小田貴月さん、出版「高倉健の愛した食卓」連れ添った17年間、一緒に食べた分だけ同じ思いを
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俳優高倉健さんが2014年(平26)11月10日に83歳で亡くなって、10年の月日がたった。健さんのパートナー、小田貴月(たか)さん(60)は、今年10月に「高倉健の愛した食卓」(文芸春秋)を出版した。現在、高倉プロモーション代表を務める小田さんに、健さんとすごした日々、亡くなってからの10年、そしてこれからを聞いてみた。今日23日にはテレビ朝日系「徹子の部屋」(午後1時)に出演する。【小谷野俊哉】
★一番好きだった肉
出版に続いて「高倉健の愛した食卓」写真展、そして2カ月間にわたって開催の特別企画展「高倉健に、なる。」では展示品の選択に追われた。日本映画専門チャンネル「没後10年『高倉健に、なる。』~映画俳優 205本の人生~」は26日午前8時10分に6回目の放送を迎える。
「高倉健の愛した食卓」は昨年3月から今年7月まで、1年4カ月かけて高倉さんの好きだった食卓のメニューを再現。小田さん自身が写真を撮った。
「一眼レフのカメラを使って、料理を自分で撮りました。高倉が食べていたその通りのことをしたかったので、結局旬を追いかける形になりました。勝手を申し上げて『自分でやります』と。器も、高倉が使っていた物をそのままです」
自分で作って、撮影した料理は、自分で食べた。高倉さんが一番好きだったのは肉だ。
「1週間、7日のスケジュールを考えて…お肉の種類が牛、豚、あとはラム。それぞれを取り合わせながら、必ずお肉はあるように、1週間のメニューを構成するんです。お魚はあんまり好きじゃなかったけれど、貝類は骨がない。タコとかイカとかホタテとかを組み合わせながら、貝類とお肉という構成にしていきました」
★卵かけご飯が締め
締めは、卵かけご飯が多かった。
「高倉の子供の頃からですね。戦後の時代を過ごしているので。卵だけは、おうちで鶏を飼っていて産みたてを食べられたらしいんです。子供たち1人1人に『どういう風に食べる』って聞いてくれて、好きなように食べられたらしいんです」
カレーも大好きだった。
「どれでも好きでした。普通に家庭で作るポーク、ビーフ、チキン、あとはシーフード。同じようなのが重なるとつまらないので、いろいろ変えて。やっぱり、撮影とかで外に行ってカレーを食べることが多いじゃないですか。ロケ先でとなると、やっぱりおなかを壊しにくいというのが大切なんですよね」
料理を作って、撮影を続けている間は、常に天気が気になったという。
「漁師さんみたいな生活なんです。自然光で撮りたいと思うと、ちょっとでも曇ってると光がうまく回らない。レフ板を自分で持ちながら、片手でシャッターを押す。でも、ちょっとでも雲がかかってくると、ちょっと待って、と。でも、冷めちゃうじゃないですか。やっぱり、温かい質感というか、今回のテーマは湯気なんです。だから、どうしても作りたてを狙わないといけない。5分たつと、ちょっと表情が変わってくるんです」
ウイークエンドに作っていたお粥(かゆ)膳の撮影では、きれいに湯気が撮れた。
「その時にはもう本当に『お粥さん、頑張れ』みたいな感じでしたね。よくカメラマンの方が『きれいだね、きれいだね』って言いながら撮られているじゃないですか。私は野菜とかに、ずっと言ってました。1つの料理でも、大体20カットぐらいは撮りました」
高倉さんが亡くなって、10年が過ぎた。
「あっという間というには、あまりにもいろいろとありすぎて。やっぱり10年は、10年だったなと。すごい不思議な、本当に毎日の積み重ねの10年でした。でも、次にやることは多分降ってきます」
★自身の食生活は地味
1人になった自身の食生活は地味だという。
「今はさみしいもんです。食事って自分のためには作らないんですよ。だから、できる限りは自炊をするんですけど、手の込んだものというのはなかなか作りにくくなりましたね」
もうすぐ年が明ける。お正月がやってくる。
「高倉は大好きなご飯は、絶対残さない人だったんです。なのに、このお雑煮(紅白丸餅雑煮)を残したんですよ。初めてでした。そこから、ちょっと体調が思わしくないんだなっていうね。お雑煮は出身地によって違うんですけど、丸餅をいただくので、角が取れていいかなと。私が作るのは関東風のしょうゆを使った、お出汁(だし)がちょっと強いやつ」
高倉さんと連れ添った17年間、料理を作り、一緒に食べ続けた。
「食べ物ってね、体を作るわけですよね。17年間でしたけど、数えたらね、1万3000食を一緒に食べてたんです」
一緒に食べた分だけ、高倉さんと同じ思いを抱き続けている。
◆小田貴月(おだ・たか) 1964年(昭39)1月13日、東京都生まれ。高倉プロモーション代表取締役。83年テレビ朝日系「必殺仕事人3」で女優デビュー。その後、海外のホテルを紹介する番組のディレクター、プロデューサーを務めた。96年に香港で高倉健さんと出会う。13年に高倉さんの養女になり、14年にみとる。19年「高倉健、その愛。」出版。23年「高倉健、最後の季節。」出版。163センチ。血液型A。
◆「高倉健の愛した食卓」 17年間寄り添ったパートナー小田貴月さんが、高倉健さんが生前に食べていた家庭料理を紹介したフォトエッセー。共に食べた1万3000食の中から、234品を紹介。1年4カ月かけて料理を作り、自然光で自宅で撮影した。