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File no. 159
《MASUNAGA since 1905/マスナガ シンス 1905》
福井県といえば、眼鏡産業において国内生産の90パーセント以上を担う眼鏡の一大生産地だ。
ジャパンクオリティと称されるその圧倒的な技術力と品質は現在の世界の眼鏡シーンを席巻しており、世界三大眼鏡の生産地の1つとしても知られている。
今回は、そんな世界が注目する眼鏡の聖地において、今から100年以上も前に初めて"眼鏡づくり"をスタートさせた福井県の眼鏡産業の祖、増永五左衛門。
そして彼が立ち上げた『増永眼鏡』が展開するアイウエアブランド《マスナガ シンス 1905》の歴史に迫る。
増永眼鏡は、増永五左衛門によって1905年(明治38年)に福井県麻生津村(現福井市)で創業された。
当時の福井は冬に多くの雪が降り積もるため、年間を通して安定して農業などの屋外仕事を行うことが困難だった。
そんな土地柄からくる貧しさを脱するために立ち上がったのが、豪農として知られた増永家の長男、五左衛門である。
そんな折、実弟である幸八は五左衛門に眼鏡づくりを提案する。
"これからは教育が普及し、多くの人が眼鏡を必要とするようになる"という幸八の熱心な説得が五左衛門を動かし、福井で初めての眼鏡づくりがスタートした。
新しく眼鏡づくりを始めるにあたり、大阪で腕利きの職人だった米田与八とその弟子一人を福井に呼び寄せ、"増永一期生"を結成。
その後も優れた製品づくりと販路開拓のため、東京で名工として知られていた豊島松太郎を呼び寄せ大きく進歩を遂げた。
品質の向上に大きく貢献したのが、当初から取り入れていた"帳場制"だった。
増永一期生を親方(責任者)とする職人グループをつくり、その下に弟子たちを置くという製造体系を採用。
この帳場制により、職人同士が腕を競い合う形で眼鏡の品質が飛躍的に向上したという。
1911年には、福井県各地に13の工場を設立。
その年の8月には五左衛門の名前で内国共産品博覧会に出品した「赤銅金継眼鏡」が、有功一等賞金杯を受賞。
増永眼鏡が世間に認められた瞬間だった。
1933年には、昭和天皇への献上品を製作。
1970年には「CUSTOM 72」が大阪万博のタイムカプセルに収納された。
2005年には、創業100周年を記念して大切に保管していた昭和天皇献上品をリメイクしたモデル「G.M.S. Limited」を発表。
紹介する写真の眼鏡「GMS-198T」も昭和天皇献上品をベースとしたモデルの1つ。
世界が認める福井産の眼鏡、その始祖である『増永眼鏡』の魅力を堪能できるモデルだ。
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