■それは聖地に集いし太陽のスポーツ 読者諸氏は、CR-Xデルソルというクルマをご存じだろうか? 7月15日雨混じりの初夏に、ツインリンク茂木のホンダコレクションホール前の駐車場にて、デルソルもてぎミーティングが開催された。 今年で24回目となる同イベントは、同車輌の有志たちにより運営される単一車種のイベントだ。 CR-Xデルソルは名前の通り、ホンダバラードスポーツCR-Xの末裔のモデルだ。 とはいいながらも、ハイデッキのハッチバッククーペであった歴代モデルとは一線を画し、それまでとは全く違ったスタイリングのオープンカーとして1992年3月にデビューをする。 登場したクルマは、トランストップというタルガトップのような屋根がピラーを飛び越えてトランクに収納される、前代未聞の電動オープンモデルであった。 あまりにもエキセントリックであったがゆえに賛否両論の物議を醸したが、北米を中心にファンが今でも少なくない。 そんなデルソルの、他にはない唯一無二の魅力に惹かれたオーナーたちが集まり、交流を深めていくイベントだ。 また、毎回デルソルに携わった設計者やデザイナー等を招待。 今だから語れる誕生時の知られざる話や、さまざまなこぼれ話を披露する。 この日も、川田氏と繁氏がクルマのデザインそのものに関する、ある意味ぶっちゃけたお話をコレクションホールのHONDA職員の顔色を伺いつつ語られていた。 ▲登壇する川田氏(左)とデザインについて語る繁氏(右)。きわどすぎる話に参加者も思わず笑いがこみ上げる ■二桁ナンバーのデルソル 会場には20台を超える車輌が参加していたが、モデファイドしたクルマやチューンドした車両がいるなか、特出したクルマがいた。 2桁ナンバー(現行のような3桁の数字やアルファベットでなく、品川56とかで始まるナンバーのこと)を持つこれらのクルマは、そのデビュー当時より1人のオーナーが30年近くも付き合い続けた愛車である。 デルソルはそうしたオーナーも少なくないが、長い月日の間にはさまざまなドラマがある。 シルバーの個体のオーナーは、デビューした年に即購入のハンコを付いて手に入れたという。 その当時は、まだEF8ことサイバーCR-Xも新車で買えたということだが、あえて新型であるデルソルにしたという。 それから30年25万kmを超える距離を走り、2度にわたる大規模整備を経験し、途中でナンバーを切ることさえあったが、今も乗り続けることができているという。 素晴らしいのはここに至るまで一度もエンジンを開けることがなかった(ノンオーバーホール)車輌という。 もう1台は、当時のイメージカラーでもあるグリーンメタリックを纏ったボディのSiR。 これこそまったくのどノーマルではあるが、理由を尋ねるとそれも納得。 このクルマ元々はHONDAの広報車輌としてのモデルだった。 オーナーもそれを知っているがゆえに購入。 全くの無改造で維持をおこなっている。 ただし、フロントのリップだけは後から架装したのだそう。 「これがないとどうしてもフロントが上がって見えるので」と。 なるほど、元とはいえ広報車はやはり見映えは大事だということか。 ■屋根を開け放ってこそのデルソル コレクションホール内ではゲストのトークを中心に、最後はコンクールの表彰で幕を閉じた。 優勝者はこれで最後というゲストのサイン入りデルソルのチョロQを贈呈され讃えられた。 デルソルは、そのスタイリングからタルガモデルのようにも思われがちだが、強靭なリアピラーを要したれっきとしたオープンカーである。 なぜならリアガラスは電動で降りるからだ。 その証拠にドアにもパワーウィンドウスイッチが3つあるのだ。 コレクションホールより会場へ戻ると、雨模様の空はいつのまにか晴れ始め、真夏の陽気を取り戻し始めていた。 オーナーたちは1台また1台と屋根を開け始め、この陽気などまるで問題ではないかのように真夏の空気を車内に取り入れる。 太陽からの使者は30年の月日を経ても未だ健在である。 ▲デルソルのシンボルを着けた謎の小箱。これは当時の発表会でプレス向けに配られたケースだという。こんなものをひとつとってもクラブではキチンと保管し、活用している [撮影・ライター / きもだこよし]
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