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お祝いごとの多かった源氏40歳の年も暮れ、明けて新年。里帰りしていた娘・明石の女御(ちい姫)は出産間近です。父の源氏も安産祈願をあらゆる寺社仏閣で行わせます。
源氏はお産にトラウマがありました。その昔、夕霧を出産後に葵の上が亡くなったことが忘れられない。何と言っても葵の上の死の背後には六条御息所の生霊という凄まじい怨念があり、源氏もそれをまざまざと知っただけに、生涯忘れえぬ心の傷といったところです。
そんなわけで、最愛の紫の上に子供ができなかったのは残念だが、あんな怖ろしい思いをしないですんだのは良かった、と思うくらいでした。
女御はようやく13歳。成長しきっていない上に小柄です。これだけでもかなり心配ですが、2月に入ると容態が悪化し、苦しんで寝付くようになってしまいました。源氏も紫の上もとても心配です。
陰陽師たちは方違えをするのが良いと進言。でもこの状態で邸外に連れ出すのもどうか、ということで、六条院の冬の御殿に移動させます。ここの主の明石の上は女房たちの詰所を作ったり、祈祷する僧侶たちを誘導したりと、大忙しです。
愛する姫の無事はもちろんのこと、生まれてくる子の性別はどちらなのか。もし皇子が生まれれば、将来の帝となることが約束されます。源氏も、そして明石の上も、運命の一瞬に立ち会うために万全を尽くして備えるのでした。
さて、冬の御殿に住んでいた、明石の上の母・明石の尼君はちょっとボケ始めたおばあちゃんになっていました。
彼女は以前から「孫のちい姫(女御)に会いたい」と繰り返していましたが、方違えで急きょこちらに移ってくることになって大ラッキー! 実に会うのは10年ぶり。もう夢じゃないかという感じで、遠慮も忘れてお側へ近寄ります。
女御は見慣れぬ老尼の出現にギョッとします。若く美しい女房たちに囲まれて育った彼女には、年老いた尼さんというのは初めて見る人種。それでも一応、この御殿には明石の上の母君がいるというのは聞いていたので、優しく相手などするうちに、尼君はこんなことを言い出しました。
「源氏の君が京へ戻られた時、ついにご縁も切れてしまうのかと、どれだけ嘆いたでしょう。でもあなた様がお生まれになり、私たち一家を幸運へと導いて下さったのです。本当にご立派に、美しくなられたこと……」。そして源氏と明石の上の馴れ初めをすっかりしゃべり、女御は初めて自らの出生の秘密を知りました。
ボロボロ涙をこぼして語る祖母に、女御も泣きながら「大切なことをよくお話下さいました。何も知らなかったら、それこそ大きな過ちになったでしょう」。
自分が紫の上の養女だということ、実母は少し身分の低い人だとは聞いていても、まさか明石の地で生まれたとは思いもよらぬことでした。既に明石の上がお側について1年以上経っていますが、まだ詳しい話は何もしていなかったことがわかります。
自分の出生に秘密があると感じたら、あれこれ知りたくなるのが人情では、とも思いますが、これに関しては”とてもおっとり育てられたので、なんとも妙な、おぼつかない事ではあるが”と、フォローがあります。まあ、レディたるもの、噂好きのおばさんのように根掘り葉掘り聞きまわるようではダメでしょうね。
はっきりと自分のルーツを知った女御の胸にはさまざまな思いが交錯しました。「私は光源氏と紫の上の一人娘として、ずっと人とは違うのだと思ってきた。後宮にいる他の女御達のこともどこかで見下していた。でも本当は違ったのだ。
本来なら皇太子妃などになれる身分ではなかったのに、紫の上のお母さまが私を大切に育ててくださったお陰で、華やかな今があるんだわ。この真実を知る世間の中には、私に対する批難の声もあっただろう」。聡明な女御は自らの優越感や傲慢さを認め、反省します。13歳にしてこの賢さ。本当にしっかりしています。
こうして2人がしんみりと話をしている頃、バタバタしていた明石の上が戻ってきました。女御の様子を見ると、老いボケた母がベッタリとくっついて、何やら得意げな顔をしているではありませんか。
「母上、何していらっしゃるの!?どうしてそう、お医者さんのように女御さまにくっついているの。几帳を間においてお姿を隠して下さいな。誰かに見られたらみっともない」。
尼君は65~6歳くらいで、まだそれほどボケる年でもないのですが、明石から上京してきた頃の上品で、しっかりした様子はどこへやら。彼女なりに気をつけて、品よく振る舞っているつもりなのですが、だいぶ耳も遠いため、娘の言葉にも「ああ?」なんて言っている。こういうおばあちゃん、いますねえ。
明石の上はイライラしますが、その母の顔をよくよく見ると、目には赤く泣きはらしたあとが……。もしやと思い「年寄りがよくわからない昔話を申しましたか。もう記憶も曖昧ですから、あやしい夢のようなお気持ちがされましたでしょう」。
そう言って女御のお顔を見ると、やはりこちらもお目々が赤く、物思いに沈んでいる様子。それにしても我が子とは言え、もったいないような美人です。
「ああ、お気の毒に。本当のことをご存知になられたのだ。できたら立后の時にでもと思ったのだけど……」。お産も間近で苦しい時にさぞかしショックだっただろうと、明石の上は女御を慰め、果物などを勧めたりします。
尼君は注意されても隠れようともせず、相変わらず満足そうに孫娘を見つめ、泣き笑いの顔です。明石の上はみっともなくて「ちょっと母上」と合図しますが、しれっとスルー。
更に「老の波かひある浦に立ち出でて しほたるるあまをだれかとがめむ」と詠み、こんな年寄りは昔から大目に見てもらったものだ、と開き直ります。これぞ老人力!
