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浮舟に逢うため、危険を犯してやってきた匂宮。ふたりは小舟に乗り込み、とある別荘で水入らずの2日間を過ごしました。ワケアリ男女の、背徳感に満ちた濃厚な愛の時間……。しかし、宮の激しい愛撫でも、浮舟の心から薫の存在を消すことは出来ません。
帰路についた宮は再び引きこもります。食事も喉を通らず、青ざめやつれ、まるで重病人のよう。両親の帝と中宮はじめ、京中が彼を心配し、大勢の見舞客が詰めかけたおかげで、浮舟にろくな手紙がかけません。
一方、宇治では、あのうるさ型の乳母が戻ってきたために、宮の手紙をこっそり読むことができなくなっていました。乳母は娘のお産に付き添ってしばらく留守にしていたので、宮が来てもバレなかったんですね。以前のようにマメに連絡が来なくなって、かえって良かったかも?
晴れて薫が京へ迎えてくれる事になり、母君もそれを喜んで、新しい女房などを送ってきてくれます。皆が大喜びするのを見ても、浮舟の心は複雑です。(それこそが一番いいこと、私にとっての幸せと、ずっと望んでいたこと)なのに、浮かんでくるのは宮の姿ばかり。よく眠れず、少しまどろんだかと思うと夢にも彼が出てきて、自分が嫌で嫌でたまらなくなります。
春の長雨の季節になりました。宇治行きがますます難しいと思われる宮は、細々と言葉を尽くして手紙で愛を伝えます。「ながめやるそなたの雲も見えぬまで 空さへ暮るる頃のわびしさ」。
筆に任せた書き流しぶりも見事で、難しいことのわからない若い浮舟も、さすがに素敵だと思います。でも、彼は多情で浮気な男。今はこんな風に言ってくれるけれど、その後が長く続くとは到底思えない。
万が一、宮の愛人としてどこかに匿われたとしても、いつかは姉の中の君にも知られ、とても嫌に思われるだろう。隠し事はいつかバレるもの、宮が自分を探しだしたのがいい例です。
そう思うと、やはり信頼に足るのは薫。何と言っても初めて結ばれた相手、母も乳母も薫に大事にされることこそを望んでいる。でももしこんな不祥事が知れたら、母や乳母もどれほどがっかりするだろう。そして真面目な薫には見限られてしまうに違いない。あの清廉潔白な人に尻軽女と嫌われたら、とても生きていられない気がする……。
浮舟が思い悩んでいたその時、ちょうど薫からも手紙が届きました。
宮からすぐに薫のと、手紙を見替えるのも我ながらあさましく、浮舟は宮の長い手紙を広げて横に。それを見た右近と侍従は、目と目で(やっぱり、宮さまの方に……)。秘密を隠し通すのも、一人よりはふたりのほうが都合がよく、彼女たちは相談し合います。
「それもそうでしょう。薫の殿が一番だと思っていましたが、おそば近くで宮さまを拝見した時の感動と言ったらもう!
もし、私ならどんな事をしてでも宮さまについていくわ。お母君の中宮様の女房になって、いつもいつも拝見していたい!」 愛の2日間にお供した侍従は、すっかり宮びいきになってこう言います。
右近は「何言ってるの、宮は浮気で安心できないじゃない。見た目がどうとかじゃなく、お人柄やお心ばえが素晴らしいのはやはり殿でしょう。でも、いよいよ難しいことになったわね。姫さまはどうなさるおつもりでしょう」。
薫の手紙には「行こう行こうと思いながら日が経ってしまった。時々は君からも手紙をくれてもいいんじゃないか?僕はいつでも君を想っているよ。
ながめやる遠(をち)の里人いかならむ 晴れぬ長雨にかき暮らすころ」。こちらは宮のラフな感じとは違い、真面目に丁寧に書かれた、いかにも教養深い人からの手紙という風情です。
右近は「先のお手紙を、誰も見ないうちに」と促しますが、浮舟は恥ずかしがってすぐに返信するのをためらい、宮の描いた男女の絵を取り出して泣きます。
「いつでも君とこうしていたい」と仰ってくださった宮。こんな関係をいつまでも続けられないと思いつつ、それでも薫に引き取られて、宮に逢えなくなるのはやはり辛くてたまりません。
「峰にかかる真っ黒な雨雲のように、所在ない私も死んで煙となってしまいたい(かき暮らし晴れせぬ峰の雨雲に 浮きて世をふる身をもなさばや)」
宮は浮舟の苦しんでいる様が目に浮かび、声を上げて泣きます。(死にたいだなんて、それほどオレが恋しいということか。かわいそうに)。エモい!
