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……という、やや強引な必然性を持ち出して(笑)、あのかつての名作漫画『タッチ』について論じる記事を配信していた。もちろん、私もこの『タッチ』に関しては例外なく一家言も二家言もある「リアルタイムでがっつりハマっていた世代」の例外なき一人なので、今日はその想いの丈を存分に語ってみたいと思う。
さて。なんだかんだいって’70年代まで主流を占めていた劇画タッチの熱血路線から、「汗」と「雄叫び」と「オーバーアクション」を徹底的に排除した恋愛至上主義、いわゆる「ラブコメ路線」を前面に打ち出し、漫画界の流れを大きく変えたのが『少年サンデー』と『ビッグコミック』シリーズであった。
その牽引役として挙げられるツートップは、もうおわかりだろう。高橋留美子先生とあだち充先生である。『うる星やつら』(週刊少年サンデー/1978~1987年)、『めぞん一刻』(ビッグコミックスピリッツ/1980~1987年)、『みゆき』(少年ビッグコミック/1980~1984年)、『タッチ』(週刊少年サンデー/1981~1986年)……と2人の巨匠はすさまじいペースでこの時期、等身大の恋愛にホンのちょっぴり“非現実”をフレイバーした傑作を世に量産している。なかでも『タッチ』は、当時まだスポ根モノの代名詞であった「野球漫画」の常識をモノの見事に打ち砕いたエポックメイキング、れっきとした問題作だったと断言できる。
『巨人の星』『侍ジャイアンツ』『アストロ球団』『キャプテン』『プレイボール』……ほか、旧来の野球漫画の恋愛指数がほぼ0%だったのに対し(一応、星飛雄馬は美奈さんに、番場蛮は理香さんに恋はしていたが…)、『タッチ』は60%? 70%? いやいや、下手すりゃ90%以上……!? おそらく『タッチ』をきっかけに
「ああ…恋愛と野球は両立できるんだ」
……と、ひいては
「野球は恋愛の片手間でかまわないんだ」
……と、180度洗脳された野球部(をはじめとする体育会系部活)に所属していた男子も多かったのではなかろうか。だって、南ちゃんへの片想いがモチベーションの源だったとはいえ、「努力」の象徴だった和也が物語の早々に死んじゃうんですよ!
その双子の弟に成り代わったのが、ズボラで飄々とした佇(たたず)まいの兄・達也(※ちなみに、和也の死は連載当初からの決定事項であり、タイトルの『タッチ』には「和也から達也へのバトン“タッチ”」というダブルミーニングが含まれていたのは有名な話だ)──そう! たとえ、裏でどんなに「努力」していようが表ではそれを毛嫌いし、「飄々」とした性格が男友だちには人気があって女子にもモテる、典型的なラブコメヒーローの方程式がバブルの予感に浮かれる青少年たちの感性にタイミングよく、しっくりとハマったのだ。また、それは同時に「熱血」が「恋愛」にひれ伏した瞬間でもあった。
じつのところ、あだち先生は「野球にはそう詳しくもなかった」との説がある。この逸話が少なからず本当ならば、そんなヒトがまがいなりにも26巻に及ぶ長編野球漫画を描き上げてしまった事実に、もっと驚愕すべきだろう。最小限まで削ぎ落とされたセリフまわしに、最大限まで空間を生かした大胆なコマ運び、猛々しさを皆無とする丸いタッチの線を武器に、そこそこの野球知識だけで20世紀の漫画界に一つの革命を起こしたのだから。
そして、「ながら」で野球を描いた漫画を「ながら」で流し見しても(セリフが少なくコマがデカイので)あっという間に読み終えることができる、しかも、それなりに感動できる――こうした「雰囲気重視」の思考こそが、あのころの“モテ”を制するマストスタイルとなったのである。
いっぽう、『サンデー』系の台頭によって窮地へと追い込まれた、このころの『週刊少年ジャンプ』であるが、1982年に『キックオフ』(作画/ちば拓)という『タッチ』のサッカー版、露骨な二番煎じを立ち上げてみたり……と、あきらかなる迷走を繰り返していた。
しかし、その約1年後、ラブコメ路線に見切りをつけた、熱(苦し)さの権化的作品『北斗の拳』がスタート。初心の「友情・努力・勝利」に戻り、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』をたて続けに大ヒットさせ、世界最高発行部数を誇る印刷物へとのし上がっていったのはまだ少し先の'90年代、バブルが弾けた後の話であった。