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私の父は熊本から鳥取県に移り住み、鳥取大学医学部で学んだ後、ゼロから米子市内に「山田内科医院」を開業しました。父は、地元のかかりつけ医として、50年以上にわたり診療を続け、88歳まで患者に寄り添い続けました。どんな患者にも分け隔てなく接するその姿を間近で見て育った私は、「父が築いた医院を継承し、地域医療を守りたい」との強い思いから、医学の道を志したのです。
高校時代は親元を離れ、大分の男子校で学びました。自由で活発な校風の中で、多様な価値観に触れる貴重な経験をしました。その後、進学先に選んだのは岩手医科大学です。岩手の人たちは穏やかで誠実な人が多く、鳥取出身の私でも自然となじむことができました。
大学では、医学を学ぶ一方でワンダーフォーゲル部に所属し、北海道の大雪山や屋久島の宮之浦岳などに登りました。主将としてクラブ運営をする中で、全体を俯瞰しながら物事を進めるリーダーシップを鍛えられたと思います。登山では天候や状況の急変に対応する力が求められますが、この経験は医師としての仕事にも通じるものがあると感じています。環境変化に臨機応変に対応する姿勢は、今も私の大切な基盤となっていますね。
医学部卒業後、鳥取県を中心に中国地方で勤務医として経験を積みました。当初は小児科を志望していましたが、初期研修中に出会った指導医の先生の素晴らしい人柄に深く影響を受け、循環器科の道に進みました。その先生は、患者第一の姿勢を貫きながら、圧倒的な知識量を持ち、専門外の質問にもすぐに的確に答えるほど、常に学び続けていたのです。最新医療への探求心と実践力を兼ね備えたその姿に感銘を受け、私も恩師のような医師を目指したいと強く思いました。
循環器科医として急性期疾患を中心に診療を行う中で、心不全の基本的なアプローチを学んだのは中国地方での病院勤務時代です。当時の上司から「患者は必ずしも言葉ですべてを伝えられるわけではない。だからこそ『聞くプロ』になりなさい」と教わったことは、今も私の診療の軸となっています。
その後、2022年11月に父から山田内科医院を継承し、現在は地域のかかりつけ医として、内科全般に加え、整形外科、泌尿器科、耳鼻咽喉科など幅広い診療を行っています。その中でも特に力を入れているのが、心不全や成人の喘息、COPDなど呼吸器疾患の診断と治療です。
当院では夜間や休日の診療も行っています。私は平日の夜も自宅に帰らず、医院の宿直室で待機しているのです。多くの患者さん、特に高齢者の方は、症状を我慢してしまい、悪化してから来院されることが少なくありません。こうした治療の遅れは、患者やご家族にとって負担が大きいでなく、地方の限られた医療リソースにさらに負担をかける可能性があります。地域医療を支えるためにも、気軽に相談できる場を提供し、早期診療につなげたいと考えています。
心臓疾患の患者に対して、心臓リハビリという治療に取り組みたいと考えています。これは医師の指導のもと、自転車を漕ぐなどの適切な有酸素運動などを行い、心肺機能を高めることで、予後の改善などを目指す治療です。「適度な運動を」と医師に勧められても、具体的にどのような運動をすべきかわからない患者は少なくありません。私の専門領域である心臓リハビリの知見を活かし、適切な活動量や負荷を指導しながら、患者の健康を支えたいと思っています。
米子市では高齢化が進み、通院が困難な患者が増えています。訪問診療の対象ではないものの、自力での通院が難しい方々のために、当院までの送迎サービスを取り入れることを検討しています。当院では訪問診療も行っていますが、中には「家には来てほしくない」というご家庭の事情や、タクシーを使うほどではない距離の通院をためらうケースもあるのです。また、雪の日の外出が億劫で転倒のリスクを避けたいという理由で、診療を後回しにしてしまう患者も。こうした患者が安心して診療を受けられる環境を整えたいと考えています。
勤務医時代、最も悲しかったのは、患者への治療が途上のまま、定期的な人事異動で病院を離れざるを得なかったことです。医師として患者の快復を最後まで見届けたいという思いがずっと心にありました。父が50年以上にわたって地域医療に貢献してきた医院を継いだ今、外来診療や訪問診療にとどまらず、その隙間にいる患者を支える受け皿としての役割を果たしたいと考えています。
医療法人社団山田内科医院
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