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厳しい排出ガス規制と2度の石油危機を克服し、クルマの高性能化に力を入れるようになった1980年代初頭の日本の自動車業界。その最中で日産自動車は、小型スペシャルティカーのシルビア(と兄弟車のガゼール)の全面改良を鋭意、推し進めていた。
80年代中盤に向けたスペシャルティカーを企画するに当たり、開発陣は市場のユーザー志向を入念に調査する。そして、「スペシャルティカーを欲するユーザーは流行に敏感で、ライフスタイルもますます多様化している。新型は、そんなユーザー層にアピールできるスペシャルティカーに仕立てなければならない」という結論に達した。これを踏まえて開発陣は、“スポーティ性”のさらなる追求と“ファッション性”に磨きをかけることを目標に掲げる。具体的には、高性能エンジンや先進の足回りを組み込んだハイメカニズムによる“俊敏でスポーティな走り”と機能美を徹底追求した“精悍で斬新なスタイルとインテリア”を高度に調和させるという方針を打ち出した。
■ボディラインとともに装備でもスペシャルティ感を演出
スペシャルティカーの最大の特徴となるスタイルに関しては、強いウエッジと低いノーズライン、大胆に傾斜したフロントウィンドウ、さらにハイデッキによるシャープなシルエットでスポーティ感を演出する。ボディタイプは2ドアクーペと3ドアハッチバックを設定。2ボディともにフルリトラクタブルヘッドランプの採用と車体全般のフラッシュサーフェス化を実施し、空気抵抗係数はクラストップレベル(ハッチバックでCd値0.34)を実現した。一方、ボディサイズは全長と全幅を従来のS110型系より短縮したうえで、ホイールベースを25mm、トレッドを前35~45mm/後20~60mmほど拡大し、走りの性能を引き上げるディメンションに仕立てた。
キャビンスペースについては、上質感を創出したインパネやエキサイティングなイメージを醸し出すメータークラスター(メーターはデジタル表示とアナログ表示の2種類を設定)、ストレートアームを使いやすい高さに設定したステアリング配置、高弾性ウレタンを内蔵したシートなどでスペシャルティ性を強調する。また、上級グレードの前席には8つの部位を自由に調整できるマルチアジャスタブルタイプのバケットシートを装着した。
開発陣は内外装の装備面についてもこだわる。先進アイテムとしてはマイコン制御のオートエアコンやダイバシティFM受信システムを組み込んだオーディオ、再生効果を高めたスピーカーシステム、国産車初採用のキーレスエントリーシステム、目的地の方向を指示するドライブガイドシステムなどを装備。さらに、世界初採用となるリアパーセルボード共用タイプのパワーウーハーやワイパー付フルリトラクタブルヘッドランプクリーナー、国産車初のチルトアップ&スライド機能付き電動ガラスサンルーフを設定した。
パワートレインについては、旗艦エンジンのFJ20E型1990cc直列4気筒DOHC16V(150ps)と同エンジンのターボチャージャー付き(FJ20E-T型。190ps)を筆頭に、従来のZ型系ユニットに代わる小型・軽量・低燃費のCA18型系1809cc直列4気筒OHCエンジンの3機種(CA18S型100ps、CA18E型115ps、CA18E-T型135ps)を設定する。また、FJ20E型系エンジン搭載車にはギア径200mmのファイナルドライブとリミテッドスリップデフを、CA18E-T型エンジン搭載車には5速MTのほかにOD付き4速ロックアップオートマチックトランスミッションを採用した。
走行面の機構では新たにラック・アンド・ピニオン式ステアリングを装備したほか、リアサスペンションに新開発のセミトレーリングアーム式独立懸架(FJ20E型系/CA18E-T型エンジン搭載車。それ以外は4リンク式)を組み込む。さらに、FJ20E型系エンジン搭載車には偏平率60%の195/60R15 86Hのラジアルタイヤを標準装着(CA18E-T型エンジン搭載車にはオプション)した。
■キャッチフレーズは“白い稲妻”
