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「隠し湯(かくしゆ)」という言葉を聞くと、「隠れた温泉=秘湯」というイメージを浮かべる人も多いのではないでしょうか。
実際の 「隠し湯」とは、戦国時代などの封建制度の時代に、その土地の領主が独占的に使用した温泉のことをいいます。
通常は地域に住む領民たちも温泉を利用するのですが、領民たちが利用していると戦で負傷した兵たちが療養のために利用することが困難です。そこでその 土地の領主が温泉を独占的に使用してほかの人々に使用させない、つまり「温泉を隠す」ということから「隠し湯」と呼ばれるようになりました。
隠し湯は山間などの人里離れた地域にあるものが多かったのですが、一部では平地にも温泉がありました。
隠し湯を持っていた 歴史上の人物で有名なのは武田信玄、上杉謙信、信玄に仕えていた真田氏 などといわれています。
現在の「隠し湯」という言葉は、歴史のある温泉地、効能の高い温泉、山奥の秘湯などに観光宣伝目的で使用されることが多くなっています。
戦国時代に大切な家臣たちの療養に使用された温泉は、 敵方に知られてはいけない軍事機密であり、まさに「隠し湯」 でした。
その中でも武田信玄ほど温泉を利用して、愛した武将はいないでしょう。武田信玄の領土内には「信玄公の隠し湯」と呼ばれる温泉地が各地に存在しました。 隠し湯の数は10か所以上にものぼります。
戦国最強といわれた武田軍の強さの秘密は温泉にあったのかもしれませんね。
武田信玄の領土は隣国を侵攻していくことにより徐々に拡大していきました。
武田信玄の 父・信虎が甲斐国(現在の山梨県)の守護を務めていた1520年頃は、甲斐一国のみの領土 でした。
信玄が当主に変わってからはまず信濃を侵攻を始め、 1555年頃には信濃(現在の長野県)をほぼ平定 しました。 1566年には上野(現在の群馬県)へ侵攻し領土を拡大 させました。
1568年には今川氏の領土だった駿河(現在の静岡県)を獲得 し、 1572年頃には遠江・三河(現在の静岡県・愛知県)、飛騨(現在の岐阜県)の一部まで領土を拡大 させて、1573年に病気の悪化で死去しました。
最終的に武田信玄の領土は現在の山梨県・長野県・群馬県・静岡県・愛知県・岐阜県というとても広大な領土を支配し、この地域の中に「信玄公の隠し湯」が点在していました。
松代温泉(まつしろおんせん)は長野県長野市内にある温泉です。近くには武田信玄が上杉謙信の攻撃に備えて、山本勘助が築城した松代城があります。
この 松代からそれほど距離が離れていない場所で、武田信玄と上杉謙信が5回にわたって交戦する、有名な「川中島の合戦」が行われました。
戦いで負傷した武田軍の武将たちは、この松代温泉で疲れと傷を癒したといわれています。
温泉は鉄分を多く含んだ黄金色の温泉で、カルシウム、塩分、二酸化炭素など成分の濃い温泉です。
傷の修復や美肌効果、整体調整作用に効果があるといわれています。
白骨温泉(しらほねおんせん)は長野県松本市、北アルプスの名峰・乗鞍岳の麓にある温泉で「乳白色の湯」としても人気の温泉です。
鎌倉時代にはすでに湧出していたと伝えられていて、 戦国時代には武田信玄が開発した銀山の炭鉱夫や負傷した兵たちが傷を癒した伝えられ「信玄の隠し湯」のひとつにも数えられています。
泉質は硫化水素泉で、湧出時は無色透明ですが時間の経過とともに白濁して「乳白色の湯」になります。
胃腸病、婦人病、慢性疲労などに効果があるとされ、「白骨の湯に三日はいると三年は風邪をひかない」ともいわれる名湯です。さらに、美肌効果も期待できます。
山奥にあり、秘湯ムード満点の温泉地です。
https://www.e-bi-su-ya.com/shirahone-onsen/
蓼科温泉郷(たてしなおんせんきょう)は長野県茅野市、八ヶ岳の北麓地域に点在するいくつもの源泉の総称です。温泉自体の歴史は古く、平安時代には開湯されていたと伝わっています。
戦国時代には 武田信玄が信濃攻略に甲斐から川中島へ向かう際に、八ヶ岳山麓に棒道と呼ばれる軍用道路を開削して、信濃侵攻の際には幾度となく棒道を兵士たちが行き交っていました。
その道中にある温泉に兵士たちを入れたところたちまち傷が治ったと伝えられ、その温泉が蓼科温泉であるといわれています。 それらの温泉は大切な兵を療養させるため「信玄公の隠し湯」として機密にしていました。
信玄公の隠し湯と呼ばれる温泉は、親湯温泉、滝の湯温泉、芹ケ沢温泉など数か所にわたり、奥蓼科温泉郷の横谷温泉、渋温泉、渋御殿温泉も信玄公の隠し湯とされています。
