3月21日、東京ドームで行われた『2019 MGM MLB 日本開幕戦』の試合後に引退を発表したイチロー選手(45)を称える報道が、日々メディア上を賑わせまくっている。そんななか、イチローの「コミュ力」を絶賛する記事を『東洋経済ONLINE』が配信していた



 




日本で9年、アメリカで19年の計28年の選手生活を締めくくる引退会見にはそうした彼の魅力が、ほとぼり出ていた。特に印象に残ったのは、つねに自然体な受け答えと、記者を気遣い、対話をしながら、話を進めるコミュニケーションスタイルだ。「え、おかしなこと言ってます、僕。大丈夫です?」「聞いてます?」など、一方的に話を進めるのではなく、つねに記者の反応を確認しながら、聴衆を巻き込んでいく。



 



「おなか減っちゃったよ〜」「眠いでしょ、皆さんもね」などと子どものように茶化すイチロースタイルのユーモアもうかがえた。




 



……なんてことが書いてあった。



 



たしかに、イチローが現役時代に残した実績は“別格”であり、私も一野球人として「雲の上の存在」さながらに、最高級の敬意をはらってやまない。約85分にもおよぶ引退会見中も「人より頑張ることなんてできない」発言から「妻におにぎり3000個握らせてあげたかった」発言etc.……と、まさに“名言の宝庫”であった。が、こと「コミュ力」にかぎって言えば、どうなんだろう? いくらなんでも東洋経済サン、どれもこれもをポジティブに解釈しすぎなのでは……と思ってしまった。



 



私もこの引退会見を最初から最後まで見ていた一人だが、正直ずっとヒヤヒヤしっぱなしだった。「あれ、もしかしてイチローサン…今の質問、怒ってる?」……みたいな。あまりにイチローが自然体すぎたのか、それとも記者団の質問があまりに準備不足すぎたのか、どう好意的に捉えても、双方のコミュニケーションが円滑に進んでいるように、少なくとも私には感じられなかったのである。



 



そんな私のヒヤヒヤ感をズバリ代弁してくれたのが、ビートたけしだ。引退会見直後の3月23日、『新・情報7daysニュースキャスター』に出演したビートたけしは、イチローの引退会見の印象をこうコメントしていた(ネット版『デイリースポーツ』より)。



 




「天才だって分かるもんね。記者の言うことなんかバカにしてるもんね」



 



「なんで同じようなこと聞くんだって顔をするし。記者が一番聞きたいことは分かってるくせに絶対言わないんだよね。頭いい。これくらい偏屈でないとあんな打者にはならないんだろうね。天才はすごいよ。



(中略)引退を決めてもこれくらいの偏屈ですごいね、イチロー選手」




 



「偏屈」──“イチロー像”をもっとも簡潔に、かつ適確に表すのに、これ以上の言葉はないのではないか。最近、滑舌が悪すぎてなにを言っているのか聞き取りづらいビートたけしだが、やはりここらへんの独自的な観察眼はさすがだと唸らざるを得ない。あと、ノムさんも歯に衣を着せない、イチロー論を『FLASH』に寄せていた



 




「彼とは同じチームになったことはないし、話をした記憶すらない。しかし、私はイチローが好きではない。彼の仕草や態度、物言いを見たりしていると、『俺は人とは違うんだ。特別なんだ』と思っているように感じられるからだ。



(中略)周囲は彼を『天才』と呼ぶ。私は彼を好きではないが、この部分では同意するしかない。打者における天才の定義は、多く存在するが、私は『変化球を苦にしない打者』だと思う」(後略)




 



この時期にイチローのことを「好きではない」と断言できるノムさんもまたすごいな……と素直に感心するが、私は(おこがましいけど)ノムさんとは違って、一般論で語るところの「性格が良い」という概念からかけ離れた次元で「偏屈」を貫きとおし、前人未踏の記録を打ち立て続けてきたイチローのことは、けっこう「好き」だったりする。そして、その“超人”が「他人を寄せ付けず、一方的に名言を連ねる」コミュニケーション術を「素晴らしい!」とするならば……イチローの「コミュ力」に「卓越」なる形容を加えるのも正しい評価なのかもしれない。


情報提供元: citrus
記事名:「 イチローのコミュ力は“卓越”している!? ビートたけし、野村克也…それぞれのイチロー論