第4世代となるシルビアは、S12の型式と“白い稲妻”のキャッチフレーズを冠して1983年8月に発売される。車種展開はクーペとハッチバックを合わせて計22タイプのワイドバリエーションを誇った。
市場に放たれたS12型シルビアのなかで、ユーザーから最も注目を集めたのはFJ20E型系エンジンを搭載するRS-X系グレードだった。カムシャフトの駆動に2ステージのローラーチェーンを採用した赤ヘッドの4バルブエンジンは、1.2トンクラスのボディを力強く加速させる。とくにターボ付きのFJ20E-T型を積むRS-Xのパフォーマンスは強烈で、4000rpm付近を境にしたパワーの急激な盛り上がりや荒い鼓動などが、走り好きを大いに惹きつけた。一方、コーナリングの楽しさや走りのバランス性を重視するユーザーには、新開発のCA18E-T型エンジンを搭載したターボR-X系グレードが支持される。FJ20E型系エンジンよりも前輪荷重が軽く、しかも前軸後方に収まるレイアウトが、コーナリング性能を高める要因だった。
■ファッション性を重視したマイナーチェンジ
スポーティ性とファッション性を高次元で融合させた本格的小型スペシャルティカーのS12型シルビア。しかし、ユーザーが興味を示したのはスポーティ性がメインで、スペシャルティカーならではの特徴であるファッション性に関しては、2代目ホンダ・プレリュードなどと比較されてあまり高い評価が得られなかった。さらに1985年8月に最大のライバルである4代目トヨタ“流面形”セリカが登場して以降は、ルックスの地味さが目立つようになった。
この状況を打破しようと、日産は1986年2月にシルビアのマイナーチェンジを実施する。キャッチフレーズは“きもちまでスペシャルティ”。内外装の細部はより洗練されたイメージに変更され、ボディ長やボディ幅も拡大される。エンジンは高コストのFJ20E型系を廃止すると同時に、CA18DE-T型のツインカムターボ仕様(145ps)をラインアップに加えた。またCA18DE-T型エンジン搭載車には、パワーエコノミー自動切替式の電子制御OD付き4速ロックアップオートマチックの新トランスミッションを設定する。ちなみにこの時、兄弟車のガゼールは車種整理のためにカタログから外された。シルビアにおけるファッション性の追求は、さらに続く。1987年2月にはクーペの「ツインカムターボ フルホワイトRS-X」をリリース。同年7月になると、やはりクーペの「R-Xホワイトセレクト」と「ターボ フルホワイトR-X」を発売した。
日本市場での人気ボディカラーの“白”戦略は一部ユーザーには受けたものの、シルビア全体の販売台数の底上げにはつながらなかった。そして1988年5月には、シルビアの全面改良が行われる。5代目となるS13型シルビアは、4代目での反省を生かし、ファッション性を最大限に重視するモデルに仕立てられたのである。
■2世代に渡って製作されたシルビアのスーパーシルエットフォーミュラ
最後にトピックをひとつ。シルビアはS110型とS12型の2世代に渡って、当時のモータースポーツの人気カテゴリーであるスーパーシルエットフォーミュラ(FIAのグループ5)の素材車として活用された。1981~1983年には日産のレース部隊が手がけたエアロパーツを纏うS110型風シルビア・ターボ(1981年仕様は市販車の大幅改造版。1982年以降の仕様はパイプフレームシャシーで、異例のサイドラジエター方式)が、星野一義選手のドライブによって大活躍。1981年と1982年開催の富士300キロスピードレースや1983年開催の富士グラン250kmレースなどで優勝する。広告展開でも“烈火の炎”というキャッチコピーとともに、S110型系シルビアと黄色い稲妻ストライプのスーパーシルエットフォーミュラ・シルビア・ターボ、そして“日本一速い男”星野選手が共演した。
スーパーシルエットフォーミュラ・シルビア・ターボは、1983年後半になるとS12型風のボディシェルに変更し、9月開催の富士インター200マイルでは2位に、10月開催のスーパーカップレースではSSクラス優勝を果たす。ちなみに、現在日産自動車が保管するゼッケン23のスーパーシルエットフォーミュラ・シルビア・ターボは、このS12型風のボディシェルで演出した1台である。