昏睡から数ヶ月が過ぎ…少しずつ蘇る遠い過去


比叡山で修業をする横川の僧都とその妹尼に助けられた謎の女は、祈りの甲斐あってついに目覚めます。数か月の昏睡状態を経て、彼女――浮舟は記憶喪失になっていました。


おぼろげな記憶をたどるうち、自分が死のうとして川を目指したこと、その途中で道がわからなくなり、謎の男に導かれて大きな木の元へたどり着いたことは少し思い出せたものの、それ以上のことはわからない。


見知らぬ年老いた尼たちに囲まれ、何くれとなく世話をされながら、浮舟はまるで異国に来たような心細さを味わいます。そして、「どうしても死ねないのなら出家したい」と強く願うようになりました。


すでに夏は過ぎ、小野の山は秋の気配です。そばを流れる川音は宇治よりも優しく響き、門前の田んぼでは稲刈りが始まっています。百姓の娘たちが歌う稲刈り歌を若い女房たちが真似るのを聞くと、浮舟の脳裏には遠い昔、遥かな常陸国でみた光景がふと蘇りました。


「何のとりえもない私」とりとめもなく書き綴る密かな思い


月のきれいな夜には、主人の妹尼をはじめ、尼女房たちが楽器を手に音楽会を催したりもします。


もともと、尼君はさる上達部(高官)の妻で、一人娘がありました。よいお婿さんを迎えて行く末を楽しみにしていた矢先、突然娘が亡くなってしまい、悲しみのあまり出家して、兄の修行する山の麓へ庵を結んだ、というわけです。年はとっているものの上品で優しくたしなみ深いマダムで、この簡素な山の庵もなかなか趣味よく仕立てていました。


「あなたもこんな風に楽器を弾いたりなさいますか? ここではすることもありませんから」と、妹尼は浮舟に訊ねますが、田舎育ちで継父にのけものにされながら育った浮舟は、なんの心得もありません。


(都の人たちは年をとっていても、優雅に和歌を詠み、こうして楽器を弾いて楽しむ風流さがあるんだわ。それにひきかえ、私の身の上のなんと残念で、情けないこと……)


見知らぬ尼たちに過去を打ち明けられぬ浮舟の唯一の話し相手は、手習いの紙でした。今で言えばメモ帳というか、チラシの裏というか、あるいはツイッターのつぶやきのようなものかもしれません。誰に言うでもなく、でも心に溜まったものを書き出したくて、浮舟は次の2つの和歌を書きつけます。



「身を投げし涙の川のはやき瀬を しがらみかけて誰かとどめし」

「我かくてうき世の中にめぐるとも 誰かは知らぬ月の都に」


しがらみは柵と書き、川の流れをせき止めるサクのことですが、足を引っ張る諸々の厄介事、という意味合いでもよく使われます。浮舟も二重の意味でこの「しがらみ」というワードを使い、自殺未遂となった無念さや、すでに遠くなった過去の人々を思います。


でも今、浮舟の胸に迫るのは、恋愛のいざこざを繰り広げた男たちの事よりも、母への思慕でした。(お母様はどれほどお嘆きになっただろう。私をなんとか晴れがましい身の上にしようと頑張っていた乳母も、ひどくがっかりしただろう。


いつもそばで「姫様のお決めになったことなら、右近はそれに従います」といってくれていたあの右近も……。今頃、みんなどこでどうしているだろう)。


気を紛らわす手段を持たない浮舟は、少しずつこうして記憶を取り戻しながら、ひとり心の内を書き付けて物思いに耽るのでした。


「もう恋愛なんて嫌!」彼女に迫る新たな危機


妹尼には年老いた7~8人の尼女房たちが仕えていました。若い女房は寂しく退屈な山暮らしには耐えられない、という理由は宇治と同じです。そんな変化のない庵の生活ですが、時折、おばさん尼たちの息子や甥、娘婿だとかが時々やってきて、京の話をしていくことがありました。


この日も、妹尼の亡くなった娘婿だった人で、今は中将になっている男が山を訪れます。彼の弟は僧都のお弟子になっていたので、その弟を訪ねるついでに、かつての義母に挨拶にくるのでした。


前駆の声に続く、身分の高そうな男の到着に、浮舟は(以前もこんなことがあった……)と、かつての薫の様子を思い出します。とはいえ「ちょっとでも存在を知られたくない、京の人には絶対にバレたくない」という心から、お客さんが来るときは特に用心して奥に引っ込んでいます。


中将は27、8歳の男盛り。薫や匂宮と同世代です。洗練されているとは言い難いものの、風格のある態度が身についています。彼を出迎えた庵の庭には女郎花や桔梗などの秋の花が咲き乱れ、そこへ供人たちの華やかな狩衣(スポーツウェア)が色を添え、一気に華やかな雰囲気に。


尼君は元のお婿さんに涙ながらの対面です。「娘が逝ってもう何年にもなりますのに、こうして変わらずに来てくださるお心がありがたくて……」


「心のなかではいつも忘れたことなどないのですが、俗世を離れてご生活されているのでついご遠慮申し上げまして」。もともと家族ということもあり、お供の人にも食事が出され、雨が降り出したのをいいことにすっかり長話です。