女御は「しほたるるあまを波路のしるべにて 尋ねも見ばや浜の苫屋を」。尼君を道案内に私の生まれた明石の家に行ってみたい、と答えます。
これには明石の上もたまらずに「世を捨てて明石の浦に住む人も 心の闇ははるけしもせじ」。父上も子孫を思う心の闇は晴らせずにいるだろう……と、一人明石に残った父・入道を思います。
女御は、おじいちゃんの事を覚えていないのが残念です。せめて夢の中ででもお会いしたい、と思うのですが、なにぶん記憶が無いのです。思い出せないその祖父が、俗世を離れた仙人のような暮らしをしていると聞き、なんとも悲しく思うのでした。
出産前の苦しい時に衝撃の事実を知らされた女御でしたが、自らのルーツを知り、実の祖母と母と語らったのは貴重なことでした。結果、出産は意外なほどスムーズに終わります。
生まれたのは男の子(若宮)。大望の皇子誕生です! 当時の貴族としては一番の願いが叶ったわけで、一家は諸手を挙げての大喜びです。
出産には紫の上も立ち会いました。出産経験のない彼女にはまさに驚きと感動の連続。まるで自分がお母さんのように、ずっと若宮を抱っこして、つきっきりでお世話をしています。
本当の祖母である明石の上は、紫の上に若宮を預けたまま、自分は産湯の仕度などを手伝います。しかし、おばあちゃんになった明石の上が産湯に入れてあげるのではなく、わざわざ『皇太子の典侍』というお役目の女房が担当する立派な儀式なのです。明石の上の役割は、あくまでもそのサポートでした。
周りの女房たちも事情を知っているので、明石の上の奥ゆかしさに感心しきり。だからこそ皇子の祖母となる幸運が巡ってきたのだろうと思います。もっと自分の孫であることを強調したり、出しゃばったりするような人だったら、逆に残念なことになったでしょう。
子供が大好きな紫の上は、手作りで魔除けのお人形を作ったり、とにかく孫のために大忙し。孫の若宮の世話は紫の上中心、それ以外のことやサポートは明石の上と、2人の祖母は役割を分担して『孫活』に精を出し、友情を更に深めていきます。
お産を終えた女御は、6日めに寝殿へ戻りました。7日めには帝からの産養(出産祝い)があり、あらゆる人から立派なお祝いの品が続々と届きます。いつもは派手なお祝いを避ける源氏も、今回ばかりは盛大な祝宴を行いました。
源氏は孫の若宮を抱いて「夕霧のところには次々に子供が生まれているらしいのに、ちっとも見せてくれないのがつまらなかったが、こんな可愛らしい皇子さまがおいでくださったよ」。おじいちゃんになった実感もひとしお、というところですね。
一方、寂しいのは明石の尼君。冬の御殿は奥まったところにあり、お祝いなどをするのには向かないため、女御は早々に元の寝殿へ戻ったのですが、この人としては「私のひ孫の若宮さま、ちっとも満足に拝見できなかったわ」。もう少し女御ともゆっくりお話したかったし、間近で若宮さまも見たかった!
何と言ってもなまじ間近で見ただけに、帰ってしまったあとはかえって恋しさが募って、切ない思いに悶絶死しそうです。久しぶりの明るい話題でめでたしめでたし、と行きたい所ですが、尼君にとっては寂しい終わり方になってしまいましたね。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか