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平成時代を当時の新語・流行語で振り返るコラムをお届けします。今回は「1992年(平成4年)」編です。
92年といえばアルベールビルで冬季五輪、バルセロナで夏季五輪が開催された年でした。あれ? なぜ冬と夏の五輪が同じ年なの?と思った人は鋭いですね。五輪はこの年まで夏冬同年の開催でした。一方国内では雑誌・就職ジャーナルが「就職氷河期」という言葉を発信。この言葉がのちに「氷河期世代」などの言葉も生み出していきます。
■【きんさんぎんさん】きんは100歳、ぎんも100歳
1892年(明治25年)生まれの双子のおばあちゃん、成田きんさん、蟹江ぎんさんがダスキンのCMに登場。「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳」とのフレーズが話題になり、国民的アイドルになりました。人気の秘密は二人の愛くるしさと発言の面白さ。CMで100歳の感想を求められた際には「うれしいような、かなしいような」と発言。また貴花田(現貴乃花)と宮沢りえの婚約発表(92年11月)について感想を求められた際には「はだかのおつきあい」(力士とヘアヌード女優の婚約という意味?)という剛速球の語録も飛び出しました。
■【今まで生きてなかでいちばん幸せ】「14歳」の金メダル
バルセロナ五輪・水泳女子200メートル平泳ぎで、当時中学2年生だった岩崎恭子選手が金メダルを獲得。そのレース直後のインタビューで飛び出した発言が「今まで生きて(き)たなかでいちばん幸せ」でした。五輪の出場選手が印象的な語録を残すようになった(そしてマスコミがそこに注目するようになった)のは、おそらくこれ以降のこと。例えば96年のアトランタ大会では陸上女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子選手が「自分で自分をほめたい」と発言。また2000年のシドニー大会では水泳女子400メートル個人メドレーで銀メダルを獲得した田島寧子選手が「めっちゃ悔し~」「金がいいです~」と発言し、それぞれ話題になりました。
■【ジュリアナ東京】それはバブルの「残り香」
バブル経済の“崩壊”はおおむね1991年の出来事とされます。その91年に東京・芝浦――当時はこの周辺が「ウォーターフロント」とも呼ばれていました――に開店した伝説のディスコが、あの「ジュリアナ東京」でした。このディスコの盛り上がりが92~93年にかけて最盛期を迎えたのです。「ワンレン」「ボディコン」「Tバック」などのファッションに身を包んだ女性が「お立ち台」に上がり、ハードコアテクノで踊りながら「ジュリ扇(せん)」と呼ばれる羽根扇子を振り回す光景は、テレビの資料映像で何度も見たのではないしょうか。しかしあの光景はバブルの象徴というよりは“残り香”だったのです。
■【冬彦さん】文字通りの「怪演」でした
賀来千香子主演のドラマ「ずっとあなたが好きだった」(92年7月~9月)で主演を差し置いて注目されたのが、佐野史郎が怪演した脇役「冬彦さん」。佐野史郎はこれが出世作となりました。ストーリーは「昔の恋人と結ばれなかったヒロイン・美和(賀来)が見合い結婚することに。しかし相手の冬彦(佐野)は、東大出身のエリート銀行員でありながら極度のマザコンでセックスレス。その母親・悦子(野際陽子)も冬彦を溺愛しており…」というもの。当時世間ではマザコン男性を、冬彦さんと呼ぶ人もいたほどでした。同年末の新語・流行語大賞では「冬彦さん」が流行語部門・金賞を受賞。授賞式には佐野史郎、野際陽子が登壇しました。
※こんな新語・流行語や、商品・サービスも……
新語・流行語:ID野球(野村克也)、牛歩戦術、複合不況
商品・サービス:もつ鍋、ミニディスク、スーパーマリオカート(ゲーム)、クレヨンしんちゃん(アニメ)、カルトQ(番組)、ツイン・ピークス(ドラマ)、山形新幹線
■【まとめ】今にして思う、人生100年時代の予兆
筆者は、きんさんぎんさんの社会現象化が、日本人の高齢者像に大きな影響を与えたように感じています。これ以降、多くの人にとって100歳が「ありうる未来」になったような気がするのです。厚労省の調査によると、100歳以上の人口は調査開始年の1963年でわずかに153人。92年当時は4,152人まで増えていました。そして最新のデータ(2017年)ではなんと6万7824人に。100歳は「実際に」珍しいことではなくなったのです。