尼君は気立ての優しいお婿さんがお気に入りでした。「本当に今どき珍しい、誠実で優しい心の人だこと。娘のことも悲しいけど、この人と縁が切れてしまったのが残念だわ。どうして子供を遺してくれなかったのかしら……」。ついつい、ここにいる娘代わりの人の事を話してしまいそうになります。


尼女房たちも「本当に、中将の君を拝見すると感無量ですわね。この姫君が亡きお嬢様の代わりになられたら、どんなに素晴らしいでしょう」


浮舟は我関せずで物思いにふけっていましたが、これを聞いてゾッとします。(たとえこの先生きていたって、男の人とどうこうなんてもう絶対に嫌! そのことで私は死のうとしたのに……。ああもう、恋愛沙汰なんて懲り懲り。一切無視して忘れよう)。


しかし残念なことに、浮舟の姿はすでに中将の目に止まっていました。突然の雨風に吹かれた簾の隙間から、白髪姿に墨染の衣をきた尼たちの間に、白いひと重ねの衣につやつやした黒髪をなびかせた後ろ姿をしっかりと見ていたのです。


中将は妹尼が奥へ入るのを見届けたあとに、少将の尼という筆頭の女房を呼んで「ここは尼君ばかりがおいでだと思っていましたが、あの長い黒髪の女性は誰ですか? 並の人とも思えず、とても美しく見えたが」


少将の尼は困りました。(詳しくお話したらきっと夢中になってしまうでしょう。亡くなられたお嬢様よりもこの姫君のほうがずっとお美しいもの)などと勝手に決めつけ、適当にお茶を濁します。


「亡くなられたお嬢様の代わりに、ふとしたところから思いがけず代わりになられる方を見つけて大切にしていらっしゃるのですよ、そのうち自然とお分かりになりますわ」


いきなり色気づいてあれこれ聞くのもみっともなく、中将は重い腰を上げて弟のいる山寺へ。僧都に挨拶した後、弟に会うなり「さっき、麓の庵ですごい美人を見たんだ! 一体どういう人か知らないか?」


弟自身は浮舟救出に携わっていなかったので「さあ、初瀬詣の帰りに不思議な縁でお連れした方とだけ聞いていますけど」


「なるほど、気の毒な事情があるんだろうね。一体どんな素性の人だろう。なにかすごく嫌なことがあってここに身を潜めているんだろうな。ああ、なんだか昔の物語みたいじゃないか……!」


というわけで、中将は帰りがけにもしっかり庵に寄っていきました。


ラブレターも完全拒否! 死線を越えた彼女の変貌


翌日、下山した中将は再び麓の庵へ。「やっぱり素通りできなくて」と言う彼に尼君も嬉し涙で迎えます。しかし話は次第に、ここにいる謎の美女のことに。



「どうしてこの人のことをお知りになったの? ここ数か月、亡き娘の代わりと思ってお世話している人なのですが、なにかとても悲しいわけがお有りのようで、とにかく自分が生きていることを誰にも知られたくない、とそればかりなの」


「そうでしたか。亡き人の代わりと言うなら、私だってまったく無縁とは思えませんね。どういった理由でそんなに人生を悲観しておられるのか、お慰め申したいものです」。


そして、興味津々の中将は帰り際に「あだし野の風になびくな女郎花 我しめ結はむ道遠くとも」。どうか他の男になびかないで下さい、今はまだまだでも、いずれあなたは僕のものだ、というような内容です。いきなりオレのもの宣言というのもかなり自信満々で、ちょっとどうなんだという感じですが……。


少将の尼がこれを取次ぎ、尼君も「さあお返事なさい。あちらは風流のわかるお方ですから、ちょっとしたご挨拶ですよ」と浮舟に持ってきますが「字が下手ですので、とても」と完全拒否。


尼君は「困った人。ご覧になったでしょう。本当に世間知らずで、普通の若いお嬢さんとはまったく違っていらっしゃるの」と、仕方なく自分で返歌し、中将も(まあ初回はこんなもんだろう)と、怒りもせずに帰っていきました。


もう決して恋愛のいざこざに巻き込まれるまい、と思う浮舟にとって、言い寄ってくる中将はウザい以外のなにものでもありません。それにしても死線を越えた浮舟には、大君のような用心深さや気丈さを感じます。


おそらく人の心には色んな要素があって、何かをきっかけにそれが強まったり、弱まったりしてその人自身が少しずつ変わっていくのでしょう。あの頼りない浮舟の心のなかにも、大君のようなしっかりした部分がちゃんと眠っていたのです。そしてそのバランスが全体的に取れていくことが成長なんだろうな、などと思います。


でも、浮舟を亡き娘の代わりと思っている尼君と尼女房たちは、「もしこの姫君と、中将様がご一緒になられたらいいわねえ」と勝手に盛り上がっています。やっと人心地ついたのもつかの間、浮舟は再びピンチを迎えます。


簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。

3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html

源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/


(執筆者: 相澤マイコ)


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情報提供元: ガジェット通信
記事名:「 「恋愛沙汰で死のうとまで思ったのに、もう男の人なんて絶対にイヤ!!」話し相手は紙だけ……静かにひっそり暮らしたい彼女に迫る新たな危機~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~