『Number Web』が、野球評論家の「エモやん」こと江本孟紀氏が「ノムさん」こと故・野村克也さんに抱く “複雑な感情”を綴(つづ)る主旨のインタビュー記事を配信していた。

 

タイトルは『「誰も挨拶にこない」ボヤく野村克也に江本孟紀が直言「そりゃ来まへんで、あんた嫌われてるのに」非難・称賛を越えた “本当のノムラ論“』──とても、とても素晴らしい、珠玉の出来の原稿であった。どれくらい「珠玉の出来」なのかは、ゼヒ↑をクリックして熟読してもらいたいのだが、おそらくゴメス的には今年の一、二番を争うクラスの名インタビューとして記憶に刻まれるに違いない……と断言したい。まだ「今年」になって、1ヶ月も過ぎちゃいないのだけれど(笑)。

 

さて。江本氏が語る野村さんとの数々のエピソードは、先にも申したように本記事を読んでご確認いただきたいのだが、まず冒頭のリード文には、

 

野村克也の逝去から3年が経とうとしている。そんな中、南海ホークス・野村克也の選手兼任監督時代を知り、交友歴48年に及ぶ江本孟紀は、野村に過剰な称賛も不要な非難もしない。エモやんが “ノムさんへの複雑な感情”をありのまま解き放つ。

 

……と、記されている。そして『Number(Web)』が引き出した “エモやんの本音”は、たしかに(リード文に)嘘偽りなく、「過剰な称賛も不要な非難」もない。

 

人が人について論じる際、

 

「称賛も非難もない論調を淡々と羅列する」

 

……のは思いのほか、むずかしい。すでにお亡くなりになった人が対象だった場合はなおさらだ。

 

本文中、同インタビューの筆者はこう述べる。

 

そもそも、人の感情は他人を「好き」「嫌い」と2択で分けられるほど、単純ではない。称賛できる部分もあれば、否定せざるを得ないところもある。

 

(中略)江本の感情が交錯したように、野村は自らの性格を素直に吐き出していた。強さ、弱さ、見栄、嫉妬……人間の隠しきれない本音を吐露する姿が、世間の共感を得た部分もあるはずだ。

 

 

心に沁みわたる名文中の名文ではないか。付き合いが長くなればなるほど、その人に対する「嫌な部分」は「愛すべき部分」と同じ程度に見えてくる。しかも、その両部分はそのときそのときの状況やコンディションなどで、突出の度合いも異なってくる──逆に “付き合いの浅い人間”のほうが「好き」「嫌い」の2択で “片付け”やすいのである。

 

江本氏は、インタビューの最後を、以下のように締めている。

 

「死ぬまで僕の悪口を言ってました。南海で一人前にしてくれたし、尊敬していますけど、内心はこの野郎って思うじゃないですか。あんた、いつまで言ってるのって。まあでも、結構好きなんですよ、悪口言われるの。あんまり褒められてばかりでも嘘臭いし、正直じゃないですか。なんだかんだいって、憎めない親父ですよ」


私たちは、このような「好き」「嫌い」だけで判別できない、愛憎相半ばする “幸福な関係”を築ける人物と、人生で何人出会えた……もしくは出会えるのだろう……。

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情報提供元: citrus
記事名:「 江本孟紀氏が語る、故・野村克也さんの正真正銘な人物像に思わず感動!