあらわれ、軽快にして快活なアレグロとなる。第2楽章は日本的情緒による郷愁を誘うアダージョ。メシアン的な旋律やジャズのムーディーな要素も感じさせ、ただの情緒に陥らないようなモダンな感覚も付与されている。第3楽章はプレストで、逃げ去るように幕を閉じる爽快なフィナーレとなる。
オリジナルのフルオーケストラ編成は ピッコロ、2フルート、2オーボエ、2クラリネット、アルトサクソフォン、2ファゴット、2ホルン、2トランペット、2トロンボーン、チューバ、ティンパニ、打楽器1名、ハープ、シロフォン独奏、弦楽五部。(西耕一)
伊福部昭/ラウダ・コンチェルタータ(ピアノリダクション) Akira Ifukube/Lauda Concertata
伊福部が東京音楽大学の学長に就任した年にあたる1976年の作品である。作曲の経緯は米国で活躍していた木琴奏者の平岡養一から、自身の演奏生活50周年記念演奏会をアメリカで行うのでそのための作品を、と依頼されたことによる。しかし、大作として完成したラウダを前にして、演奏する体力が晩年の平岡には残っていなかったのか、この作品が平岡によって演奏されることはなかった。伊福部も次の作品「ヴァイオリン協奏曲第2番」(1978年)に取り掛かり、「ラウダ」はそのまま暫く放置されることになる。
その後、新星日本交響楽団から創立10周年記念演奏会のための新作委嘱をきっかけに、ソロパートを平岡仕様の楽器(最低音f)から、そのオクターブ下まで出せるコンサートマリンバ用に、効果的に数か所に亙って8va bassa(=オクターブ下で)を付して音域を広げ、これをもって完成版(1979年)とし、安倍圭子のマリンバ、山田一雄の指揮によって初演された。
作品はAdagio religioso(=敬虔なるアダージョ)の弦のトゥティによるラウダ(=伊語で「頌歌」の意)の<歌>と、それに続く荒々しい音色が強い印象を与える3連音符によるマリンバの<動>、この対照的な2つの要素からなっている。出だしのラウダのテーマは直近の音(ソ(右下矢印)ファ(右下矢印)レ(右上矢印)ミ(フラット))のような順次的な進行ではなく、「ソ(右下矢印)ファ↑レ↓ミ(フラット)」と3番目の「レ」をオクターブ上に転位させ、また、次の「ミ(フラット)」へも大きく7度下に下降させるなど、ラウダのフレーズはこうした跳躍的な進行によって、空間的な広がりと非日常的な緊張感が与えられている。一方、マリンバはカデンツァ以外そのほとんどが、3連音符によって書かれ、一拍が<タタタ>、4拍子では<タタタ・タタタ・タタタ・タタタ>となるのだが、その連続的な運動性は、ラウダの一拍1音符、あるいはその倍以上の音価による拡大旋律とは明らかに対極をなし、始原的で力強い縄文的性格をも喚起させている。また、中間部のAndanteではマリンバの緩やかなフレーズが、ホルンの接続句を挟んで2度下に転調するところがあるが、中間部におけるこうした転調の妙もこれまでの伊福部作品には珍しく、この作品の特徴であると思う。そして終盤での圧倒的なアレグロとダイナミックなオーケストレーションによって聴衆の心を掴み、この作品がその後の伊福部再評価の大きなきっかけとなった。(永瀬博彦)
ソリスト・プロフィール
菅原淳 Atushi Sugahara(ティンパニ)
大阪生まれ。東京藝術大学卒業。フランス政府給費留学生として、パリ・コンセルバトワールに留学。J・ドレクリューズ、S・グァルダの両氏に師事。74年、ラ・ロッシェル国際打楽器コンクール第1位。グループ「3マリンバ」、アンサンブル「ヴァン・ドリアン」を結成、作曲家に曲を委嘱し、数多くの日本初演をする。
80年、パリで行われた国際打楽器コンクールの審査員を務める。83年、中島健蔵賞受賞。96年、平成7年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。99年、第8回朝日現代音楽賞受賞。2000年、カナリア諸島音楽祭において、石井眞木作曲「アフロ・コンチェルト」を、ゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団と共演。元読売日本交響楽団首席ティンパニ奏者。現在、東京音楽大学教授。
