25日に単独ライブ「漫談スタイル3」を開催するキャプテン渡辺

ピン芸人、キャプテン渡辺(49)が、25日に東京・杉並公会堂で単独ライブ「漫談スタイル3」(午後7時30分)を開催する。ピン芸人日本一決定戦、R-1ぐらんぷりで11、12年と2年連続で決勝進出。テレビ東京系「ウイニング競馬」でもおなじみだ。キャプテンに聞いてみた。

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高校を卒業して、すぐに入門したUWFインターを95年8月に退団。大阪にあったお笑いの専門学校に入学した。

「その当時はもう、吉本興業の養成所のNSCとかもあったんですけど。なんて言うんですかね、NSCに入らないと吉本に入れないなんて知らないんですよ、当時は。吉本の入り方も分からないし、でも養成所には行った方がいいのかなみたいな。プロレスも大好きでしたけど、もう同じぐらいお笑いも好き。ダウンタウンさんも大好きで、僕ら世代って、もう中学校の後半ぐらいから高校にかけて“ごっつ(フジテレビ系『ダウンタウンのごっつええ感じ』)全盛”だからね。見てないやつ、いなかったんじゃないかなぐらいの、必ず話題になるような感じでした」

“ダウンタウン命”のお笑い大好き少年だった。

「ダウンタウンさんは崇拝してて、やっぱりダウンタウンなんですよね。でも、当時の自分の気持ちを考えると、そんなやつがいていいわけないんですけど。プロレスラーがバラエティーとかテレビに出るようになったじゃないですか。そういう形で芸能界でも生きていけるっていうぐらいの、意味のない、意味の分からん考え方をしていたんですね」

専門学校を卒業して、プロの道を歩み始めた。

「当時は大阪の『心斎橋筋2丁目劇場』で、オーディションライブをやってたんです。それに半年近く通ってました。で、それを止めちゃって、もうパチンコ、スロット三昧。競馬もね、めちゃくちゃギャンブルです。専門学校時代はまだかわいいもんですよ。卒業して半年後くらいから、借金しました。当時は22歳の芸人でも、余裕で貸してくれました」

たまった借金を、ちゃんと債務整理して返した。

「自己破産とは違います。債務整理は、昔のおかしい法定金利以上取られていたものを整理して、返しますよと。だから誰も泣かせてないですよ」

お笑いコンビ「こんにゃくモンロー」、トリオ「バカラ」をへて28歳でミュージカル劇団に入団。30歳でお笑いに戻り、トリオ「キラッキラーズ」を2010年(平22)に解散してピン芸人になった。直後のR-1ぐらんぷり2010で準決勝進出。2011、12で2年連続で決勝に進出した。

「いろいろやってる時、30歳で今も所属するソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に入りました。もう20年ぐらいになるんですよね。つい、こないだの感覚ですけどね。それが大きかったですね。それじゃなかったら、芸人やめてたかもしれませんね」

21年、22年のR-1グランプリに2年連続で決勝進出を果たしたことで、芸人として世に出た。

「そうですね。まぁ、今も出てると言っていいのか分かんないですけど、そこからですね。『ウイニング競馬』は2012年(平24)の4月から出ています。食えるようになったのは、2011年からバイトしてないんですよ。R-1の決勝に行ってからは、1回もバイトしてないですね。最初カツカツでしたけど」

(続く)

◆キャプテン渡辺(わたなべ)1975年(昭50)10月20日、静岡市生まれ。高校卒業後、プロレス団体のUWFインターナショナル入団。その後、タレント養成の専門学校を経て芸人に。01年(平13)にトリオ「バカラ」結成も04年に脱退。06年に出戻って「キラッキラーズ」に改名も10年に解散してピン芸人。11、12年にR-1ぐらんぷり決勝進出。182センチ。血液型A。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 キャプテン渡辺、Uインターから芸人も借金 11年にR-1初決勝「それからバイトしたことない」