一方、真面目人間(本文にも“まめ人”とある)への返事は「身の上を思い知るような雨が小止みなく降り続き、川の水も私の涙もますます増えてしまいました(つれづれと身を知る雨の小止まねば 袖さへいとどみかさまさりて)」。
例によっておっとりとこれを見た薫は(毎日、どんなに寂しい思いをしているだろう)と、下にも置かず見入っています。
雨、雲、川、煙、涙と、場所柄と水にまつわるワードの多い和歌の贈答が、浮舟の心模様をよく表しています。受け取った男たちの反応もそれぞれ対照的なのが面白いです。ちょっと演歌の趣もありますね。
そして浮舟自身は「里の名をわが身に知れば山城の 宇治のわたりぞいとど住み憂き」。宇治の里は憂し里。私の身の上にぴったりな名のこの山里に、住んでいるのがとてもゆううつだ、と言うのです。
父宮や腹違いの姉たちが育った宇治の里も、浮舟にとっては家族ゆかりの地というだけの、見知らぬ場所。薫に連れてこられて放置の挙げ句、宮との罪深い関係が始まった因縁の地。ふたりの男の板挟みに苦しみながら、浮舟の憂鬱さは深まっていきます。
いつまでも浮舟に寂しい思いをさせられないと、薫は事前承諾を得るために正妻の女二の宮に打ち明けます。帝に誰かが耳打ちしたりして取り沙汰されると面倒なので、ここは先手を打ちたいところ。
「無礼なと思われるかも知れず、誠に恐縮ですが、古くからの知り合いの娘がおりまして……」。とにかく身分の低い女で、放っておくと気の毒なことになるかも知れないから、自分が世話をしたい。変な噂をする人がいるかも知れないが、あなたは何も気にすることはないと説明します。
妻は「どう気にすればよいかわかりませんわ」。高貴な方は嫉妬などしてはいけないというエチケットに則ったお返事ですが、実際に薫のことは自分専属の世話係くらいにしか思っていないので、まあ、こんなものかも。
承諾を得た薫は、浮舟の新居を内々に仕上げさせます。ところが悪いことに、この準備を一手に引き受けていたのが、宮に情報をリークしていた道定の義父・仲信です。例によって道定は妻から何もかも聞き出し、逐一宮に報告しました。
宮は負けじと、手頃な物件を押さえることに成功。薫に先んじた引っ越し計画を宇治に連絡しますが、宮自身が迎えに行くことはおろか、浮舟もうるさい乳母に密着されているので、とても抜け出すことはできません。
薫が決めた引越し予定日は4月10日(旧暦)。その日が迫るにつれ、浮舟は進退窮まり、不安定な状態です。(どこでも誘われるままにとは行かない。でもどうしたらいいかわからない。たまらなく不安だわ。しばらくお母様の所へ行こうかしら)。
しかし常陸介邸は、例の少将と結婚した妹がお産で大変。母のほうから宇治へ訪れます。「どうしたの? ずいぶん顔色が悪くて、やつれて見えるけれど……」。
乳母が最近はずっとこうだと説明すると、「変ね、物の怪の仕業かしら。おめでたかとも思ったけど、たしか生理がきて石山詣でを取りやめたのよね」。生理の話がダイレクトに出てくるのも、宇治十帖の特徴です。
母と乳母が、薫の用意してくれた衣装などを見てはしゃぐのを聞いても、浮舟はいたたまれません。それもそのはず、まさに今朝も宮から「オレと一緒に」という手紙が来ていたばかり。もしそんな事になったら、母も乳母も絶望し、立つ瀬がなくなるだろうに……。
弁の尼も呼ばれ、おばさんたちの昔話に花が咲く中、浮舟は気分が悪いと物陰で寝たふり。「……薫の君とのご縁が出来たのもあなたのおかげですわ。中の君さまもご親切にしてくださったのですが、あちらで思わぬアクシデントがありまして。行き場もないと途方に暮れた所でしたのでね」。
母がこう言うと弁は「匂宮さまは驚くほど好色なお方だそうで、きちんとした娘さんはあちらにお仕えするのをためらうとか。他のことでは素晴らしいお方なのに、うっかりお手つきになってしまい、中の君さまに疎まれないか気がかりだと聞いています」。
浮舟は(そうよね。女房だって気を使うのに、ましてや私は異母妹……)。
「とんでもないお話ね。薫さまには女二の宮さまがいらっしゃるけれど、そこは他人ですもの。どう思われようと仕方がないと思いますが、中の君さまは血縁、もし間違いなどがあろうものなら、どんなにこの浮舟が可愛くても、二度と会うことはできませんわ」。もう万が一の事態が起きてしまっています!!
母のこの言葉が浮舟の胸に突き刺さりました。(やっぱりもう死ぬしかない。死のう。あとになっていろいろなことが出てくるだろうけど……)。
どうすればいいかわからない、親しい人にも打ち明けられない。それならもう、死のう。自殺者の思考パターンにぴったり一致してしまった浮舟の耳に、そばを流れる宇治川の川音が恐ろしく響きます。
「川と言っても大したことのないものもあるのに、怖い川ね。こんな激しい川のそばにいつまでもいたのですから、そりゃあ薫さまもかわいそうだと思ってくださったのね」と母。そこに、女房の誰かが「そういえば、先日も川の渡し守の孫が、棹をさしそこねて溺死したそうですわ。命を落とす人の多い川です」。
(そうだ、川に身を投げてしまえば跡形もなくなる。しばらくは母も乳母も悲しむだろうけど、生き恥をさらすよりはいい。こんな辛い思いをいつまでも続けているよりは……)。そう思うと自殺するメリットしか思い浮かばなくなりますが、そうは言ってもやっぱり悲しくてたまりません。うう……。
女房たちに諸注意を言い渡し、「お産で取り込んでいるからそろそろ帰るわね」と母。これが今生の別れかと思い詰める浮舟は「お母様がいてくださらないと不安でたまらないの。どうかしばらくここにいて。それがだめなら、あちらの家に置いて下さい」。
「私もそうしたいのだけど、とにかく取り込んでいて手狭なの。薫の君がお引取りになっても、こっそり会いに行きますからね……」。お母さんは浮舟だけのお母さんではない。でも、今の浮舟には命綱を切り落とされたくらいのダメージだったに違いありません。
皮肉にも、自分を誰よりも愛してくれる母親の言葉に致命傷を受けた浮舟。娘がそこまで思いつめているとも知らず、帰ってゆく母。まさに絶体絶命の状況に、さらなる悲劇が襲いかかります。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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