岩見 玲奈 Reina Iwami(マリンバ、シロフォン)
2009年ザルツブルクにて行われた国際マリンバコンクールにて第1位受賞をはじめとし、2008年第25回日本管打楽器コンクール第1位、2007年ベルギー国際マリンバコンクールソロ部門第2位、2010年現代音楽演奏コンクール“競楽XI”第3位・聴衆賞を受賞など国内外の多くのコンクールで優秀な成績を収め、早くから注目を集める。 兵庫県高砂市出身。8歳よりマリンバを、16歳より打楽器を始める。日ノ本学園高校音楽科から東京音楽大学器楽専攻管打楽器(打楽器)に進み卒業後、同大大学院の管打楽器研究領域を特別特待奨学生として修了。2010・2011年度(財)ロームミュージックファンデーション奨学生。リサイタル開催の他、関西フィルハーモニー管弦楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、ソフィアフィルハーモニー管弦楽団、航空自衛隊西部航空音楽隊をはじめとする、さまざまなオーケストラや吹奏楽団とマリンバ協奏曲を共演。これまでに松本真理子、前川典子、菅原淳、有賀誠門、岡田眞理子、村瀬秀美、藤本隆文、久保昌一の各氏に師事。「パーカッション・ギャラリー」メンバー。・CD「ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス」土気シビックウインドオーケストラVol.14にソリストとして参加し真島俊夫のマリンバ協奏曲「睡蓮の花」を共演、デビューソロアルバムCD「The WAVE」を、共にCAFUAレコードよりリリース。
大嶋浩美 Hiromi Oshima(ピアノ)
日光市出身。3歳より、ピアノとヴァイオリンを始める。栃木県立宇都宮女子高等学校を経て、東京音楽大学卒業。東京音楽大学大学院音楽研究科器楽専攻鍵盤楽器研究領域(ピアノ)修士課程を修了。東誠三、菊地麗子の両氏に師事。大学院修了後、M.サワー(シカゴ交響楽団首席ピアニスト)、L.ラザー(Roosevelt University教授)、両氏のもと、欧米にて研鑽を積む他、国際セミナーのマスタークラスを修了。2010年、ポーランドにて、Polish Silesian Philharmonic Orchestraと共演。国内では、リサイタルを開催する他、08年~10年、日本最大のクラシック音楽祭“LA FOLLE JOURNÉE au JAPON「熱狂の日」音楽祭”に出演。また、世界遺産「日光の社寺」登録15周年記念シンポジウムにて、オープニング演奏を務める。15年3月、日光東照宮四百年式年大祭記念 舘野泉ピアノ・リサイタルに出演。15年8月、同奉祝リサイタル、16年10月、同御鎮座四百年記念ジョイントリサイタルを開催。17年2月、栃木県議会議事堂ホールコンサートにて、栃木県交響楽団と共演する他、多数のコンサートに出演。いずれも満員の観客のもと行い、好評を得る。05年より、東京音楽大学にてヴァイオリンを三戸泰雄氏に師事し、06年~12年、母校、栃木県立宇都宮女子高等学校オーケストラ部講師を務める。また、日光市教育会教育講演会や、小中学校での講演会など、講演活動の折には、ピアノとヴァイオリンの演奏をし、より多くの人に生のクラシック音楽を届ける他、1/16から1/1まで、7サイズのヴァイオリンを展示、体験コーナーを設けるなど、次世代へのクラシック音楽の普及活動にも力を入れている。14年1月、地元・栃木県日光市の観光大使に就任。現在、演奏活動を行う傍ら、講演活動、後進の指導(ピアノ、ヴァイオリン)にもあたっている。
作曲家プロフィール
池野成 Sei IKENO
