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ワイドショーに出ている女性タレントを「異常にお太りになった」「見にくい物体」と切り捨て、『紅白歌合戦』についても「理解に苦しむ最悪の歌番組」と猛批判。かと思えば箱根駅伝は感動したと絶賛。ネットで話題の毒舌おじさん・黒沢年雄とは?
黒沢が高校1年、16歳の時、それまで病気とは無縁だった母親が突然、体調を崩した。医師に受診すると、母はすでに咽頭がんが全身に転移していたという。10か月の闘病の末、母は40歳で他界。黒沢はそのあと、夢だったプロ野球選手の道を諦め、高校にも行かなくなった。そして放浪生活ののちに俳優へ。だが映画の衰退で数年後、仕事が激減。父と3人の弟を支えるために大黒柱として頑張ってきたが、不安と重圧で自宅から飛び降りようとした。だが母の最期の言葉「頼むよ……」が頭に浮かび、我に返ったという。
20歳のとき、東宝のオーディションを受けた黒沢。その時、彼は真っ赤なジャンパーを着て、最終審査に5時間も遅刻していったという。だがこれは目立つための作戦だったそうで、何万人もの応募者の中で、男優の合格者は黒沢ただ一人だったのだとか。
1978年に出した歌『時には娼婦のように』が110万枚の大ヒット。さらに1980年からはドラマ『ザ・ハングマン』(テレビ朝日系)で一躍有名に。また、のちに『さんまのまんま』(フジテレビ系)の出演を機に『踊る!さんま御殿!!』『ダウンタウンDX』(以上、日本テレビ系)などバラエティでも才能を開花させる。
48歳のときに患った大腸がんを皮切りに、食道がん、膀胱がん、胃がんなど全8度のガン手術を経験。当時、ガンは「“おでき”みたいなもの」と語り、「体中穴だらけ」と笑っていたという。いずれにしても今後、毒舌おじさんはどんな黒沢節を聞かせてくれるのだろうか?
(執筆者: genkanaketara)
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