https://tateshina.ne.jp/onsenkyo/
小谷温泉(おたりおんせん)は長野県北部、北アルプスの麓である長野県小谷村にある温泉です。
開湯は武田氏の家臣、岡田甚一郎により発見されたといわれていて、信玄公の隠し湯として450年以上の歴史を有する温泉です。
3つの源泉があり、元湯、新湯、あつ湯とそれぞれ効能豊かな温泉で、環境省より国民保養温泉地として認定されています。
北アルプスの山間にひっそりとたたずむ静かな温泉地で「隠し湯」の雰囲気を感じられるでしょう。
https://info-otari.jp/hot-spring/
渋温泉(しぶおんせん)は長野県北部の山ノ内町にあり、北信地域を代表する温泉地です。
温泉自体の歴史は古く、約1300年以上前の奈良時代に全国行脚を行っていた行基によって発見されたと伝わっています。
川沿いに旅館が立ち並び、歴史と風情のある建築や街並み散策や外湯めぐりなどが楽しめ、多くの湯治客が訪れる人気の温泉地です。
温泉寺の開山とともに浴場が設けられましたが、この寺の住職徳忠禅師に深く帰依していたのが武田信玄で、信玄直筆の寄進状や軍配が残されています。
川中島の合戦で負傷した兵が傷を癒したことから「信玄の隠し湯」としても知られていて、実際に信玄も第四次川中島合戦後に渋温泉の湯に浸かって激戦の疲れを癒したと伝えられています。
https://www.travel.co.jp/guide/article/14994/
梅ヶ島温泉(うめがしまおんせん)は静岡県静岡市にある温泉です。所在地は静岡市ですが南アルプスの山間地にあり、山奥の秘湯ムードあふれる温泉地です。
戦国時代には武田信玄がこの温泉を大変気に入り利用していたといわれています。 そのため合戦で傷ついた武士や病に苦しむ人々の療養所のような役割で、湯治場として栄えました。そのため「信玄公の隠し湯」として伝えられています。
梅ヶ島温泉は現在静岡県の温泉ですが、まだ道が整備されていない時代(徒歩が主な移動手段だった時代)は、静岡県側からよりも山梨県側から行く方が往来がしやすく、戦国時代は梅ヶ島温泉は甲斐国の領土でした。
現在は通行止めとなってしまいましたが、かつては安部峠に梅ヶ島温泉と山梨県南部町を結ぶ街道があり、車だと30分で移動することができました。
https://umegashima.blogspot.com/2017/09/blog-post_14.html
平湯温泉(ひらゆおんせん)は岐阜県高山市にある奥飛騨温泉郷の一つで、北アルプスの名峰・乗鞍岳の麓で海抜1,283m、温泉郷の中では最も古い温泉といわれています。
この地には 武田信玄と白猿の伝説 が残されています。
戦国時代、信濃で上杉謙信と激闘を繰り広げていた 武田信玄は、越中(現在の富山県)を手に入れようと考え、飛騨国(現在の岐阜県)を攻め入ることにしました。
武田軍の大将である山県昌景は軍勢を連れて峠越えをしようとした際に、厳しい道のりと硫黄岳の毒霧で多くの兵士たちが苦しめられました。
なんとか峠を越えて平湯あたりに到着した際に、 老いた白猿が皆の前を歩いて平湯温泉に導いてくれ、兵士たちは湯に癒されたところ、みるみるうちに元気を取り戻していきました。
この話があちこちに広がり、平湯に訪れる人々が増えていったことから「信玄公の隠し湯」としても知れ渡るようになりました。
https://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/hirayukaminoyu/hirayukaminoyu.htm
歴史と泉質で全国的に人気の温泉地もあれば、山奥にぽつんとある秘湯ムード満載のまさに「隠し湯」といった温泉地などバラエティーに富んだラインナップだと感じたのではないでしょうか。
この温泉で激戦を戦い抜いた兵士たちが疲れを癒してきたのだなと思いながら温泉に入ると、歴史の深さを感じながら癒されることでしょう。
今年の冬は「信玄公の隠し湯」で心も体もぽかぽかに温まってみてはいかがでしょうか。
余暇プランナー
元旅行会社勤務で今は山の中の観光施設で働きながら旅ライターを行っています。元々旅行好きで大学も地理学専攻と根っからの地理マニアです。大自然の絶景と寺社仏閣などの歴史建築が大好きで、連休などあればすぐに車中泊で出かけてしまいます。その他登山やランニングなどとにかく家に引きこもっていることが苦手で、常に自然の中で過ごしていることが私の癒しになっています。
【長野県・静岡県・岐阜県】山梨県以外にもある!「信玄公の隠し湯」7選