1931年2月24日北海道札幌生まれ。古代・始原のリズム、音響エネルギーを求めた濃厚でエネルギッシュな作風に評価が高い。その独自な響きやリズムは「池野トーン」「池野リズム」と形容される。東京藝術大学において、池内友次郎、伊福部昭に師事。 芸大管弦楽部では打楽器を担当、のちに池野作品の特色を決定づける要因に発展する。 1952年「序奏と交響的アレグロ」が第21回日本音楽コンクール管弦楽部門第2位に入選。NHK交響楽団、山田一雄指揮により演奏された。大学在学中より、伊福部昭の片腕として、映画音楽のオーケストレーションを担い、伊福部のもっとも信頼する弟子のひとりとなる。1956年、映画「稼ぐ日」で映画音楽作家としてもデビューし、その驚異的な仕事の速さと、映像への巧みな音楽は監督陣から注目され、瞬く間に大映、東映、東宝、松竹等の製作会社と契約を結び、「氷点」「白い巨塔」「妖怪大戦争」「電送人間」など200作品にも及ぶ映画音楽を担当する。 その間東京藝術大学、東京音楽大学において、作曲・管弦楽法の講師を務め、和田薫、藤田崇文ら多くの人材を育てた。1983年文化庁芸術祭参加作品「ラプソディア・コンチェルタンテ」は日本のヴァイオリン協奏曲の傑作として推すものも多い。1994年より長年憧れていたスペインに移住し、バルセローナにて作曲した「ディヴェルティメント」が遺作となり、2004年8 月13日東京にて73歳の生涯に幕を閉じた
伊福部 昭 Akira IFUKUBE
1914年5月31日、釧路町幣舞にて誕生、音更にて育つ。アイヌとともに育った幼少時が音楽的原体験となる。伊福部家の家学は『老子』、幼い頃から父に教え込まれる。北海道帝国大学農学部林学科に進みつつ音楽を独学、ヴァイオリンを弾く。二人の兄や、早坂文雄、三浦淳史らと、ストラヴィンスキー、ラヴェル、サティなどに触れ、熱き音楽的青春を過ごす。21歳の時「日本狂詩曲」がチェレブニン賞を受賞するが、大学卒業後は林務官として北海道に留まる。戦後、1946年に作曲家として生きる決意を胸に32歳で上京。芥川也寸志、黛敏郎、池野成、三木稔、松村禎三等を育てる傍ら、多くの映画音楽を生み出した。1954年40歳、映画『ゴジラ』の音楽を担当、日本の映画音楽において奇跡的出会いであった。同年、初の交響曲「シンフォニア・タプカーラ」を発表。多くの作品、弟子、映画音楽を残して、2006年2月8日に91歳でこの世を去った。
黛 敏郎 Toshiro MAYUZUMI
1929年(昭和4年)2月20日、横浜生まれ。東京音楽学校(東京藝術大学)で橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭等に師事。1948年(昭和23年)に作曲した「ディヴェルティメント」により才能を認められる。1950年(昭和25年)作曲の「スフェノグラム」は、翌年のISCM国際現代音楽祭に入選して海外でも知られるようになる。1951年(昭和26年)パリ・コンセルヴァトワールへ留学、トニー・オーバン等に学ぶ。フランスから帰国後、ミュージック・コンクレートや日本初の電子音楽を手がけた。1953年(昭和28年)芥川也寸志、團伊玖磨と「3人の会」を結成。また、吉田秀和等と「二十世紀音楽研究所」を設立。雅楽・声明をはじめ、日本の伝統音楽にも造詣を深める一方、交響曲、バレエ、オペラ、映画音楽等の大作を発表した。1964年(昭和39年)より、テレビ番組「題名のない音楽会」の企画、出演。東京藝術大学講師、茶道「裏千家淡交会」顧問、評議員。「日本作曲家協議会」会長、「日本著作権協会」会長などを歴任した。
「涅槃交響曲」(1958)で第7回尾高賞、「BUGAKU」で第15回尾高賞を受賞。
主な作品に「ルンバ・ラプソディ」(1948)、「饗宴」(1954)、「曼荼羅交響曲」(1960)、「シロフォン小協奏曲」(1965)、オペラ「金閣寺」(1976)、「KOJIKI」(1993)、バレエ「The KABUKI」(1986)「M」(1993)他がある。ピアノ曲は、「前奏曲」「金の枝の踊り」「天地創造」などがある。
ISCM入選(昭和31、32、38年)。毎日映画コンクール音楽賞(昭和25、32、38、40年)。毎日演劇賞(昭和33年)。ブルーリボン賞(昭和40年)。仏教伝道文化賞(昭和50年)。紫綬褒章(昭和61年)。1997年(平成9年)4月10日逝去。
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担当 西